遅咲き桜
「鴉の恩は、根強いんだよ。」
一通り話し終えた青年は本から目を話し、微笑んだ。
なんだか夢から覚めたような気分だ。
夢の中で夢をみるなんて変な話だけど。
「途中で起きちゃったみたいだね。安心してよ。僕はいつでもここにいるからさ。君が眠ればまた会える。」
そういえば確かに途中で起きたような気がする。
現実が夢のようで変な感じだ。
「ここにいる時の君は現実のことを覚えていない状態だ。でも夢から覚めればちゃんと思い出すから心配する必要はないさ。」
青年はそう言って足元に視線を落とし、何かを拾った。
つられてボクも見る。
青年が手に持っていたのは桜だ。
「桜……?桜の木なんてなかったよね?」
不思議に思い顔を上げると、先ほどまでの景色が大きく変わり、視界いっぱいに桜のピンクが広がった。
「そうだね。今度は桜の話でもしようか。」
―
春が訪れなくなった都市。
いつまでも灰色の吹雪が空を覆い尽くし、人々はいよいよこの異常な季節に嘆き出した。
それでもそんなことは少女には関係の無いことだ。
少女の灯はとてもか細く、もうこの季節を乗り越えられるほどの力を持っていない。
少女は憂いて空を見上げる。
「私はこのまま何も残せず消えていくのか。」
そんなある日、少女は雪にうずくまって静かに泣く幼子を見かけた。
心優しい少女は急いで温かいスープを持って来て、ふかふかの毛布を幼子にかけてやり、聞いた。
「どうして泣いているの?」
しかし幼子は泣きじゃくったまま。
少女は泣きじゃくる幼子の頭をそっと優しく撫でて泣き止むまで待った。
しばらくしてようやく幼子は語りだす。
「誰も彼も皆、僕らのことを無視するからボクはどうしようもないくらい独りになって消えてしまう。」
そうして今にも消えそうな声で言葉を紡ぐ。
「皆僕らの想いなんて知らんぷりするんだ。だからあの日の愛もこのまま枯れて消えてしまう。もう皆とボクの間に愛なんて存在しないんだ。」
そう言って再び泣き出す幼子の頭を少女は再び優しく撫でて口を開いた。
「君は寂しいんだね。私も一緒。独りになるのが怖いんだ。」
少女の言葉を聞いた幼子は急に泣き止み、顔を上げ、まじまじと少女の顔を眺めて言った。
「自分の命よりも儚く尊く、大事な想いと記憶。完璧な孤独によって消されてしまうそれを君は持ってる?」
少女は幼子から目を逸らした。
指先にひらり。桜の花びらがひとつ、落ちる。
「君はボクを独りにしない?」
幼子の問いに少女は、今度はしっかり目を合わせて答えた。
「私はまだ、完璧な孤独を知らない。だから、どうか君の話を聞かせて?」
少女の答えを聞いた幼子はようやく年相応の笑顔を見せた。
「どうかこのボクを紡いで。君の最期まで精一杯輝かせて。そしたら君もきっと、独りにならないから。」
それから少女は幼子から聞いた話を精一杯人々に伝えた。
春が来る前にと、精一杯。
そうして少女の小さな灯が風に吹かれて消える時、この都市を覆っていた雪は一斉に、満開の桜に変わった。
都市に春が来たのだ。
それはあまりに急にやって来たため、都市の中ではこんな噂まで囁かれるようになった。
「少女は桜の加護を持っていたのだ。」
―
余談になるが、この大都市には桜どころか緑が全く見られないような都市だったらしい。
一斉に芽吹いた桜の種は一体いつから眠っていたのだろうかね。