第二十二頁 【一心同体 ②】
__暗い。
地下へ続くらしい通路に入り込んだ紅魅が抱いた第一印象はこれだった。
満足に明かりらしい明かりはついておらず、備え付けの照明はあったが、電球がはまっていないため役に立たない。
アジト内全ての探索を終えて、残るはこの扉の内部のみ。
ここに間違いなく禅十郎がいる。
歩を進める紅魅は、この空間の空気に驚いた。
暗く冷たく、湿気を含んだ空気。
そして、屋内からはするはずのない匂いも感じ取っていた。
――雨……?
外は雲はあるとはいえ、晴れた昼の陽気。
そんなにおいなどするわけがない。
しかし、その否定は数秒後には身体を濡らす現実になった。
激しいとまでは行かないが小さな水滴が小雨となって屋内である通路に降ると言う非現実的な暗い空間。身体が濡れてきたために煙に変わる事は難しくなり、異能を解除する。液晶端末を明かり代わりにする事も出来たが、そうすれば敵に自分の位置を伝えるようなものなので、明かりなしで壁を伝いながら歩く。
しかし無造作に一歩踏み出すと右手に触っていた壁がなくなり、手が空を切った。
そして、足下から水を弾いた音が響いた。
「――水!?」
思わず呟いた瞬間だ。
――背後の空気が揺らいだ。
「ッ!!!!!」
紅魅が反応するのと彼女の胴を黒い刃が通り抜けるのが同時だった。
「人を尋ねるならノックぐらいしてくれよ」
紅魅の背後に立つ影が笑った。
「マナー違反だろ」
もはや姿を隠す意味はない。紅魅の手の端末が光り、暗闇にぼんやりと外套を纏った禅十郎のシルエットが映し出された。
「……突然背後から人を斬るのはマナー違反じゃないっての?」
数歩、身をひきながら紅魅が呟いた。
禅十郎の刃によって服と脇腹が裂けたが幸い傷は浅い。
その様子を禅十郎は不思議そうに首を傾げた。
「おかしいな、身体を真っ二つにするつもりだったんだが?」
「おあいにく、あたしに物理攻撃は聞かないんでね」
「そうか、まだ花ちゃんの雨に濡れてない胴だから霧化できたのか。急ぎすぎたね」
倒せなかった事に動揺するどころか冷静に分析する禅十郎に紅魅は苛立った。
「あんた、今の状況知っててこんな暢気なの?」
現に、表は混乱を極めている。
しかし、禅十郎は顔色一つ変化させない。
「あぁ、【亡霊】に身を置いている以上、これぐらい自分で対処するべきだ」
その言葉には信頼とは違う調子が感じられて紅魅は眉をひそめた。
「……あんた、それでも一組織のボスなの?」
「なにか勘違いしているようだな」
「は?」
「俺は確かに【亡霊】のボスだ。しかし、他の奴らは勝手に【亡霊】を名乗り、俺の下で働いているだけだ」
「??」
「理解で来ないみたいだな。【亡霊】は本当の亡霊なんだよ。いる事が分かっていても信じられない、見えない、わからない。それでも影に存在して恐怖を与える。……俺はあの人が作った組織を潰したくないだけなんだ」
「あの人――?」
「心の底から尊敬してたのに、私情で組織を辞めたあの人……」
言葉の後半はまるで遠くを見るように焦点が定まらず、独り言のように呟いたので紅魅も完全に聞く事は出来なかった。
その間も屋内の異様な雨は霧のように降り続いており、紅魅の身体は完全に濡れた。これではもう煙に変化する【五里霧中】は使えない。
軽く舌打ちをすると、まるでそれを待っていたように禅十郎の焦点がスッと紅魅にあった。
「で、君は偵察に二人で俺の巣穴に潜り込んできたわけ?」
全て見通したような言葉に紅魅の表情が強ばった。同時に死角になる背後の暗闇から修兵が飛び出した。両手に構えられたナイフが正確に禅十郎の急所を狙う。
が、その攻撃は禅十郎の腕の動き一つで防がれた。
禅十郎の前に立ちはだかる黒い盾によって。
「っ!」
鋼鉄の壁に打ち当たったような衝撃が手に走り、修兵は顔を歪めた。
「生憎、この空間で死角はない」
「私がいるからね!」
殺伐とした空間に場違いな明るい声が禅十郎の外套の影から響いた。
ひょこっと顔をのぞかせたのは花だ。
「花ちゃんの異能はちょっと変わっててね。【雨降小僧】っていって、一定空間に雨を降らせ、水に当たった物を感知出来る異能なんだ」
禅十郎に頭をなでられ花は嬉しそうに笑った。
「なるほど、俺が隠れてたのも全部分かってたって訳か――」
修兵が苦々しく言った。
「そういうこと。そして、終わりだ」
紅魅の端末でぼんやり浮かぶ禅十郎の表情がフッと歪んだ。
「――――ッ!!!」
それは唐突だった。
修兵と紅魅の表情が苦し気に変わる。
口を開いているのにまるで水中にいるかのように息が出来ない。
部屋の酸素がなくなっているわけではない。現に禅十郎や花は平然とした表情で喉を抑える二人を見つめている。
「あははっ、異能探偵社でもあっけないもんだね♪」
再び暗闇に現れた第三者の声はそう言うと禅十郎のそばに立った。
薄明かりでもわかる赤いショートヘアの男は倒れた修兵と紅魅をつまらなそうに見つめた。
「俺は瀬良悠真。ほら、逃げ出した人殺したの俺なんだよね。暗殺担当って奴?」
「……ッ!」
「ア、ンタ……」
掠れ声で悠真に詰め寄ろうとするが紅魅の腹に禅十郎の蹴りが入り壁に叩き付けられた。
「ガッ!!」
身体を襲った激しい衝撃に苦痛の声が漏れる。
「【五里霧中】……。身体を煙に変えて物理攻撃を無効化出来るってのは魅力的だが、こうして能力が使えないと無力だな」
禅十郎の言葉に紅魅は身体の痛みに耐えつつ睨みつけた。
しかし、悠真の【生殺与奪】によって奪われた酸素が確実に紅魅と修兵の命を弱めていた。
「……………悠真、あとは任せる」
「はいはいー」
興味を無くしたように背を向ける禅十郎に悠真は軽く答えた。
そして、修兵の前にしゃがむと苦しむ修兵の顔を眺めて微笑んだ。
「さって、ここで終わりだね。異能探偵社なんていうから期待してたけどやっぱ俺の異能の前じゃ誰もが無力なんだ。あとは大人しく死んで」
「………………大人しくは、無理、だな」
「あ―――――――
それ以上悠真が言葉を発する事は出来なかった。
首筋に一閃した銀色の線、そこから一瞬遅れて悠真の肩から血が吹き出した。
まるで焼けた鉄を押し当てられたような激痛。斬られた肩を手で押さえながら、悠真は平然と立ち上がった修兵と紅魅に唖然とした。
「だっ、なんで!!おばえら、がっ!!!」
痛みで思考が混乱している。
「わからない奴だね。そこは俺の異能の範囲内だよ?」
軽い声に悠真はハッとした。
振り返るとすぐそばに鷹人が立っていた。
「またお前か――――」
「全く、異能に頼りっきりの奴ってのはこれだからいけないね」
「ちょっとは修ちゃん見習ってみたらッ!!」
その言葉と同時に顔面に拳がねじ込まれ、悠真は頭を打ち付け、昏倒した。
「なんで……ここに」
不思議なそうな花の声に鷹人は笑みを浮かべた。
「君の能力が雨を降らせて人を感知するってことはもう知ってる。けど、俺の周りは異能不可。君の異能に僕は感知出来ない。当然アンタの影もね」
「そうか……」
一瞬考えるような沈黙。
「ならしばらく休んでくれ」
言葉と同時にいままで鷹人たちが光源としていた紅魅の端末が砕け散った。
「!!」
唐突に訪れる暗闇にすぐさま身構えるがそれよりも数秒速い衝撃が鷹人の身体を襲った。
「ガッ!!!」
鳩尾に蹴りを入れられた事は分かったがガードに入るのが遅かった。
「鷹人!」「狗木!!」
しかし、完全な暗闇でうかつに動く事が出来ない。
長年の訓練で二人とも微かな明かりでもかなり周囲の状況を把握する事が出来る。だが、そのわずかな光源が唐突に失われ、今まで働いていた視野では足りないのだ。
「異能無効は厄介だが、どんな優秀な異能者も意識を失えばただの人間だ」
「____ハッ、まぁ、そうだね」
倒れた衝撃で頭を打ったので今にも意識を手放しそうな状況で鷹人は自虐的に笑った。
「だから、あとは……任せる」
完全に意識を手放した鷹人。
その様子を見ていた禅十郎 の外套のポケットから光とともに明るい電子メロディが流れ出した。
何かと自らの端末を取り出すとそこには”冬月”の文字が浮かんでいた。
「ぜんじゅうろー!!!!」
その意味を理解するのと花が叫ぶのはほぼ同時だった。
「後ろ!」
「!!!!」
瞬時に振り返った禅十郎。その目の前に光に照らされた桃矢の顔が浮かんだ。
そこで禅十郎は理解した。
――奴らは全て囮か。それまでずっと狗木の異能範囲内で身を潜め、その異能が破られると同時に油断した俺に一撃を加える。
獣に変化した手を禅十郎に突き出しながら桃矢の脳裏に数分前、部屋に侵入する前の会話がよみがえった。
――でも、ここ明かりなんてないですよ。どうやって黒尾殴れって言うんですか!
――お前なら分かる
――なんですかそれ!
――いいから桃矢は先輩の言う事ちゃんと聞いて、やることやんな。元【亡霊】だからこそ出来る事があるんだよ。
――鷹人さん……。
倒れている鷹人が一瞬頭をよぎったが桃矢は迷う事なく振り上げた腕を禅十郎に向けた。
目の前に迫る凶器にも禅十郎は微笑んでいた。
――よくやったよ、桃矢
――だが、
「お前じゃ俺には勝てねぇよ」
ここは暗い影の空間。いわば、この部屋すべてが刃。
飛びかかる桃矢を迎え撃つように影鬼が桃矢に襲いかかった。
――そう、俺だけじゃ勝てない……。
――だから。
桃矢の纏う空気が変わった。
今まで凶器だった手の変化が消え、元の手に戻るとその変わりその両手に激しく輝く炎がともった。
「オレがやってやるよ!!!」
――自分の意志で櫻を!?
驚きが禅十郎に絶対的な隙を生んだ。
精神の揺らぎは異能にも現れる。弱まった影は櫻の炎の輝きに消された。
一瞬。
しかし、その一瞬。禅十郎の前に一切の盾が消え失せた。
――ほらよ、美味しいとこはやるよ。桃矢。だから、ちゃんとやれ
――お前はオレだからな
炎の煌めきを纏ったまま桃矢の腕に再び刃が宿った。
「お"お"おあああああぁぁぁぁあ!!!!!
渾身の叫びと共に桃矢の拳が禅十郎の頬を捉え、その身体を吹き飛ばした。




