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ぼくのお姉ちゃん  作者: 神楽塚まぐね
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【第5話】 雲の上 憧れ止まぬイカロスは

かくして、鏡介の策略によるダブルデートは日曜日に決行された。その日も一面の青空となり、行楽には申し分のない気候であった。晴れ男・晴れ女の異名を有せしは、果たして俺かアカネさんか。

 旅の始まりは柳沢駅。俺とアカネさんが毎日通っている地元の駅だ。実は鏡介も近くに暮らしており、同じく柳沢駅が最寄りだ。千里は三駅ほど離れた場所に住んでいるが、今回は多数決の原理で、待ち合わせ場所はこちらの都合を優先させてもらうことにした。

時間通りに集合して、我々は電車のボックスシートに向かい合わせに着席した。ほどなく発車のベルが聞こえ、我々の昂揚する気分を乗せた電車がゆっくりと動き出した。

そういえばアカネさんと千里は初対面か。自分で言うのも何だが、男子というのは大概身勝手なもので、初対面の女子を引き合わせた際に女性同士で上手くやってくれるだろうと思いこむものだ。だが、タイプの合う合わないは性別に依らず、人間関係において如実に表れるものであり、本来であれば男子は積極的な仲介役に立たねばならない。だが幸い、この二人に対してはそんな心配も無用のようだった。千里の人見知りしない開けっ広げな性格と、アカネさんの良い意味での精神年齢の低さが上手く調和してか、彼女たちはすぐに意気投合した。

「なんだか初々しいわねー。お姉ちゃん、妹が出来たみたいだわ。」

「千里にとってもお姉ちゃんが出来たみたいで、テンションあげぽよです。」

「あげぽよ……?千里ちゃんは難しい言葉を使うのね。えっと、今日はヨロぽよね。」

「アカネさん、無理にギャル語を使おうとしなくていいですよ。それ確実に間違ってますから。」

露骨に千里が困惑しているので、軌道修正だけはしておいた。

「アカネさんって、なんかいい香りしますね。変わった香水とか付けてます?」

「ホホホ、さすが千里ちゃん、嗅覚が鋭いわね。」

「何だろう?こう、イランイランの花の香りみたいな。もしかしてシャネルとか?」

「ま、まぁ、それに近いものかしらね。あんまり有名じゃないやつなのよ。」

今度はアカネさんが困惑する番だった。アカネさんの香水は、言わずもがな「お花畑の後始末」だ。ブランド名で言うなら、むしろマツキヨだろう。馴染みの香りゆえ俺はもう気にしていなかったが、アカネさんのほうもいつもの習慣で、何も考えずにプシュッと振りまいてきたらしい。回答に窮するのは自業自得だ。コメカミ辺りに冷や汗を浮かべながら、苦笑いで話題変えに走る。

「えっと、千里ちゃんは、シロくんよりも学年が一個下なのよね。そうすると、うーん、シロくんのほうがお兄ちゃんか。良かったね、シロくん。可愛らしい妹ができて。」

アカネさんや、千里の視線を察してはくれまいか?ヤツの全力の睨み光線に、俺の肌は浅黒く焼け焦げてしまいそうだ。どうにも俺はこの子に敵対視されているきらいがある。先日のやり取りを含め、どうも千里は俺のせいで鏡介との時間が奪われていると思い込んでいる節がある。危惧すべき人間関係は、この対角線か。未来永劫、このラインの義兄妹関係は成立しまい。こら鏡介、便乗して手の甲を頬にあてるポーズをとるな。どうかこれ以上俺に冤罪を着せないでくれ。

電車で移動すること一時間。とりとめのない話をしているうちに、目的地に到着した。扉を出ると、その時点から軽快なメロディーが流れ始める。たかが遊園地と正直馬鹿にもしていたものだが、自分とてまだまだ遊び盛りの高校生。期待と興奮に胸が高鳴る。横の大学生を見遣ると、颯爽とスキップしながら改札へ向かっていた。千里よ、ヤツが姉で本当に良いのか?

エレメンタルランドは「科学と魔法が出会う瞬間とき」を標榜する日本有数のテーマパークだ。その謳い文句に違わず、科学をテーマとした様々なアトラクションが軒を連ね、化学元素を模した有象無象のキャラクターたちが、パーク内を所狭しとひしめいている。

「きゃー、シロくん見て見てー。ウォッキーくんがいるよー。」

エレメンタルランドのメインマスコットたる「ウォッキーモンキー」は、水分子を象ったサルのキャラクターである。酸素原子が顔の部分、両脇の水素原子が耳の部分を表している。通称「ウォッキーくん」と呼ばれ、子供を中心に絶大な人気を誇っているのだが、アカネさんや、いい歳して子供を押し退けながらウォッキーくんに駆け寄るのはご勘弁願えないだろうか。内心呆れながら横を見遣ると、何やら手持無沙汰の鏡介と目が合った。よく見ると、つい先程まで鏡介の横にいたはずの千里の姿がない。アイコンタクトをすると、鏡介も呆れ顔を浮かべてウォッキーくんのほうを指差した。再度そちらへ目線を戻すと、果たしてそこには遠目にポニーテールの茶髪が映った。従業員らしき人にカメラを手渡している。どうやら、ウォッキーくん、アカネさんに混じってスリーショットを撮影中らしい。両手のひらを頭の上に掲げたウォッキーポーズで、二人とも早くもご満悦様子だ。共にパートナーに取り残されしは、いつもの湿気た昼休みボーイズか。


「ときに、なにをそんなにキョロキョロと辺りを見回しているんだい、啓志郎。」

ともに所在なくパートナーを待っていると、鏡介が話しかけてきた。

「いや、ここはいわゆる遊園地だろう、鏡介。」

「何をいまさら当たり前のことを言っているのさ。」

「それにしてはこう、定番の乗り物と言えるものが少なくないかい?」

いわゆる。こう、ティーカップが回るやつとか、お馬さんが回るやつとかだ。

「そしてこう、いやに悲鳴ばかりが聞こえてきはしまいかい?」

「……啓志郎、もしかしてエレメンタルランドは初めてかい?」

「うむ、有り体に言えば初めてだ。」

「そうかそうか、そうだよな。さもなければ、啓志郎がノコノコと、こんなところに―――いや、何でもない、気にしないでくれ。」

「鏡介よ、『気にしないでくれ』と言われて、気にしないほうが無理というのが物の道理ではなかろうか?」

「確かにその通りだね。まぁ、僕の言いたいことは、過度に身構える必要はないということさ。こういう場所に来ると、誰しもが浮かれ気分になり、必要以上にハイテンションになって奇声を発したりするものだということさ。」

鏡介は、一見親身なフォローとは裏腹に、不敵な笑みを浮かべる。それが不安感を呼ぶ。互いに勝手知りたる男の友情。腹の内も弱点も、とっくに晒け出している。

―――不肖、冬柴啓志郎十七歳、いわゆる絶叫マシンが大の苦手である。


「シロくん、なにをボヤっとしてるの?早く行くよ。」

遠くから聞こえるアカネさんの呼び声で我に返る。先ほどまでウォッキーくんの隣にいたと思ったら、もうその五十メートルくらい先で大手を振っている。テーマパークという聖域において、女子はテレポーテーションという特殊技能を行使することができるらしい。男子が特殊条件下で三十路を迎えると魔法が使えるというのと同じようなものだろうか。

そういえば、今日のアカネさんの装いはタータンチェックのブラウスにショールを纏い、秋めかしさ満点だ。にも関わらず、お洒落な上半身とは相反して、足元はペタンコの運動靴だ。千里のほうも、それが当たり前でしょと言わんばかりにヒールの低いパンプスだ。どうやらこれが、テーマパークに賭ける女子の本気というやつらしい。人気アトラクションを目指す一直線のスプリントダッシュには、今日ばかりはウサイン・ボルトも顔負けだろう。先陣を切って颯爽と千里が駆け出した。

「皆の者続けー。山じゃー。山を目指すぞー。」

人差し指を突き上げ、進行方向を指し示す。果たしてこんな人工のテーマパークに山なんぞあるのだろうかと思いながら、千里に付いて駆けてゆくこと数分。最中、矢印付きの案内板に、ビッグ・サルファリック・マウンテンなる表示が見えた。

「ハァ。鏡介、大丈夫なのか?山だぞ。ハァ。それもビッグだぞ。ハァ。落ちるのか?落ちないのか?」

先を行くアカネさんと千里を、俺は鏡介と並走して追いかける。全く速度を緩めることのない彼女たちのペースに息も絶え絶えになりながら、俺は垣間見えた嫌な予感を鏡介にぶつけてみた。鏡介のほうは、涼しい顔して息の乱れもなく、余裕の表情をしている。

「啓志郎、人生を全力で楽しむ秘訣を知っているかい?簡単なことさ。まずは目の前に現れし困難を、ただ何も考えずに受け容れることさ。」

グイッと押し出された右手の親指。勘のいい俺は、それで全てを悟った。っていうか、笑顔で思いっきり「困難」って言っちゃったよこの人。

「ちょっと、あんまり鏡介相手にハァハァしないでくれるかしら?」

先を行っていたはずの破天荒シスターズが、なかなか追いつかない我々にしびれを切らしたのか、ペースを落としてきた。並走しながら、俺はわけのわからぬ叱責を受ける。

「シロくん、お姉ちゃんというものがありながら、浮気はダメよ。」


ビッグ・サルファリック・マウンテンは、活火山の中をトロッコ列車に乗って駆け抜ける、コースタータイプのアトラクションだ。火山の地熱で結晶化した硫黄がそこら中に浮き出ており、山全体が鮮やかな黄色に染まっている。「地獄谷」の異名を持つ箱根の大涌谷をイメージして作られているそうで、実際に箱根から仕入れた硫黄を山の着色に使用しているらしい。その本格さゆえ、山に近付くにつれ、温泉地の卵の腐ったような臭いが立ち込めてくる。アトラクションの入り口では、黒い楕円型に目鼻と手足を付けただけのキャラクターがダンスを踊っていた。

「きゃー、アカネさん、ブラック・ハンプティ・ダンプティくんですよ。超絶カワユー。」

奇妙なキャラクター名を叫びながら破天荒シスターズが駆けよっていく。確かにテーマパークに相応しいコミカルなシルエットのマスコットだが、恐らくモチーフは大涌谷の黒玉子だろう。


晴天の週末とあっては、皆考えることは一緒なのだろう。見渡す限り来場者が溢れているのは、いたしかたのないところだ。まだ十時前なのにも関わらず、ビッグ・サルファリック・マウンテンは早くも四十分待ちだった。エレメンタルランドに何度か来ているらしい鏡介と千里は、並んでいる間に一言「クイックエレメントをゲットしてくる」と言い残し、俺らの入場券を預かってどこかへ消えていった。なにやらアトラクションごとの優先乗車券のようなものらしい。去り際に、「後は若いお二人で!」などと、意味深な言葉を残して行くのが鬱陶しくも鏡介らしい。慣れた足取りで人ごみを掻き分けていくアイツらのほうがよっぽど若い。

俺とアカネさんは、ぽつねんとアトラクションの列に取り残された。秩序を保ちながらも長く先の見えない行列は、以前にテレビで見た国会の牛歩戦術のように、ひたすらにゆっくりと進んでいく。ただ列が進むのを待っているのも手持無沙汰なので、俺は何の気なしにアカネさんに話しかけてみた。

「そういえば遊園地って、アカネさんと来るの初めてですよね。」

「ん?そんなことないよ。」

「あれ、そうでしたっけ?最近行った記憶がないんですけど。」

「最近じゃないよ。ずーっとずーっと昔のこと。お姉ちゃんはまだ幼稚園の年長さんだったから、シロくんはその頃は……ミジンコかな?」

「失礼な。とっくに人間への輪廻転生を果たしておりましたよ。」

というか、俺の前世はミジンコなのか?ミジンコからいきなり人間へ転生したのか?だとしたら、なんと恐れ多い大出世だろう。ミジンコ目線からしたら、それはもうノーベル賞クラスの大層な功労だ。一方、人間目線からしたら、あまりにも屈辱的な侮辱である。くっそー。

「もちろん、物心もついてない頃だから、二人きりのお出かけじゃないよ。あのときはママ同士だったかな。うちのママと、シロくん家のおばさんと、私とシロくん。」

果たしてそんなイベントがあっただろうか。ミジンコまでとはいかないまでも、その頃俺はまだ三つ四つの鼻たれ小僧だったろうから、覚えていなくても無理はないか。

「もちろん、ここじゃないんだけどね。もっと子供向けの乗り物、そうね、メリーゴーランドとかコーヒーカップとかがあるようなところだったよ。」

それでなんとなく合点が行った。遊園地の乗り物と聞いて俺が真っ先に思い浮かべた定番品たち。それがアカネさんの挙げたモノと重なるのは、幼き日の記憶が残っているからに違いない。言われてみれば、確かにそんな場所へ行った気がする。

「でも、ちょっと困ったことになってね。ほら、私ってば昔から好奇心旺盛じゃない。だから、ふとした拍子にみんなからはぐれちゃったのよ。」

「アカネさんの昔がどうであったかは更々覚えていませんが、きっと今に輪をかけて危なっかしいお子様だったことでしょうね。」

「ニカカ、言ってくれるねシロくん。でも、そうなのよ。気がついたらママも、おばさんも、シロくんもいなくてね。みんな勝手に迷子になるんだもん、酷いよねー。」

膨れっ面をしてみせるが、ボケがあまりにも露骨なので、敢えてここはスルーしておく。

「最初はね、シロくんはさておき、ママもおばさんも大人のくせにしょうがないなぁなんて強がってたんだけどね。探しても探しても、誰も見つからなくて、これはもしや私のほうが迷子なんじゃないかと、あらぬ心配までしてしまったよ。」

普通は、ありえる心配ですよ。

「そうこうしているうちに、だんだん日も暮れてきて、気温も下がってきてね。お姉ちゃん心細くて、怖くなってきちゃったんだよ。」

「せっかくの楽しい遊園地が台無しでしたね。自分なら寂しさと悔しさで泣いてしまいそうです。それで、結局どうなったんですか?」

するとアカネさんは、一瞬キョトンとした顔をして、それから宙を見上げた。

「本当に何も覚えていないんだね、シロくん―――。じゃあ、その答えは思い出すまでの宿題にしておくよ。」

何か俺に関係することなのだろうか。恐らく記憶の片隅には残っているはずなのだが、具体的なイメージとして思い出せずにいる自分がもどかしい。

「でも、その時からかな。実は、人の多いところが苦手なのよ。それで、シロくんとのお出掛けの時には、敢えて遊園地を避けていたってわけ。」

「そうだったんですか。あ、じゃあ今日も無理して連れてきちゃいましたね。」

「ううん、大丈夫だよ。だってシロくんがいるからね。ニカカ。」

一旦突き放しておきながら、また俺の気持ちを引き寄せるようなことを言う。アカネさん、一体アナタの本心はどこにあるんですか?

アナタの右手の薬指で微笑んでいるウサギに聞いたら宜しいですか?


とりとめのない会話を二十分も続けていただろうか。列はだいぶ前に進み、前方にトロッコ列車の乗り場が見えてきた。丁度その時、遠くからこちらへ走ってくる二つの影が見えた。派手に揺れるポニーテールは否応なしに目に入る。彼らはアトラクションの入り口へ辿り着くと、後方に並ぶ人に手刀を切りながら、我々の居る所まで器用に合流してきた。

「すっかり遅くなってしまって悪いね。いやー、まいったまいった。人気アトラクションはクイックエレメントを取るだけでも一苦労だよ。なんせ、クイックエレメントを取るためだけの行列が発生してしまうのだからね。まったく、クイックエレメントを取るためのクイックエレメントが欲しいところだよ。」

「面白いことを言うな鏡介。だが、もしクイックエレメントを取るためのクイックエレメントの配布を求めて行列が発生してしまったら、一体どうするのだ?」

「そりゃ、言うまでもないだろう。クイックエレメントを取るためのクイックエレメントの配布を受けるためのクイックエレメントを発行してもらえばいいのさ。」

「だが、そのクイックエレメントを取るためのクイック……」

「やーめーちょいっ!」

妙な一喝で千里に制止される。

「お決まりのやり取り過ぎて、ツッコむにツッコめないわっ。」

「ニカカ、お姉ちゃんは、放っといたら二人がどこまで続けるのか見てみたい気もするけどね。」

「アカネさん、鏡ちんと柴ちんの飽くなき暇の持て余しぶりってやつを存じないでしょ?」

「ぞ、存じないわね。ニカカ?」

おや、アカネさんが千里に押されている。眉間にしわを寄せた千里は、ひときわ威圧感が立っている。

「こ奴ら、いま止めなきゃ、乗り物に乗ってもクイッククイック言い続けますぜー。いや、それどころか昼食時も、きっとハンバーガーか何かを頬張って、口から肉片をまき散らしながらクイッククイック言い続けますぜー。それどころか、だんだん引っ込みがつかなくなって、きっと閉園時間になって入口のゲートをくぐりながらも懲りずにクイッククイック言い続けてますぜー。アカネさん、それでもいいんすかー?」

「ニカカ。お姉ちゃん、せっかくの機会にみんなで楽しみたいから、今日みんなと交わす言葉の大半が『クイックエレメント』なのは、ちょっと寂しいかもねぇ……。」

心なしか、「ニカカ」に元気がない。苦笑いだ。

「でっしょー。そして、いつしかクイックの言い合いは、記憶力ゲームにすり替わっちゃうんですぜー。それで、先にクイックの回数を言い間違えたほうが明日の昼食のラーメンを奢るとか、そんな小まっこい取引にスゲ変わってしまっているのが関の山ってやつですぜー。」

「言ってくれるじゃないか千里。大丈夫だ、相手は不肖で不埒でふしだらなあの啓志郎だ。オトコ鏡介一本気。ここで負けようものならば、二度と故郷の地は踏めぬ。」

我が友の戯言ながら、酷い言われようだ。それに、勝負を申し込んだ覚えも承諾した覚えもない。こういうとき、大方のケースで俺は鏡介のペースに巻き込まれているだけであり、何度も言うが、俺はあくまでも冤罪なのだ。

「あ、もうすぐ私たちの番みたいだよー。」

すでに男たちの空虚な勝負から興味を失い、会話から離脱していたアカネさんが、ひときわ弾むような声を上げた。


「どうしてこんなにガッチリと体を固定されるのですか?」

トロッコに乗るや否や、両肩を固定するタイプの安全バーを降ろされ、不安になってアカネさんに尋ねてみた。

「そりゃあシロくん、安全のためでしょ。」

「安全のためのバーが用意されているということは、裏を返せば、バーがないと安全じゃないってことですよね?」

「まったくの愚問だな、啓志郎。安全か危険かという命題ならば、バーがあるから安全だ。それ以上でもそれ以下でもないじゃないか。」

後ろから答えが返ってくる。二人掛け五列で十人乗りのトロッコは、切りよく俺とアカネさんが先頭の席に案内され、すぐ後ろに鏡介と千里が乗車している格好だ。

「バカだねぇ、柴ちん。ジェットコースターに安全バーがなかったら、ダイブトゥーブルーまっしぐらじゃん。」

千里の俺に対する蔑みっぷりも平常運転だ。ところで、千里の暴言の中に不吉な単語を聞いた気がする。ビッグ・サルファリック・マウンテン、箱根の登山電車ではないのか?およそ俺の知る「電車」という乗り物には、安全バーなどついていないのだが。

首尾よく発車準備が整うと、俺らを乗せたトロッコはゆっくりと動き出した。ザ・ポイントオブノーリターン。案内役の従業員がこちらに向かって手を振ってくる。それがまるで、今生の別れのように思えた。

大げさな見た目の割には、トロッコの動きは緩慢で、発車時の速度を維持したまま山を回り込むように登っていく。時折、眼下に遊園地の全景が広がり、壮大な眺望に感嘆のため息を漏らす。千里がジェットコースターなどと嘯いていたが、所詮はトロッコ列車、案外大人しいものじゃないか。―――そう安堵したのも束の間、何やら進路が怪しくなってくる。目線の先ではレールの方向が変わり、山の頂上へ向かって真っすぐ伸びている。勾配は目算で四十五度はあるのではなかろうか?物見遊山の登山電車よ、何をそんなに急ぐことがあろうか?そんなに急上昇したら、―――嫌な予感を禁じ得ないではないか。

「シロくん、なんだか顔色が悪いわね。乗り物酔いかしら?」

隣で話しかけてくるアカネさんの横顔も四十五度なので、なんだか平衡感覚が失われて気分が悪い。返事もできずに固まっていると、やがて体が元の角度に戻っていく。ついにトロッコは山の頂上に到着したようだ。

「さぁ、啓志郎、年貢の納め時だよ。」

後ろから聞こえる悪魔のささやきと共に、今度は体が前のめりに傾き始めた。


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