第十六頁 【無為無策】
むい-むさく【無為無策】
①なんの対策も方法もたてられず、ただ腕をこまねいていること。計画が何もないこと。
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桃矢がいなくなって二日目。
桃矢に関する事も【亡霊】に関するニュースもなく、探偵社の朝は桃矢の来る前とあまり変わらなかった。
いつものように潤は仕事に出払い、大地も今日は仕事の予定だったが、怪我のせいで出来ないため事務仕事に回っている。幸い当麻の能力もあって、出血多量で若干の貧血気味ではあるが命に別状は無い。
桃矢がいなくなったことで、年長者は表立って顔には出さず仕事をこなしているが、それでも創平や徹といった面々はどこか集中力を欠いていた。
「創平、ぼけっとすんじゃない」
なにか考え込んでいた創平に向かって牡丹の書類の束が飛んでいった。
「姐さん。一応それ依頼書なんで乱暴に扱わないでくださいよ」
「あぁ、悪いね」
徹が諌めるがまったく悪いと思っていない口調だ。やはり牡丹もどこかイライラしているらしい。
「それより、また狗木先輩いないっすよ」
「あいつ、仕事入ってたか?」
「今日は無いはずですよ」
紅魅が皆の予定表と依頼書をめくりながら確認する。
「ならサボリか……」
いつもなら溜息ぐらいだが、今日は珍しく大地のこめかみに浮かんだ青筋を見て、近くに座っている徹はあわてて少し距離をとった。
「狗木ならここにいるぞ」
驚いて皆がドアを見るとムスッとしている鷹人と一緒に軍警の大貫、詩音とあまり見覚えのない軍警の男が立っていた。
「あらぁ、軍警の方が直接なんて珍しいですね。探偵社に来るなんて、また天下の軍警様には手の終えない事件依頼でしょうか?」
「てめ……」
いつもとは違う敬語に笑顔を張り付かせて牡丹が言うがその笑顔に若干引く。大貫は牡丹の事が苦手なのだ。
それでも気を取り直すと鷹人を指差した。
「この馬鹿が昨日から軍警に潜り込んでいろいろ探ってやがったからな。引き渡しに来たんだよ」
「なに言ってんです。俺は【亡霊】のアジトこと聞こうとしただけじゃないですか」
鷹人の言葉に探偵社の面々の顔が変わった。
「それが問題なんですよ」
詩音が嘆くが鷹人は全く聞き耳を持たないので大貫が助け舟を出した。
「ったく、いいか。【亡霊】は今俺らが追ってる獲物だ。てめぇら街の探偵風情が手を出していい組織じゃネェんだよ」
「そりゃ、聞き捨てならないね」
牡丹の口調がガラリといつもの快活な物に変わった。最初は止めようとした徹だが、楽しそうな牡丹の表情を見ると「俺知らない」と呟きそっぽを向いた。
「その街の探偵風情に頼ってるのはどこのどいつだい?軍警さん?」
挑発的な言葉に大貫よりもそばで詩音と男の顔が不愉快そうに歪んだ。
「あら、言ってる事間違ってる?白縫喜八郎さん」
牡丹に名前を言われて男、喜八郎は更に不愉快な表情を浮かべたがすぐに温和な笑みを見せた。
「そんなことないですよ。大鴉の縁さんに知って頂けてるとは光栄ですね」
「心にも無いお世辞は結構よ?【諸行無常】のお巡りさん?」
意味有りげに笑う牡丹の顔をみて、二人の間でただならぬ殺気が流れたのでさすがに徹があわてて牡丹を遠ざけた。
大貫も軽く喜八郎の頭を小突いて下げさせた。そして改めて鷹人を睨みつける。
「とりあえず、今回は【亡霊】に一切関わるな。分かったな?」
「園村先輩だけ借りといてよく言えるわね」
紅魅がボソッといい、その言葉にさすがに大貫もたじろぐが聞こえなかった事にしたようだ。
「とにかく!俺は釘は指したからな!!」
なんとも歯切れの悪い言葉だった。
「注意だけ言った。いいな、言ったからな?」
よくわからない念押しに皆首をかしげ、あっけにとられて帰っていく大貫を見送った。
■□
「大貫さん。いいんですか?あれ。あの狗木って人勝手に帰しちゃうし」
喜八郎は不服そうだ。
「いいんだよ」
「それより早く【亡霊】の情報集めないと」
詩音がそう言ってエレベーターのボタンを押したが、ふと大貫が足を止めた。
「どうしました?大貫さん」
「白縫。相沢ちょっと先行っててくれ」
「……はい」
大貫の様子に少し首を傾げる。
■□
再び事務所のドアが開いた。
「今度はなんですか、軍警さん」
創平が皮肉まじりに言うがその身体を牡丹が押しのけた。
その表情は先ほどの表情とは違う好奇心と面白そうな笑みが浮かんでいた。
「創平。依頼主さんに失礼だよ」
牡丹の言葉に大貫は苦笑した。
――だからこの女は苦手なんだ……。
「ここからは俺個人としてなんだが……。嫌、俺でもないな」
その言葉を合図にしたように再び事務所のドアがあくと、そこには10歳ほどの少女が立っていた。
みな知らない少女に首を傾げたが、牡丹だけ見覚えがあり思い出したように言った。
「あなた、病院に入院してた子だね」
コクッと頷く。
「この子は?」
「……数日前に陸区で暴行事件があったの知ってるか」
大地が暴れた次の日のラジオニュースで確かそんな事を言っていた気がする。
「犯人はまだ捕まってないって言う奴ですね」
「【陸区】の路地裏で複数の男が重傷で倒れていた事件。この子はその事件の被害者で目撃者だ」
「被害者?」
その事件の被害者はその男達だ。
「男達は彼女を攫おうとしていた人買い組織【黒蜥蜴】の下っ端構成員だった。彼女は奴らに攫われそうになったところをちょっと前までここにいた餓鬼に助けられた。その時は逃げるのに必死でそいつらや冬月がどうなったかまでは分からなかったらしいが、結果はあれだ」
男達は全員重傷。
桃矢か――櫻がやったに間違いない。
「必死で逃げ切ったとか言ってたやつか……」
「逃げるどころか半殺しね」
「で、なんだ。この子だ」
大貫の言いづらそうな言葉に首を傾げた。その言葉を補うように少女は息を吸い込むと牡丹に近づいた。
「ここはお願いすればなんでもしてくれるんですよね?」
その台詞に探偵社の面々は反応した。
「七瀬ちゃんに聞いたの。アタシを助けてくれたお兄ちゃんの事。お兄ちゃんアタシが攫われそうになった時助けてくれたの。前に今の仲間の人に助けてもらったからって、見ず知らずの私を……」
その言葉に鷹人が唇を噛んだ。
「お兄ちゃん、仲間って言った時すごく嬉しそうだった。目の前に怖い人がいるのに。それになにかあったら探偵社を頼れって言ってくれて。なのに七瀬ちゃんがお兄ちゃんは悪い人たちといっちゃったって」
「自分でだけどな」
創平が投げるように言ったが大地に睨まれて黙った。
皆心の底では分かっているのだ。
「あの馬鹿の思考は分かりやすいんだよ……」
徹がぼそっと呟いた。
「だから、あのお兄ちゃんを助けてあげて!」
黙っている鷹人達に向かってしびれを切らした大貫が叫んだ。
「聞こえないのか? 依頼だ!」
その言葉に創平が呆気にとられたように大貫を見た。ばつが悪いような顔がみるみる赤くなっている。
「大貫さん……さっき関わるなっていったじゃないっすか……」
「言った。けどそれはお前ら個人としてだ」
「……」
「これはお前らの仕事だ」
その言葉に皆フッと吹き出した。
「よし、仕事だ!」
大地の言葉で静かだった事務所が動き始めた。
「じゃあ、くれぐれも軍の邪魔はするなよ。あ、あと。これが修兵の仕事先だ。役立つだろ」
メモを残すとドアに手をかけた。
「お礼は言わないよ」
牡丹の言葉に大貫は手を挙げる。
「俺はただ探偵社に行きたがってた市民を連れて来ただけだ」
「ただ、これであの借りはチャラだ」
「ちょっと足りないけど。いいことにしてあげるよ」
牡丹の言葉に苦笑したが何も言わず事務所を出て行った。
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「ったく。大貫さん、いいんですか?」
外で待っていた詩音が早速聞いて来た。喜八郎はすでに帰っていない。
「なんのことだ?」
「あの被害者の子連れて来たあたりから察しついてますよ」
とぼけたが詩音の言葉にフッと笑った。
「黒尾を恐れて万全になるまで動かないような腰抜けの上連中よりあいつらのほうがずっと上手くやれる」
「そうですかね?」
詩音は探偵社のビルを一瞥してから大貫のあとを追って歩き出した。
「……【影】って組織の事知ってるか?」
「あぁ、三十年くらい前に結成された裏組織ですよね。……でも【影】は幹部連中が崩れて解体。その残党の黒尾を中心に結成されたのが今の【亡霊】。それがなんですか?」
「その【影】を崩したのは異能探偵社だ」
「……」
「まぁ、実際に潰したのは社長やその腐れ縁どもだが、今の若い奴らも実力は十分。【亡霊】が相手だろうと関係ネェだろ」
大貫はそう言って笑うと煙草をふかした。
「……上はどうも【亡霊】を利用したいみたいだからな」
そう呟いた言葉は詩音に聞かれる事無く消えていった。
【資料08】
■大貫/オオヌキ 【男/58】
軍警に所属する警部。
異能探偵社とは昔から関わっており、嫌がりつつも捜査依頼や協力をしている。
上層部に反抗したりとあまり出世とは縁がない。
■相沢 詩音/アイザワ シオン 【男/19】
軍警に所属する新人刑事。
自由奔放で気さく。仕事もなんでも深入りしない若者気質。
■白縫 喜八郎/シラヌイ キハチロウ 【男/24】
軍警に所属する巡査。
表向きは誠実なお巡りさんだが……




