黒髪の神様
真っ白のなかで私はひとり、泣いていた。
おかあさん、
おとうさん、
ことはちゃん、
もう会えなくなっちゃった
結局ひとりになっちゃった
死んだらなんにもなくなると思ってたのに
“わたし”だとわからなくなって、“無”になって、消えたことにも気付かないで消えていくと思ってたのに
こわいよぅ、さみしいよぅ…
どこまでも続く真っ白な空間が怖くて縮こまりながら壁を探して進んでも壁はどこにも見当たらない。
影もなくて、全てが白くて前も後ろも分からず、進んだ先に見える白が何なのか見当もつかない空間に恐る恐る伸ばされた手が床をぺたぺたと触る。
そんな私を視ている者がいた。
『あげは』
「へっ?」
なに!?
他にも人がいるの?
突然聞こえてきた声に辺りを見回すが、そこには誰もいない。
『あげは、こちらだ』
「っ!」
右耳のそばで囁かれた気がした。
つられるようにして右側に一歩、二歩…三歩、
ぽすっ――
「わあっ!?」
『おおっと』
何もないはずの空間で何かにぶつかって頼りなくたたらを踏んだ。
そんな私を声の主がそっと支えた。
『大事無いか?』
目の前には真っ白な服に包まれた女性が立っていた。
背景と重なって見えそうにないのにその服の輪郭や皺ははっきりと見ることができた。
きれい
ぶつかってしまった身体を少し離して顔をあげて見えたのは今までに見たこともない美貌。
日本人とは違う白い肌、バランスよく整った顔立ち。そして白ばかりの空間に映える漆黒の髪と瞳。
艶のある長い髪は日本人のものとはまた違い、瞳はつい覗き込みそうになるほど深くしかし透き通っている。
そんな綺麗で格好いいその女性は優しく微笑みかけていた。
「あの、あなたは?」
私の問いに目の前の女性は嬉しそうに頷いた。
『私は、そうだな…あげは達が“神”と呼ぶものだ』
なんとなく予想は出来ていてもそれが現実になるとなかなか「はいそうですか」とは言えないものである。
だのにこの目の前の女性の言葉はすんなりと頭に入ってきた。
神様じゃなかったら、この人はなんだっていうの
この場所はなんだっていうの
ここが夢じゃないってことが私には分かる
「か、かみさま」
『宜しくな、あげは』
そう言って手を差し出してくるというのは神様らしくない気がしたけれどそれが積もりに積もった不安を優しく溶かしていった。
「よろしくお願いします…神様」
家族を失ったばかりの私にとって神様は神様と言うより、親のように思えた。
『ここは【始まりの場所】だ』
「はじまり?」
おわりじゃなくて?
神様が空間に造り出した椅子に神様と向かい合わせに座った私はこくりと首を傾げた。
自己紹介のようなものを軽く済ませた私たちはもうすっかり親子のような長く付き合ってきた親友のような気がしていた。
勿論私が家族を忘れたなんてことは決してない。
『始まりだ。新しく始まる場所。ここで生まれた魂やここに辿り着いた魂が集まっているのだよ』
集まった魂はここから神に選ばれた新しい家族のもとへと旅立っていく。
ここは神に選ばれるのを待つ為の場所なのだという。
「へぇ…。ってことは神様は私を迎えに来たってことですか?私は神様に選ばれたってことですか?」
期待を込めて言うと神様の綺麗な手が頭にぽすっと乗った。
は、はずかしっ…
でも、ほっとする
嬉しい
『勿論さ。まあ、今回は迎えに来たという言い方は妥当ではないが』
「?」
どういう意味だろうかと思いながらも、ふむふむと頷きながら聞いていたが早速他の疑問が浮かび上がった。
「集まっているって言ったけど、ここに私一人しかいないような気がするんですけど…どういうことですか?」
その答えは単純で簡単で難しかった。
この真っ白な空間は一人ずつに与えられているのだという。
旅立つ前に他の魂と接触して関係をつくってしまうと世界やその魂に歪みが生じてしまうからだ。
「でもずっとひとりだと逆に私みたいに寂しくなったり怖くなったりして危なくないんですか?」
こんな何もない空間にいつまでも一人だったら狂ってしまいそうなのに
『それなら心配いらないよ。危険な状態になる前に神が側につくからな。そして新しく生きる場所と時間へと導くのさ』
神様ってすごいな
改めてそう思いながら、こんなに親しくしていいのだろうかとか色々思ったりしているうちにまた疑問が浮かぶ。
側につくって…
一人ずつにってことだよね…
「集まる魂ってかなり多いんじゃないですか?その側につくって、どうやって?」
『ん?ああ、私たち神は魂の数だけ存在するんだ』
「えっ」
神様と言えば一世界に一人とかじゃないの!?
そんなにいて大丈夫なの?
ぽかんとする私を見て笑った神様は質問する前にそれに答えた。
『一世界に一人というのは正しいよ。側につくのはその分身、その世界の大神が生み出す神なんだ。つまり神は大神自身。母体となる大神は世界に止まっているが感覚は彼方此方に分散しているってわけだ。大神の思う姿に自由に生み出すことが出来るから性格も多種多様…集まったら恐ろしいな。いや、恥ずかしいか!』
あっはっは、と神様。
『魂が生まれれば神が生まれ、魂が還れば神も還る。それが理』
…っ…!
何を言っても格好いい神様にその中性的な魅惑ボイスでそう言われるとどうしようもなく悶えてしまう。
「ということは前の私にも神様がいたってことですよね、神様じゃない神様が…あれ?うん……。ねえ神様、神様って名前が無いんですか?」
神様を連呼しすぎてよく分からなくなってしまい唸る。
名前が聞きたかったのはそういう理由だけでなく、もっと近づきたいと思ったからでもあった。
『ん?あぁ、名前は無いんだ。ほぼ無限にある魂の数だけ神がいるからな…考え出したら切りがないのさ』
人間らしく頭をかきながらそう言う神様にガックリと肩を落とした。
私の神様だからもっと近づきたいのに
あ、そう言えば今まで側に神様がいるなんて知らなかった
ってことは、まさか、ここから出るときに記憶を消される!?
家族との思い出も?
友達との思い出も?
いい思い出も苦い思い出も、全部?
それに、神様のことも?
私の心がじわじわと絶望に染まっていく。
瞳が光を失う前にほろほろと涙が溢れた。
声もなくただひたすらに涙が頬を伝う。
目の前の神様に見られている羞恥心よりも絶望のほうが遥かに大きかった。
『どっ、どうした!?何か気に障ったか?具合が悪いのか?』
慌てた神様がこの空間ではあるはずもないことを言っても笑うことが出来なかった。
「わ、私は全部忘れちゃうの?今までのことも、神様のことも?だから、名前が無いって言うの?………ふぇっ!?」
俯いていた私は突然神様に抱きつかれて慌てた。
む、胸がっ、胸が当たってらっしゃいますよ!すごっ、やわらかい!
じゃなくて!!え、え!?
混乱しすぎて涙なんて引っ込んでしまった。
慌てる私を余所に更にきつく抱きつく神様も混乱していた。
名前ひとつで私がその考えに至るとは思いもしなかったのだ。
『あげは、大丈夫だ、あげは。そんなに悲しまないでくれ、な?そんな意味ではないよ。嗚呼、私が悪かった。きちんと説明しなければならないのに。私が話を先伸ばしにしたばかりに、すまない。泣かないでくれ』
混乱して止まった涙がほっとして本当の意味でとまり、取り乱したことが恥ずかしくなり始めた頃腕が解かれた。
「す、すみません。家族と離れたばかりで寂しくて、取り乱しました。あの、ありがとう、ごさいます」
いつの間にか二人用のソファーに形を変えた椅子に、神様が寄り添うように腰掛けた。
『あげは、落ち着いたか?』
「はい。ありがとうごさいます、神様」
私の顔を覗きこんでその表情を確かめた神様はほっとしたように笑った。
そして何か考える仕草をしてひとつ頷き小さくてぷるんとした唇を開く。
『あげは、折角だから私に名前をつけてくれないか?』
「えっ?」
名案だと言うように得意気な表情をする神様に瞠目した。
その表情と、その案に。
大人な女性な神様の得意気な表情はどうしてそうなったのか、可愛くて。
こ、これがギャップ萌え!!!?
っ、写真撮りたい。目に焼き付けたい
何で私、男じゃなかった!?
いやでも、男だとこんな表情してもらえないかも
って何、私ってやっぱり(・・・・)どっちもいける派!?
じゃなくてっっ!!
名前だっ!!いいの!?
暴走する思考をなんとか抑え込んで神様の方を見ると、まだその表情をしてくれていた。
「っ、い、いいんですか?私なんかが」
なるべく平然と…は上手くいかなかったが聞くとその表情が期待の表情へとかわった。
『ああ。あとで説明するが私たちはこれから、ある意味長い付き合いになる。名前があった方がいいだろう。それにあげはから名前を貰ってみたいんだ。私だけの名前で呼んで欲しい。あとな、もっと話し方を崩してくれないか?私は神だかもっと親しくなりたい。嫌か?』
「いっ」
いやか、なんて…嫌なわけ無い
「嫌なわけないじゃないですか!あの、その、嫌なわけない、よ。長い付き合いになるっていうなら、いつまでもよそよそしいのは嫌だし…。でも私、ネーミングセンスないの…。それでもいい?」
大人相手に、申し訳程度よりも情けなかったが使っていた丁寧語を外すのは少し恥ずかしい。
そして神様効果なのかキラキラして見える神様の期待というプレッシャーを少しでも和らげようと断りを入れておく。
うんうんと頷く神様に寧ろプレッシャーを感じる私だった……。
「えぇと、うーん……いや、ちがう…」
格好いい感じと、綺麗な感じと、優しい感じと、大人っぽい感じと、特別な感じと……
私が知っている言葉は少なくて、更に思い浮かぶ言葉となるともっと少なくなってしまう。
「あ」
ひとつの名前がふと思い浮かんだ。
ありふれた漢字でそんなに深くない意味だけれど、それが思い浮かんだ途端私の心をぎゅっと掴んだ。
「“夜一”、でどうかな」
『ヨイチ?』
「そう。“夜”に数字の“一”で“夜一”」
そんな漢字しか思い浮かばない自分に軽く落胆しつつもそれ以外にぴったりの名前は無いと確信したあげはは大切に伝えた。
「確か“一”には“ひとつになる”っていう意味があったような気がする。今、もうそれくらいに特別になってるってことを言いたくて。それからね、私は夜が好きなの。勿論昼も好きだけど、夜のあの空気とか温度とか、よく分からないけどね、好きなの。神様の綺麗な黒髪を見て思い浮かんだ。私だけの夜。私に寄り添ってくれる特別なひとつだけの夜、………みたいな感じかな」
途中からどこか告白のような感じになってしまったけれど顔を真っ赤にしながらなんとか言い切った。
「一番格好よくて、一番素敵で一番ぴったりだと思ったの」
どうかな、と不安になって神様を見つめると神様は嬉しそうに笑っていた。
『夜一、夜一か!嬉しいよ、あげは。ありがとう!私の初めての名だ。あげはがくれた名だ。大切にするよ。ありがとう』
こうして神様は、私だけの夜一になった。