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第二節

「全く、女の子が一人でこんな山の中に……」


 その男は火に薪をくべながら、ブツブツとうそぶいく。


 少女の前に現れたのは熊ではなく人だった。

 熊のように大きな体のその男は、自分の家に少女を迎え入れてくれたのだ。


 家と言ってもそこは大きな洞穴だ。

 何らかの理由で大岩に穿たれたその穴に、男は藁を敷き詰めて住居としたのだ。

 火をたくための窪みや、料理をするための石のテーブルもある。

 上には竹を渡して魚や野兎を吊るしている。


 少女は火にあたり暖をとる。

 優しく揺らめく炎は凍てついた心を柔らかく包み込む。

 孤独感から解放された彼女はすっかりと安心しきっていた。


 しかしながら、銃は手放していない。

 後生大事に抱きかかえたまま。

 万が一男に襲われたら……という心配をしているのではない。

 これを手放すと無性に不安になるのである。

 手の中に父親の形見があると思うだけで心強い気分になれる。

 それが銃であれば尚のこと。


「どうしてこんなところに住んでいるの?」


 少女は素直に思ったことを聞いてみる。

 どんな返答が帰って来るのか、ワクワクしてその答えを待った。

 しかし……


「理由なんてない。ただここにいたいだけだ」


 という、実につまらない答えが返って来た。

 その返答に幾ばくかの失望感を覚えながらも、更に続けて尋ねる。


「ここにいたい理由は?」

「どうしてそんなことを聞く?」

「こんな寂しいところに独りぼっちでいるなんて変よ」

「変?確かに……俺は変かもしれん。

 こんなに体が大きくて、恐ろしい風体をしているのは、変なのだろう。

 普通でないことだけは確かだ」

「そうね、まるで鬼か熊か、異人さんみたい」

「異人だってこんなに大きくは無いだろう……熊か鬼の方が近い」

「でも、熊みたいに毛深くないし、鬼みたいに恐ろしくは無いわ」

「だったら……俺は何だって言うんだ?」

「知らない、名前を教えてもらっていないもの」

「名前か?俺の名前は……」


 男は自分の名前を名乗った。

 どこにでもあるような、ありふれた名前だった。


 少女のお返しに自分の名前を名乗った。

 花が咲くようないい名前だと、男は褒めてくれた。

 しかし……少女は……


「この名前、あまり好きではないの」

「どうしてだ?」

「名付けたのが母だからよ」

「どうしてそんなことを言う?お腹を痛めてお前を産んだのだぞ?」

「だったら……私のことを見捨てないで欲しかった」

「どういうことだ?」


 男は怪訝な顔をして、少女の顔を覗き込んで来た。

 揺らめく炎がその横顔を仄かに照らし、顔半分には暗い影が張り付いている。


 ぼうぼうに伸び放題になった髭。

 ビリヤードの玉くらいある目玉。

 トウガラシのように真っ赤な鼻。

 思わずまじまじと眺めてしまいたくなる、特徴的なその顔が。

 少女の目の前に、づいと突き出される。

 

 その迫力に押されて思わず体が後ろにのけぞる。

 それでも、敵意ではなく興味を向けられているのだと分かるので、悲鳴を上げたりするようなことしない。

 顔が近いと文句を言って、適切な距離感を保つよう努める。

 

 少女は話す。

 母に捨てられた時の事。

 記憶を辿りながら少しずつ。


 封印しようと押し込めていたものを解放し、千切れてバラバラになっていたものをひとつずつ集めてつなぎ合わせていく。

 たどたどしい口調ではあるが、事実を彼女なりに話すことが出来た。


 男は黙ってその話を聞いていた。

 ギョロリとしたその大きな眼は、とろけるような優しい眼差しで少女を見ている。


「そうか……おめぇさんも、おっかさんに捨てられたんだな」


 少女が話し終えると男は深くため息をついた。

 血の匂いが混じった、ため息だった。


「もしかしてあなたも?」

「ああ……そうだい。

 俺みたいな人間離れしたガキを置いてけるほど、世間様の料簡は広くねぇ。

 だから、捨てられて当然なんだよ、俺みたいなのは」

「その割にはちゃんと話せるのね、人里に降りているんじゃないの?」

「まぁな……生きていくには否応なく人間と関わらなくちゃいけねぇ。

 全く難儀なもんだよ、人生ってのは」


 いつの間にか哲学的な方向に話が進んでしまった。


 とどのつまり、この男は少女と同じである。

 人間の世界に居場所を無くして山に籠る。

 もう二度と戻ることはできない。


 少女の場合、目的を達成すれば変えることが出来る。

 その可能性はゼロに等しいが。


「おめぇさんはどうしてこんな時期に山になんて入ったんだ?」

「私は……雪狐を狩る為に山に来たのよ」

「雪狐?そんないるかどうか分からないもんを捕まえに?」

「そうよ!そうしないと……街にへは戻れないの」

「ははぁ、さては借金でもこさえて、その“かた”に売られそうになったな?」

「うっ!……どうしてわかったの?」

「そんなの分かるさ。おめぇさんみたいなガキが山に入るだなんて相当なもんだ!」


 男はそう言うと、大口を開いて『ガッハッハ』と大笑い。

 少女は見透かされたような気分になり、不機嫌そうにそっぽを向く。


「なぁ、悪いことは言わねぇよ。

 雪狐を捕まえようだなんて無茶は止めてここにいろ。

 一応は生活できるように面倒は見てやる」

「そんな……悪いよ」

「気にすんな、ガキが一貯前な口利くんじゃねぇ。

 それに……そんな豆鉄砲で何ができる?ネズミだって打ち殺せねぇよ」

「お父さんの銃を馬鹿にするな!!!」


 乳の形見を豆鉄砲呼ばわりされ、少女は怒った。

 その豹変ぶりに、今度は男が押されて体をのけぞらす。


「わ……悪かったよ、バカにするつもりは無かったんだ」

「なら……いいけど」

「とにかく、今から外に出るのは無茶だ。今日はここに泊まってけ」

「うん、わかった」


 男の厚意に甘えて眠りにつく。

 まどろみに落ちながらも、少女は決して銃を手放そうとはしなかった。




 ☆




 翌日。

 目を覚ますと既に男の姿は無かった。

 たき火には、真新しい薪がくべられている。

 もしかしたら新しい薪を拾いに行ったのかもしれない。


 雪は止んでいて、太陽が顔を出している。

 昨日の大雪が嘘のような晴ればれとした天気。

 荷物を取りに行くには今しかないだろう。


 少女は荷物を取りにテントへと向かう。

 雪をかぶったそれは、重みに耐えかねてぺしゃんこに潰れていた。

 あのままここで寝ていたら……と思うとぞっとする。

 男と出会えたのは奇跡と言ってよい。


 神様に感謝しないと……


 心の中で、神に祈った。

 父はことある事に神に感謝しろと言っていた。

 山に住む神は不信心な者には厳しい。

 そう言われて育ったものだから、少女もまた熱心な山の信者となっていた。


 何往復かして、荷物を洞穴へと運ぶ。

 大荷物だったので全部運ぶのに時間がかかった。

 ヘトヘトになった少女は、へたん、と地面に倒れ込む。


 お腹が空いたので持ってきた飴を口に含んだ。

 力なく横になりながら、舌の上で飴玉を弄ぶ。


 一体何のために山に入ったのか。

 こんな風にダラダラする為ではない。

 と、思いながらも体に力が入らず、惰性を貪る。

 男が帰って来るのを待とう。

 

 昼頃になってようやく男が戻って来た。

 薪の他に何やら荷物を抱えている。


「何を持ってきたの?」

「使えそうな物を集めて来たんだ、ほれ」


 男の持っていた袋に入っていた物。

 ランタンの明かりをともすための燃料。

 果物や野菜を乾燥させて作った保存食。

 刃の欠けたナイフ……一応まだ使えるようだ。

 等々。

 山で生活するのに役に立ちそうなものばかり。


 これらを全て譲ってくれるという。


「本当にいいの?」

「ああ、俺が持っていても仕方がないからな」


 どこからこんなに沢山の物を?

 という疑問は残るが、ありがたく頂戴することにした。

 山で生きていくには、持ってきた物だけでは、いささか心もとなかった。


「ほら、これを食え」


 さらに男は、干し柿を少女に手渡した。

 なかなかお目にかかれない、大ぶりの物だった。


「え、食べていいの?」

「ああ、もちろんだ」

「うれしい!私、干し柿大好きなの」

「そうか、よかった」


 少女が笑顔になったのをみて、男は優しく頭を撫でる。


 干し柿を頬張ると口いっぱいに甘味が広がっていく。

 仄かな渋みが心地よい。


 少女は本来の目的を忘れつつあった。

 雪狐などどうでも良くなってしまったのだ。


 街に戻らなくてもここで暮らしていけばいい。

 そうすれば、自由に生きることができる。

 呑気にそんなことを考えている少女は気づかなかった。


 銃から弾丸が抜き取られていることに。


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