【第1話】 秋晴れ ときどき アネ 破天荒
金木犀の香りがした。
長く趨勢を保ってきた晩夏の日差しもいよいよ鳴りを潜め、公園の主役が蝉からトンボに替わる頃、俺のメランコリックな気持ちなどどこ吹く風ぞと黒髪乙女は新たな季節の始まりを全力で堪能していた。それはもう、破天荒な手段によって。
「シロくん、そろそろ良い焼け具合だと思うよ。」
「アカネさん、俺には『焚き火禁止』の看板が見えるのですが。」
「ほえ?シロくんには、これが焚き火に見えるのかい?」
「逆に聞きますが、アカネさんには、これが焚き火に見えないんですか?」
「ほほう、難しいことを問いますな。果てさてシロくん、焚き火の定義とはなんであろうか?お姉ちゃんはただ、落ち葉を集めて燃やしているだけに過ぎないのだよ。」
「禅問答ですね。わかりました。百歩譲って、仮にこれを焚き火ではないとしましょう。ではこれは、一体何なのですか?」
「ずばり、のろしみたいなものね。」
思いもよらない新見解が飛び出した。
「のろしって、我々の家からたかだか三百メートルの公園で、いったい誰に助けを求めているんですか?そしてアナタは、なぜのろしの中で芋を焼いているのですか?」
「シロくん、たかが公園とあなどるなかれ。この地は、地球という名の大自然の中の一区画。壮大なマザーアースから見下ろせば、我々は自然という名の広大な大地に放り出された一介の微生物に過ぎないのだよ。そう、甚だ小っぽけな存在さ。一歩間違えば、大自然の中で帰り道を見失い、遭難生活により食料を失い、飢えと寒さとの戦いになるともを強いられることになるかもしれないぜよ。そのリスクに備えて、お姉ちゃんは救難発信と食糧確保を怠らない所存でございますぜよ。」
「いろいろ間違っていますが。なにより土佐弁の使い方からして間違っていますが。」
「そうかな?土佐弁はさりとて、のろしの意義は案外間違ってないと思うよ。だってほら、我々の救難信号を察知して、救援隊が駆けつけてきたではないか。」
そういってアカネさんが指差した方向、公園の入り口に目を向けると、いままさに制服姿のお巡りさんが自転車を止め、こちらに向かってくるところであった。背の高い痩せ形の警官で、鼻の下に蓄えたチョビヒゲがコミカルな印象を抱かせる。だがその風貌とは裏腹に、不審者を見る目で俺たちを睨んでおり、およそコミカルな状況ではなさそうではなかった。
「隠れるんだっ、シロくん!」
―――え、どこに?
いや、むしろ隠れてどうする?それよりも焚き火の痕跡を隠すほうが先決だろう。というか、すでに見つかっているからこそ、お巡りさんはこちらに向かってきているのであって、下手な隠し立ては罪を重ねるのみだろう。
「アカネさん、ここは潔く諦めて―――あれ?」
心を鬼にして罪深き乙女に改心を促そうと振り返るや、そこには影も形もなかった。一直線に舞い上がった砂埃が、かろうじて彼女の痕跡を残していた。
「あー、キミキミ、ちょっといいかい。」
俺はこの時つくづく、冤罪って怖いなと思うのみであった。
俺こと冬柴啓志郎は、都内の公立高校の二年生である。平凡な日々を送るごく普通の高校生だが、ひとつ特筆すべき点があるとすれば、幼き頃からたびたび冤罪の憂き目に遭遇してきた。冤罪、すなわち身に覚えのなき罪。それは塀の落書きやら晩のおかずのつまみ食いやら、ひいては犬の糞の不始末まで、ありとあらゆる罪状において俺は真っ先に嫌疑の対象となってきた。そして、その多くのケースにおいて、真犯人は我が姉たる秋月アカネなのである。
便宜上「姉」と表現しているが、秋月アカネは実のところ、血縁関係における姉ではない。我が家の隣に住んでいる、二つ年上の幼馴染だ。今年から都内の私立大学に通い始めた十八歳。背中まで伸びた黒髪が艶やかな大和撫子で、いわゆる「黙っていれば美人」なタイプだ。だが、その清楚な容貌とは裏腹に、いつも弟役の自分をおちょくる小憎い存在である。
アカネさんは俺の名前の真ん中ら辺をとって、俺のことを「シロくん」と呼ぶ。昔は「ケーシローくん」と呼ばれていた時期もあったのだが、気が付くといつの間にか「シロくん」に替わっていた。そのあたりの経緯はあまり覚えていない。
俺がいつもアカネさんに替わって容疑を仕向けられるのは、ひとえにアカネさんの逃げ足が速いことに起因する。肝心な時に彼女は姿を消してしまうので、その都に俺はこの屈辱を許してはなるまいと怒りの炎を燃やすのであるが、秋月アカネなるこの姉貴、比類なき叱責回避能力に長けている。何を申し上げても暖簾に腕押し、馬の耳に念仏と来たもので、毎度のらりくらりとかわされてしまうのがオチであった。
いまではアカネさんも大学生となり成人も間近であるが、アカネさんの天真爛漫さは少しも変わらない。むしろ、破天荒さに磨きがかかっているとさえ思える始末だ。そして、もはや言うまでもないのだが、この破天荒な姉に振り回される毎日こそが俺の日常なのだ。
話を公園に戻そう。チョビ髭警官に厳重注意を喰らった俺は、「またしてもやられた」という悔しさと、「またか」という諦観の両方を胸に公園内を歩き回り、木の陰に身を潜めていた姉を見つけた。彼女の頬は、リスかハムスターなどの齧歯類のように膨らんでいた。
「それで、なぜアナタは呑気に芋を食しているのですか?」
「そりゃシロくん、ここに芋があるからだよ。」
口いっぱいに芋を頬張り、彼女は喋りづらそうに返答する。交わることのない平行舌戦。俺の言葉の刃は、きっと未来永劫、彼女を捕えることはできない。
「そんなに心配しなくても、ちゃんとシロくんの分もあるから大丈夫だよ。」
「そういうことを言っているんじゃなくてですね…。」
「わかってるよ。シロくんを置いて逃げたこと、怒ってるんでしょ?」
珍しく、しおらしい態度を見せる。
「そうですよ。お巡りさんに平謝りして、なんとか厳重注意だけで済みましたけど。そもそも公園で焚き火なんて、一歩間違えれば失火で大事になるところなんですよ。」
「うーん、悪かったよぉ。でも、私だって無傷じゃないんだよ。」
そういって、アカネさんは上目づかいに目を潤ませた。このタイミングで色仕掛けか?我が姉ながら、それはあざとい。と思うや、少し違うようだ。
「お芋、思った以上に熱くって―――。ちょっとヤケドしちゃったよ。」
まさか、焚き火の中から取り出した焼き立てのイモを、素手で掴んだというのか。
「シロくんと頑張って一緒に焼いたお芋だから、どうしても護りたくて…。
お姉ちゃん、ちょっと無理しちゃった。だから、痛み分けだよ。」
アカネさんは、いまにも泣き出しそうな顔をしながら口元だけ笑みを浮かべて、涙をこらえて見せる。まずい、この顔だ。いつもこの顔に心を持っていかれてしまう。でも違う、違うだろ。痛み分けってそういう意味じゃない。正々堂々と戦い合ったもの同士がお互いに手傷を負うことだ。アナタは戦わず敵前逃亡して、自分のミスで勝手にダメージを受けただけだ。
「年上ながら、どこまでおっちょこちょいなんですか、アナタは。ヤケドがひどくならないうちに、冷やしに行きますよ。」
姉の手を引く。正確には、真っ赤に腫れた手のひらを気遣って、手首を掴む。背中越しだから良く見えなかったけど、アカネさんは小さく頷いたようだった。もう片方の手で大事そうに芋を抱えながら、俺に引かれてトテトテとついてくる。年上のくせに世話が焼けるなと呆れながらも、俺は背後から聞こえてくる小さな吐息に、心なしか安堵を覚えていた。
一日の終わり。夕食を平らげ、二階の自室へと引き上げる。
早々に宿題にも取り掛からなくてはいけないが、まずはコンポの電源を入れ、お気に入りのクラシックを流す。俺が一日の中で最もくつろげる時間だ。
勉強机の右側の窓を開けると、十五夜にはまだ早いが、見事な満月が顔を覗かせている。やさしく吹き込む秋の風と、断続的に響く虫の声が心地よい。なんだか気分が乗ってきてしまい、つい体を動かしたくなってしまう。ダメ学生の典型パターンではあるが、とりあえず一旦勉強を脇に追いやり、筋トレでもしようと思い立った。
部屋の隅には、簡易ベッドのような形状をした腹筋マシンが置いてある。高音ボイスの社長でお馴染みの通販番組で衝動買いした代物だ。今買うともう一台プレゼント―――とまではいかなかったが、値段の割になかなか使い勝手が良く、重宝している。数十回の腹筋運動がここ最近の夜の日課だ。身長はもう伸びないが、まだまだ育ち盛りの高校生。トレーニングの成果が出るのも早く、腹筋後はTシャツを脱いで姿見に向かい、引締まった自分の体を見てニヤついてしまう。調子に乗ってボディビルダー宜しく、次々とマッチョポーズを決めてみる。きっと十年後の自分が見たら恥ずかしさに悶絶すべき光景だろう。
だが、わざわざ十年後を待つ必要はなかった。今この瞬間に俺を現実に引き戻してくれる天の声が聞こえてきた。
「ひょろっちい体で、なーにかっこつけてんのよ。」
開け放たれた窓の向こうから呼びかけてくる声。言わずもがなアカネさんだ。いまどき陳腐なラブコメでもそうそうありえないベタ設定。彼女の部屋は俺の部屋と向かい合わせの位置にあり、なおかつ彼女の部屋の窓は俺の部屋の窓とほぼ同位置にある。その間隔はわずか五十センチで、手を伸ばせば十分に届く距離だ。つまり、窓を二枚隔てて俺の部屋はアカネさんの部屋と繋がっているのだ。
ゴリラのように両腕を振り上げたポーズを崩し、俺は窓のほうへ詰め寄った。
「純然たる高校生の至福の時を邪魔するとは、いささか無粋にございますよ。」
「うーん、シロくんが何に喜びを感じるかは自由だけど、乙女の部屋の窓から見える景色が男子高校生の筋トレ姿とあっては、かえって無粋じゃないかしら。好色趣味の戦国武将なら歓喜しそうなものだけどね。」
「さようでございますか。したらばこちらの窓には、ジャミーズ系アイドルのポスターでも貼っておきましょうか?」
「おお、私の趣味を良くご存じで。そんなんされたら、お姉ちゃん窓開ける度にヨダレ出ちゃいそうだよ。でも、そういうことでもないのよね。確かに姉として、弟の自由な行動を観察できるのは、手軽に楽しめるアミューズメントみたいなものよ。でもね―――まぁそれがシロくんの趣味っていうなら、お姉ちゃん無理に止めようとは思わないんだけど―――一応聞くけど、わざとやっているわけじゃないんだよね?」
俺が疑問符を浮かべているうちに、アカネさんは俺から目を逸らしてにわかに俯いた。そして、そのまま顔を上げずに呟くように言った。
「服くらい着たら?」
無言で窓を閉めると、向こう側からも同じく窓の閉まる音がした。
秋晴れが続き、翌朝も清々しい青空だった。朝食に味噌汁を啜りながらニュース番組を見ていると、馴染みの地名が耳に入ってきた。俺の住んでいるここ柳沢地区で、最近不審火が相次いでいるらしい。
「やぁね、このあたりじゃない、物騒ね。誰かが焼き芋でも焼こうとしてたのかしら。」
他意のない母の一言に、思わず口に入れたワカメを吹き出しそうになる。
支度を済ませて家を出ると、ちょうど同じタイミングでアカネさんも家から出てきた。白いブラウスと水色のスカートの組み合わせは夏から何度か見かけているが、今日はその上から薄手の茶色いジャケットを羽織っている。色合いが、なんとなく秋の装いを感じさせる。本格的な衣替えは、もう一週間くらい後になるのだろうか。前髪をカチューシャで整え、長い後ろ髪は背中までサラリと流したいつものスタイルだ。
俺と目が合うと、アカネさんはさっと片手を挙げて「やほっ。」と挨拶してきた。昨日の一件は何とも思っていないらしく、俺はほっと胸を撫で下ろした。
「すっかり空気が冷たくなりましたね。」
アカネさんに話しかけながらガレージへ向かう。家から駅までの道のりを、俺は自転車で通っている。アカネさんはバス通学だ。
「そうね。でも秋分を迎えるまでは油断できないよね。涼しくなったなーと思って夏物を引っ込めると、急に暑くなったりするんだよねぇ。」
ガレージから自転車を引っ張り出しながら、他愛のない会話を交わす。いつもの習慣だが、朝アカネさんと一緒になったときは、バス停まで自転車を転がしながら歩いていく。ものの五分くらいの距離だが、とりとめのない語らいをするには、それくらいの時間が丁度いい。
「やっぱりさ、妖怪の仕業なんじゃないかと思うんだよね。」
「前後の文脈もなく、どうしたんですか唐突に?」
「さっきの天気の話よ。夏物を片付けると、その途端に気温が上昇したりするじゃない。そういうのって、どう考えても人間に対する嫌がらせだと思うのよね。それって、どう考えても何者かの意思が介在しているんじゃないかしら。」
「それが妖怪の仕業だっていうんですか?そんな妖怪いるんですか?」
「いるんだよ。きっと祖父の田舎で出会った少年とのひと夏の思い出を忘れられずに、この時期になってなお、夏に戻りたいと願う少女の妖怪かなんかが。」
「それ妖怪っていうより幽霊の類ですよね。っていうかその少女、別に死んでないんですよね。幽霊ですらないですよね。」
「うん。でも死んでなくても幽霊にはなれるよ。何かに対する思いの強さが、いつしか肉体を離れて、生き霊としてこの世を彷徨い続けることがあるんだって。」
「なるほど、即興にしてはなかなか味のある物悲しいストーリーですね。でも一人の少女の恋心に振り回されて夏が舞い戻ってくるのは、甚だハタ迷惑ですね。さっさと成仏してほしいものです。いや、この場合死んでないから、成仏っていうのも変な話ですね。」
「そういう場合は、思いを成し遂げることが成仏になるんだと思うよ。少女の恋が叶えば、時間が正しく動き出して、正しい季節が巡り始める。」
「お、なんかロマンチックな方向になってきましたね。」
「それがハッピーエンドならね。でも、もし少女の時が止まってしまっていたらどうだろう。その少年との恋が、決して成就することのない運命だとしたら…。」
「まさか、その少年はもう…。」
「そう、とても残念なことなのだけど、その少年はね…。」
アカネさんはそこで言葉を切って、真剣な表情になった。そして次の言葉を、吐息に乗せるようにそっと呟いた。
「ホモだったんだよ。」
アカネさんは相好を崩して「ニカカッ」と笑った。彼女の口癖だ。口角を上げて唇の隙間から八重歯を覗かせる。清楚な外見が一瞬で崩壊し、そこにいたずらっ子の顔が現れる。
黙っていれば美人なのにとは何度も思うのだが、どうにも自分はアカネさんの、このしてやったり感あふれる笑顔に弱いのだ。
とりとめのない会話をしているうちに、バス停が見えてきた。だがそこで、普段と違う状況に気づく。いつもは人が並んでいるとしても、せいぜい二、三人なのだが、今日に限って人が多い。ゆうに二十はいるだろうか。
「渋滞でもしてるんですかね?」
「うーん。この分だと、バスが来ても乗れないかもしれないなぁ。何台か待てば乗れるとは思うけれど、朝一の授業には間に合わないかもしれないなぁ。はぁ、困った。まったく困ったなぁ。困った困った。」
「困った」を連呼しながら、呟くタイミングに合わせて、アカネさんはチラッチラっと僕のほうを見遣ってくる。言葉とは裏腹に、その口調は全然困っている様子ではない。彼女の目線の先は、―――自転車の荷台か。
「背に腹は代えられないですね。乗り心地は保証いたしかねますが、それでも宜しければどうぞ。」
「おおっ、なんと、その手があったか。さすがは我が弟よ。」
催促しておきながら、いかにもわざとらしい。
「恩に着ますわ、黒馬の王子様。ふつつかものですが、いざ、その背にお邪魔いたします。」
大仰な口上を述べながら、アカネさんはスカートの裾を持ち上げて、王女のようにお辞儀をした。黒馬というのは、俺の自転車の色のことか。その芝居がかった仕草が何ともアカネさんらしいなと思い、つい吹き出してしまった。
「さぁ、お時間も迫っておられますゆえ、すぐに出発しますぞ、アカネ姫。」
「姫かぁ。なんだかVIP待遇みたいで気分がいいね。ニカカッ。」
背中越しなので表情は確認できないが、きっと可愛いらしい八重歯を覗かせているのだろう。
バス停から駅までは自転車で十五分。二人分の体重を乗せた自転車は、さすがにペダルが重たい。漕ぎだしで思わずよろめいてしまい、我ながら男として少し情けない。今夜からの筋トレにはスクワットも加えることにしよう。
そのうちに、だんだんと要領が掴めてきて、上手く速度が乗ってくる。秋の日差しの中を駆け抜ける疾走感と、頬を伝っていく冷んやりとした風が心地よい。スピードの上昇とともに、俺の腰がアカネさんの腕に一層強く抱きしめられる感覚が伝わり、少し耳のあたりが熱くなる。振り向けばきっと口づけできる距離に顔があるのだろう。俺はふと、いっそ学校などそっちのけで体力の続く限りこのままどこか遠くへ行ってしまいたいと思った。
だが、俺の妄想旅行は十分もしないうちに、急遽終わりを迎えることとなる。それは完全に死角だった。駅へ向かう最後の下り坂のところに一台のパトカーが停車していたのだ。気付いた時には手遅れだった。すでに自転車は下りの勢いに乗り始めていたし、なによりもう、お巡りさんと目が合ってしまっていた。ホイッスルを吹き鳴らしながら、両手を挙げて制止を促す平和の使者を前にして、逃げるすべなどどこにもなかった。
「はい、止まって止まってー。わかってるよね?ダメだよー、自転車の二人乗りは。
―――おや、君は確かこの前の―――?」
嗚呼、幸か不幸か見知った顔だ。対峙したのは、先日の焚き火の一件で有難いお叱りを受けたチョビ髭の警察官だった。後に違反申告書類の記入で名前を知ることになるが、髭田巡査と言うらしい。
「なんだいなんだい、一見真面目そうに見えるのに、まったく君は素行が悪いね。こう何度も非行を繰り返すようなら、次は署まで来てもらうことになるよ。」
真面目そうとは余計なお世話だが、返す言葉もなく、俺は俯いて自転車を降りた。
「申し訳ありませんでした。ほら、アカネさんもさっさと降りて…あれ?」
―――軽い。
抱きつかれている感覚はあるのに、あまりにも軽すぎる。いや、確かにアカネさんは軽い。実際に持ち上げたことはないが、すらりとした体格からして、同年代女子の平均よりも明らかに軽いだろう。だが、そういう軽さではないのだ。なんというか、人の軽さじゃない。ほとんど空気といっても過言ではないような―――。
「なっ…何なんだ君は!」
後になって思えば、髭田巡査のその反応は正しかったと思う。彼が叫び出すのが先か。俺が叫び出すのが先か。卵が先か。鶏が先か。それは違うか。まぁ所詮は微々たるタッチの差ということだ。
異常事態を察知した野次馬たちによって駅前に徐々に人だかりが出来てきた。結論からいえば、俺の二人乗りの罪は撤回された。そして、さらに結論からいえば、二人乗りを咎められるだけで済むのなら、そのほうがまだましだった。結果として俺は、非行青年よりも数倍野卑な、変態高校生というレッテルを貼られることとなった。
アカネさんや、変わり身の術を使うにしてもだ。もう少しこう、あるだろう。
なぜなんだ?なぜ文字通りの「空気嫁」なんだよアカネさん。