第伍頁 【嚆矢濫觴 ②】
「初仕事か」
事務所を出た桃矢は、わくわくするような怖いような感情を抱えてエレベーターを待った。その緊張している様子を見た創平は朗らかに笑いながら肩を叩いた。
「まぁ、そんなに堅くなんなくても大丈夫だって。俺も初仕事喧嘩の仲裁だったし」
「そうなんですか」
「うん。ってか、タメ口でいいよ。ほとんど同い年じゃん。俺だって探偵社二年目の下っ端だから」
「わ、わか……った」
「よし!」
満足そうに笑う創平に押されながらも思わずつられて笑った。丁度エレベーターが到着したので乗り込む。
通りは朝なので、まだ通行人も少なく店舗の従業員が店を開けるための準備を始めている。空は雲のない快晴で、清々しい陽気だ。
「あ、清子さん。おはようございますっ!」
【猫の目】の前で看板を出していた女性が創平の言葉で振り向いた。
昨日見かけた女性とは違う。白いシャツとパンツに黒のエプロンを着ており、艶やかなセミロングの黒髪にくりっとした瞳が可愛いが、どこか色気も感じさせる美女だ。創平に気づくと微笑を浮かべて手を振ってくれた。
「おはよう」
「今日のランチなんですか」
「フレンチトースト」
「行きますっ!」
テンション高く答える創平に彼女はフフッと笑うと、頑張ってね。と言い残して店内に戻っていった。
その後ろ姿を見送ってから、創平は満面の笑みで歩き出したので桃矢も後を追いかけた。
「はぁ、今日はついてるな」
「今のは?」
「露人清子さん。【猫の目】のウエイトレスで、もう美しすぎるだろ!」
「のぶ子さんといい美人ぞろいだな、あのお店」
「いや、清子さんは別格だ!」
熱弁する創平をみて、桃矢の中に悪戯心がもたげた。
「好きなの?」
「ば、馬鹿!お、おれなんかが相手にしてもらえるか!」
顔を真っ赤にして動揺する創平に桃矢は思わず吹き出した。おかげで初仕事への緊張は大分楽になっていた。
そうして世間話をしながら二人は探偵社のある拾区から依頼先である玖区に入った。隣の地区だが、探偵社からは徒歩でもそう遠い場所ではないので三十分もしないうちに|玖区の市街地に入った。
「そういえば、仕事って?」
「ん~。近所の住民からの依頼でさ。ここらへんで物騒な奴らが喧嘩してるって」
「そんな事でも動くんだ」
「まぁ、探偵っていっても、ようは荒事専門の何でも屋だからな」
どこかで聞いた事のある創平の台詞は男の激しい叫び声とガラスの割れる音に遮られた。
「!?」
音の方に近づくに連れてそれが複数の男達が一人の白衣の男に詰め寄っているのだと分かった。
絡まれている男の身長は、修兵と同じぐらいありそうだ。細身でひょろっとしており、無精髭に気怠そうな表情で周囲の男達を見ている。
「おい、おっさん」
「ちゃんと俺らの言う事分かってるよな。お前がかくまってるのはわかっりきってんだよ」
「隠すとろくな事ねぇぞ?あ?」
大柄で肩や首筋にタトゥーを入れた男が5人。明らかに喧嘩なれした体格に、手に持った大振りなナイフや鉄パイプが男達の危険度を高めている。
「うわぁ、ベタだ。ベタなチンピラだ」
思わずそんな言葉でつっこんでしまった桃矢の横で創平がその様子を見て苦笑していた。
「あぁ……遅かった。地区からして先生だとおもったんだよな」
「先生…………」
ちょっと首を傾げてから尋ねる。
「もしかして、喧嘩の仲裁って。あれ?」
「そう、あれ」
明らかに拳銃とかナイフ以上の危険物を隠し持っているとしか思えないのだが……。
「当麻先生は俺たちも良く世話になってる医者。腕はいいんだけど見た目ひょろいし、口悪いし、いろんな奴が治療費踏み倒そうとしたり非合法な薬奪おうと襲撃されてんっすよね」
「襲撃って……」
――喧嘩の仲裁じゃなかったの!?
簡単な任務だと言った修兵に文句を言いたいが本人はいない。
「だってあんな奴らに……」
「まぁ、まぁ。今回は桃矢は見てるだけでいいからさ」
「え!だって五人いるのに」
「余裕だろ」
軽く言うと創平の雰囲気が変わった。
■□
「よぉ、よぉ。そこのおっさんがた!!」
威勢のいい声にチンピラ達は乱入者の方に顔を向けた。その威圧感に桃矢は顔を引きつらせ、創平は変わらない笑みをみせた。どう考えても喧嘩慣れした彼らよりも創平は一回り程体格が小さい。対抗出来るような武器も持っている様子もないのに、男達の威嚇にも気圧される様子がない。
「ぁんだ、お前」
「怪我したくなきゃ餓鬼はひっこんでろ」
「うせな」
一人の男が無造作に鉄パイプを振り上げて創平めがけて振り下ろした。
【ただの餓鬼じゃねぇよ!!!】
そう叫んだ創平の声を聞いた桃矢は驚いた。まるでホールで叫んだかのように創平の声が市街地に響き渡ったからだ。吐き出された大声は音の響きから風圧になると、男の手から鉄パイプを弾き飛ばした。
「!?」
何が起きたか分からず呆気にとられるチンピラ達に創平は笑った。
「なに、異能者見るの初めて?」
「異能……」
その言葉で男達から余裕が消えた。
「化け物がぁ!」
今度はナイフを持った男が飛びかかる。一方で白衣の男は男達から距離をとると不服そうな表情を浮かべた。
「ったく、なんで紅魅ちゃんじゃねぇんだよ。俺は指定したぞ? まぁ、ハニーのように静かな女なら、なおいいが」
気怠気な言葉で言う。その言葉には助けてもらった感謝というより不満しかない。
「【うっ】【せぇ】【よ】! 【変人】!!」
空気に響く言葉は風の塊を男達にぶつけてその度に男達の身体に打撃に近い衝撃を与えていた。
もはや桃矢に入る余地はないと判断して大声に耳を塞ぎながら壁の隅に移動した。
「すごい……」
思わず感心しているとスッと影が差した。見上げると無精髭に眼鏡、白衣の男――当麻が煙草を吹かしながらたっていた。
「あの馬鹿の能力は【談論風発】――――言霊を強力な風に変えて相手にぶつける事が出来る。うるさいアイツにうってつけの能力だな」
空気を震わせる声に桃矢は再び耳を抑えながら目の前で五人の大人を相手にやり合っている創平を見た。
「俺……。ホントにやってけるのかな」
「おまえ、新人か?」
「あ、はい。昨日から使用期間で雇ってもらってる冬月桃矢です」
軽く会釈する。
「じゃあ。早くあの馬鹿をやめさせた方がいい」
「え?」
「もうそろそろ限界だ」
「え、創平がですか?」
相も変わらず大声と風を振りまいている創平は微塵も疲れなど感じさせていない。むしろ、最初よりもテンションが上がって声の威力も大きくなって来ている。
しかし、当麻は首を振った。
「違う。別口だ」
「?」
意味が分からず聞き返そうとしたが当麻は煙草の煙の中に隠れてしまった。そんな桃矢の横に気配を感じて見ると見覚えのある優男が立っていた。
「おぉ、やってるねぇ。創平くん」
「た、鷹人さん!」
その声に気づいた創平も振り返った。
風にもみくちゃにされた男達は攻撃が止んだのを見計らうと必死に武器を拾い上げ創平から距離をとった。
こんな目にあっても逃げない彼らに感心さえしてしまうがそんな桃矢の心情など関係なく創平が叫んだ。
「狗木先輩!出社もしないでこんなとこでなにやってんすか!サボリっすか!?」
堂々と宣言された言葉に若干頬を引きつらせながら首を振る。
「サボリって、仮にも俺先輩だよ」
「一応先輩って呼んでるっすよ」
「……一応ね、うん」
ちょっと傷つきながらも鷹人は大げさに手を広げた。
「いやぁ、ちょっと今日は会社なんて閉鎖空間に赴く気になれなくて、気の向くままに路地を散歩してたんだけど」
「……それをサボリって言うんだよ、バカヒト」
ボソッとつぶやかれた当麻の言葉を聞こえない振りをして続ける。
「ちょっとした喧噪が聞こえたからここに来てみたら見覚えのあるひよっこが大騒ぎしてたから注意してあげようと思ったわけ」
「?」
鷹人のいってる意味が分からず首を傾げる。
「忘れてるみたいだけど。創平。今日は金曜日だからね?」
意味有りげに言った言葉で創平の顔が若干青くなるのと、襲撃者男達の背後の建物のドアが開くのが同時だった。
「やば……。忘れてた」
青ざめた創平の一方で、沈黙した相手に再び闘志を復活させた男が怒りの表情を浮かべていた。
「てめぇ、【異能者】だからって調子のってんじゃねぇよ!!!」
喚いた男が懐から取り出したのは大型の拳銃だった。明らかな改造銃で、闇市で出回っている物よりも威力も危険度も違う代物だ。
しかも構え方からかなり扱い慣れているようで、この距離では外すわけが無い。
絶体絶命のピンチに逃げようとする桃矢だが、どうも周りの人間の危機感の無さに違和感を覚えてふみ止まった。
「ど、どうして逃げようとしないんですか!」
「逃げる必要ないから」
「え?」
聞き返して鷹人に銃が効いていなかった事を思い出す。
「あ、あんたはいいかもしれないですけどねぇ!」
「嫌。そうじゃなくて」
「は?」
思わず顔をみた桃矢は本当に恐怖を感じていない鷹人を見た。
鷹人の顔には、銃に対する恐怖など無い。それどころか浮かんでいるのは相手に対する哀れみの表情だった。
「なんだよ、てめぇ!その顔!」
鷹人の表情を馬鹿にしていると感じたのか銃口がサッと鷹人の眉間を狙った。
「あぁ~あ、ナイフでやめとけば怪我無く警察行きだったのに……」
「?」
「ホント……ご愁傷様」
「……なにいってやが――――――――
男の言葉は声にならない悲鳴で途切れた。
背後から現れた男が流れるような動きで銃を持っている男の手を反応する間もなくひねり上げたのだ。あまりの速さで拳銃を握っていた指が動きについていけず鈍い音と一緒に関節が歪な形に折れた。
「あだ、い、がッ!!!」
男の悲鳴に動じず腕をひねる男は静かに口を開いた。
「創平――――」
「はいっ!」
「病院の前では静かにしろ……」
「はい!すんません!!」
「いつもなら拳骨だけど……。まぁ、今回はもっと不届きな奴がいるからいいや」
その言葉に創平は安堵のため息をつく。
「て、てめぇ……」
腕をひねる男を睨んだがその口が一瞬ニヤッと歪んだ。
――――――――ダンッ!!
銃声が響き、抑えていた男の脇腹から血が飛んだ。
「!?」
衝撃で手を振りほどいた男は、もう片方の手に隠し持っていた小型の拳銃を見せびらかす。しかし、潰された手は指の骨がいくつか逝ったのか苦痛に顔を歪めた。
「よくも右手潰しやがって、このおっさん……」
「あぁあ」
「やっちまったな……」
「え、ちょ! 撃たれ__!」
目の前の光景に慌てたが男がうたれたのに平然としている創平や鷹人に叫ぶ。
「落ち着け」
「だ、だって」
「まぁ、見とけよ。桃矢。探偵社でも上位の異能だ」
「え?」
鷹人の言葉の答えは撃たれた男が発した。
「いってぇなぁ……」
その言葉と同時に男が動いた。桃矢の目で追えたのは一瞬。次の瞬間には拳銃は吹き飛ばされ男は宙を舞っていた。
「ぐがっ、が!」
怪我などないように平然と動く撃たれたはずの男に相手は愕然とした。
「う、嘘だろ。お前、確かにうって……」
「安い鉛一発じゃ死なねぇよ」
男、東郷大地は穏やかな表情で笑ってみせた。しかし、その表情は桃矢が昨日探偵社で見た笑みとは同じようで全く別のものだった。見つめられたものは、心臓を掴まれているような静かな恐怖を感じていた。
思わず目をそらした桃矢は、大地の脇腹にあった銃口の傷が癒えていくのに気づく。
「消えてる……」
「大地さんの異能は、身体能力の強化と速い回復。肉弾戦なら探偵社でもトップクラスだ」
――異能探偵社所属。東郷大地。拳銃嫌い。
「とりあえず、この馬鹿げた武器を使えないように腕一本ぐらいいいよな?」
そう言った男、大地の穏やかな笑顔から放たれた鋭い殺気に当てられ、男たちの顔から完全に血の気が消えた。
――異能探偵社所属。東郷大地。異能――――【国士無双】
【資料04】
■当麻/トウマ 【男/36】
探偵社常連の闇医者。無精髭に白衣で終止気だるそう。腕はいいが性格に多少難ありで、女性には優しいが、男性に対して当たりが強い。
こんなんでも彼女はいるらしく、溺愛している。