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第五節

 出口を求めて洞穴をさまよう。

 慌てて走ったせいで元来た道とは別の道に逃げてしまった。


 この先は別の出口に続いているのだろうか?


 道は緩やかな上り坂。

 足元は歩きやすいように石ころが取り除かれている。

 人犬が行き来しやすいように、男が綺麗にしたのかもしれない。

 あの醜悪な生き物を男はとてもかわいがっていた様だ。


 男はもう追ってこないだろう。

 あの傷は致命傷だ。

 熊のように大きな体でも、弾丸を受けてはひとたまりもない。

 銃というのは実におそろしい。


 少女は手に持ったそれの力を改めて思い知らされた。


 雪狐がついて来ているので明かりには困らない。

 この子がいて本当に良かった。

 足元にまとわりつく雪狐が愛おしく思える。


 坂を上り切ると、天井の高い広い場所に出る。

 そこには……無数の白骨死体。

 ピラミッド状に堆く積まれたしゃれこうべ。

 大きく掘られた穴に打ち捨てられた骨の山。


 今まで犠牲になった人たちが、ここに捨てられたのだ。


 部屋の隅で、人犬が骨をしゃぶっている。

 乳飲み子が乳を吸うかのように。


 少女はまるで汚物でも見るかのような視線を送る。

 その醜い生き物がとても自分と同じ人間だとは思えない。

 人が人を糧とするだけでもあり得ないのに、更にその醜悪さと言ったら。


 人犬は少女に気付いたのか、のそのそと這い寄ってくる。

 目の前まで近づくと『ヴァー』と嬉しそうに口を開くのだ。

 不揃いな乱杭歯に肉片がこびりついていた。


 我慢できないほどの生理的な嫌悪感を覚えた少女は、人犬を銃床で殴りつけた。


 一発殴ると、悲鳴を上げて壁の隅へと逃げていく。

 身を小さくしてガタガタと体を震わせて、指の無い短い腕で殴られた頬をさすっている。

 少女が何か物音を立てるだけでいちいちそれに反応して体をビクつかせるのだ。

 何という弱くて脆い生き物だろう。


 見た目が醜悪なだけで人を襲うだけの力も知能も無い。

 あの男が死ねば、コイツ等も死ぬ。


 もうこれ以上、人犬に構うのはよそう。

 相手にするだけ時間の無駄だ。


 しゃれこうべの山を過ぎると出口があった。

 外に出るとそこは……

 青年が入って行った場所だった。

 どうやら彼はここにある人骨の山を見て、発狂してしまったらしい。

 彼が自分を疑いたくなった気持ちも分からなくもない。

 実際、世話をしてくれていた人物が犯人だったのだから。

 青年のとった行動は決して間違いではないのだ。


 引き返して、住処にしていた洞穴を目指す。


 新たに降り積もった雪が行く手を阻んだ。

 両手に抱えた銃の重みも体力を奪っていく。


 銃はもう必要ないが、捨てる気にはなれなかった。

 なにせ父親の最後の形見なのだ。

 捨てる気にはなれない。


 住処の洞穴に戻り、一息つく。

 食べ物や使えそうな物をかき集めて出発の準備をする。

 もうここに戻って来るつもりはない。

 だけど……街に戻ることも出来ない。

 これからどこへ行こうか……


 ふと、雪狐に目が行く。

 この子を捕まえれば……


 銃口を雪狐へと向け、引き金に指をかける。

 この子の毛皮があれば……街に帰ることが出来る。

 この子の身体さえ手に入れれば……


 いけない、いけない。

 少女は唐突に浮かんだその邪な考えを、頭を振るって即座に打ち消す。

 いくらなんでもそれは可愛そうだ。

 自分にだって良心がある。


 この子のおかげで暗い洞穴の中を歩くことが出来たのだ。

 毛皮を剥いだり、はく製にしたりだなんて、考えたくもない。


 狙いを外して銃を下す。

 そして、優しく微笑みかけるのである。


「今日からお前が私の家族だよ」


 少女はそう言ってポケットから取り出した野兎の干し肉を差し出す。

 雪狐はそれを咥えると、夢中でかみ砕き始めた。


 こんなにも人懐こくて素直な雪狐が、今まで人に捕まらなかったのはあの男のおかげだ。

 あの男が山に入る人間を殺し続けたからこそ、このか弱く美しい生き物は生きていけたのだ。

 これからこの山に住む雪狐達は無事に暮らしていけるのだろうか?

 誰かが一匹でも連れて帰ったら、噂を聞いて駆けつけた猟師たちの手によって、あっという間に狩りつくされてしまう。

 この子も無事では済まないだろう。


 だけど、どうしようも無い。


 一体私に何ができるだろうか?

 何も出来やしない。

 人を殺すだなんて恐ろしい事、出来るはずが無い。

 この子には可愛そうだけど、山の守り神にはなれない。


 それにしても……これからどうしようか?

 街に帰るにしてもお金が無ければ運命は決まっている。

 別の街に行ったとしても同じこと。

 幼い少女が一人で生きていけるほど、世の中は生易しくない。

 仕事だって簡単には見つけられないだろう。


 それでは山の中で暮らすか?

 今まで男に面倒を見てもらってばかりの自分が、この過酷な環境で生き抜いて行けるとはとても思えない。

 今更ながら、この行き詰まった状況に頭を抱える。


 これからどうすれば……


 悩んでいると、外から雪をかき分ける音。

 あらゆる悩み事が吹き飛び、しびれるような不安感に苛まれる。

 あの男が……生きていたんだ。


 恐る恐る洞穴から顔を出す。

 すると……


 そこにいたのは男ではなく、人犬だった。

 寒さに震えながらもそもそと雪の中を這いずりまわっている。

 あの様子では長くは持たないだろう。


 どうしてこんなところに?

 疑問に思ったが、男ではなかった。

 愁眉を開いて構えていた銃を下す。

 ……それが間違いだった。


「ぐぎゃ!!!」


 突然何か重い物がのしかかって来た。

 上から何かが落ちて来たのだ。

 その正体が男だとすぐにわかった。


「止めて!!!離して!!!」

「まんまと俺を殺して逃げるつもりだったんだな。もう許さねぇ!!!」


 男はおそらく、木に登っていたのだろう。

 獲物の頭上から飛び降りて敵を制圧する。

 青年もこの手で殺されたのだ。


 男は懐から鉈を取り出す。

 青年の物と思われる血潮がびっとりと張り付いていた。


「私をどうするの!?」

「ああん?壊すのにはもったいねぇからなぁ。

 だけど逃げられたらしょうがねぇ。

 走れない様につま先を切り落とすのさ」

「お願い止めて!大人しくするから許して!」

「いいや!ダメだね!人間は嘘をつく。嘘をつくから俺は嫌いだ」

「だったら私も殺せばいいじゃない!!!」

「殺すよりももっと面白いことをして楽しむのさ」


 男はそう言って少女の臍の下あたりを指で軽くなぞる。

 虫で埋め尽くされた窯に放り込まれたかのような嫌悪感を覚える。


「お願い……もう許して……」

「これから俺とずっと二人で暮らすんだ。

 子供が出来たら……狩りを教えよう。

 人間どもを狩る戦士に育てるんだ。

 そうしたらその子らとも子を作って……」


 男の思想は思っていた以上に醜悪だ。

 自分の子供と交わるつもりでいる。

 こんな生き物の存在を許すのは、もはや神への冒涜だ。

 男がうっとりした顔で、まだ見ぬ未来へと思いを馳せている。

 その時だった。


「ギイイイイイイ!!!!」

「なんだおめぇ!?んだぁ!?」


 男が感慨にふけっている隙を突き、雪狐が襲い掛かったのだ。

 顔を覆うようにして爪を立て、頭に齧り付いている。


「止めろ!!!離せ!!!この恩知らずが!!!」


 何とか顔に噛みついた雪狐を払い、壁へと叩きつける。

 雪狐は力なくその場に体を横たえた。


 男は恩知らずな狐から、少女へと視線を向ける。

 すると……彼女が自分に向けて銃を向けているのに気付いた。

 弾丸はもう一発残されていたのだ。


「まっ……」


 男が何か話すよりも早く、少女は引き金を引く。

 火花が散り、銃口がうなりを上げる。

 放たれた弾丸は真っすぐに男の顔面へと飛んで行って、目標を粉砕した。


 山の中で殺戮を繰り返した山男はあっけなくその生涯を終える。

 大の字に後ろから倒れ、白目をむくと、そのまま動かなくなった。


 少女は目の前の死体を、恐る恐る何度も銃の先で突いた。

 それがもう動かないと気付くと、張っていた緊張の糸がほぐれ、力なくその場にへたり込んでしまう。


 終わった。

 勝ったのだ。

 もう何も恐れる必要は無い。


 この男に慰み者にされる心配もない。

 人犬達の様に加工されたり、あるいは彼らの餌にされたりすることも無い。


 雪狐。

 自分を守ってくれた勇敢な戦士も、息を引き取っていた。

 罠から助けたというだけで、命まで懸けて戦ったのだ。

 何とお礼を言っていいか分からない。


 少女はその亡骸を抱きかかえて山を下りる。

 形見の銃は男の亡骸が眠る洞穴へと置いてきた。

 雪狐を抱えることが出来ないからだ。


 山を下りると、明かりが見えたのでその家で宿を取らせてもらった。

 男が持っていた所持品の中にお金が入っていたのだ。

 金品を支払うと村人は喜んで部屋を貸してくれた。


 久しぶりの人の手の入った住居で横になり眠りにつく。

 雪狐は布でくるんでおいた。

 その毛の色がばれたら大騒ぎになる。


 ふと、人犬達のことを思い出す。

 あの醜い生き物たちはこれからどうなるのだろう?

 これからも人を食べて生きていくのだろうか?

 餌がなくなれば生きていけない。

 共食いするかもしれない。


 もしかしたらあの大男の死体も?


 怖くなって考えるのを止めた。

 考えるのを止めたら眠ることが出来た。

 優しかった父が傍にいる。

 ふと、そんな気がした。


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