05
翌日。ロレーナは全速力で町を走っていた。眉間には若干シワがより、たれ目がちな目は気持ち上を向いている。歯が削れてしまうのではないかというほど食いしばっているその表情が、怒りを表しているであろうことは確かだった。
途中から、曲がり角を曲がるのが煩わしくなったのか、ロレーナは服が破れるのも気にせず、普段は収納している真っ白な翼を出して飛び立った。普段は人間として生活するため、魔法などに頼らないことにしているはずなのだが、どうやら今回は例外らしい。それどころではないようだ。
空から目的地である建物を見つけると、一気に急降下し着地。翼を仕舞うこともせず、その建物の扉を乱暴に開けて怒鳴った。
「ナディアちゃんが倒れたってどういうことですかッ!!」
セイレーンの力もあり、ロレーナの声で建物全体がビリビリと揺れる。下手したら壊れるかもしれない。普段のロレーナであれば、そういうことに気がつくはずなのだが、今は冷静さを欠いてしまっていてそれができない。
「落ち着きなよ、ロチェスさん」
そこへロレーナよりも先に来ていたらしいスメールチが出てきた。いつも通りの無表情で淡々とした口調がロレーナの神経を逆撫でる。
「こんな……ッ、落ち着けるわけ、ないでしょう!? ナディアちゃんが倒れたんですよ!? それに、意識がないって!!」
「美しき友情かな……って? らしくもない。冷静になりなよ。君が騒いでどうこうなるのかい?」
「…………ッ」
その言葉で、とてもすぐには冷静になれなさそうだったが、それでも怒鳴り散らすのは我慢できそうなくらいには落ち着きを取り戻すことができた。スメールチの挑発的な口調ではかえって逆上してしまう人が殆どだが、ロレーナはそうではなかったようだ。スメールチの本質を知っているからかもしれない。
「それで、ナディアちゃんは、どうして」
「残念ながら僕も来たばっかりなんだ。奥に行こうとしたらロチェスさんが怒鳴りこんできたのさ」
「それは……すみません」
口ではそう言いつつも、ロレーナはまだ苛立ちを隠しきれない口調だった。彼女がここまで感情的になるのも珍しい。それだけナディアが大切な友人ということなのだろう。
「騒がしいですね……ご家族の方ですか?」
と、そこへ見知らぬ女性が奥から出てきた。
真っ白な肌に真っ黒な髪の毛。黒目がちな瞳はどこか冷たい印象を与える。服装も白と黒で構成されており、色彩を感じさせない。不思議な女性だった。
「家族じゃないけど……君、誰だい?」
「ご友人、ですか。私は通りすがりに彼女を発見した者です。ビアンコと申します」
ぺこりとビアンコは頭を下げた。その妙な礼儀正しさに二人は調子を狂わされる。
「……えぇっとぉ、ビアンコさん。ナディアちゃんはどうして倒れていたか知っていますか?」
調子を狂わされたお陰で、逆に落ち着くことが出来たらしいロレーナは、いつも通りの口調に戻ってビアンコにそう尋ねた。するとビアンコは突然床に寝転がる。
「こんな風に、倒れていました」
横向きに寝転がりぐったりとした様子を演じて見せるビアンコ。その突然の行動にロレーナは「はぁ……」と気の抜けた返事しか返せなかった。
「どうしてか、という理由については私には分かりません」
髪や服についた埃を軽く払いつつ立ち上がりビアンコは続ける。
「最初は泥酔して寝てしまったのかと思ったのですが、アルコールの匂いもしませんでした。揺すぶっても叩いても起きないので、ここに連れてきたのです。あ、彼女はこちらですよ」
言うだけ言うと、ビアンコは奥の部屋に入ってしまった。彼女にとっては案内しているつもりなのかもしれない。中々のマイペースっぷりだ。スメールチですら彼女の空気に飲まれてしまっている。
奥の部屋はとてもシンプルな構造をしていた。小さな白い棚と、その上にガーベラのアレンジメントが飾られている。ベッドは真っ白なものがひとつあり、そこにナディアが寝かされていた。目蓋は閉じられたままで目覚める気配はない。しかし寝息は安らかだった。ロレーナはそこに一先ず安堵する。
ベッドの横に置かれた小さな椅子には五十代程の白衣の男が座っており、ナディアの手首を握っていた。脈を測っているのかもしれない。
「おー、誰が吠えてンのかと思ったがァ、おめェだったのか。相変わらずいい乳してんなァ」
「……セクハラですぅ」
「なーにがセクハラだ。こっちゃァ、おめェのことなんかこーんなちっけェときから知ってンのによォ」
そう言って白衣の男は笑った。この辺では珍しい色黒で、髪には白髪が多目に混ざっている。しかしその顔には見覚えがあった。
「ジェラルド君が老けた……!?」
「あァ? そりゃァ、俺のバカ息子だなァ」
驚いた様子のスメールチに、あからさまに嫌そうな顔をする白衣の男。ロレーナは小さくため息をつくと、それぞれを紹介した。
「この人はぁ、ジェラルド君のお父さんですよー。チェルヴィ医師ですー。セクハラが耐えませんー。こっちはぁ、パラネージェ人の商人。スメールチさんですー。無表情が直りませんー」
「オイ、セクハラが耐えねえったァどういうことだァ?」
「失礼だな、僕はこんなにも表情豊かなのに」
「……ソウデスネー」
ロレーナの投げやりな説明にけちをつける二人に、ロレーナはあえて大袈裟にため息をついてみせた。ロレーナがこんな態度をとることは珍しいことである。チェルヴィ医師が苦手或いは嫌いなのかもしれない。もしそうであるならば、話を早く終わらせたいと思っているはずだ。
「それで、ナディアちゃんはぁ、どうして」
「貧血だ」
ロレーナが言い終わる前にチェルヴィ医師は答えた。簡潔でとても分かりやすい。それが納得できるかどうかというのは別の話だが。
「なんで……ッ、ナディアちゃんはぁ、昨日の夜私たちと一緒にいたんですぅ。貧血なんて素振り、全く……」
「話は最後まで聞けェ。結論は貧血だけどなァ、その過程が大事だろォが。こいつが貧血で倒れるようなタマじゃねェってこたァ、俺が一番知ってンだ」
仮にも医者だからな。そうチェルヴィ医師は言った。その顔は真面目そのものだ。
「俺の考えだとよォ、こいつァ吸血コウモリって奴の仕業だろォな。似たような患者をここ最近で何回か見てる」
「でも、あれは噂話じゃ……」
「あァ。噂だ。だから吸血コウモリって仮説ってことにしとけ」
ロレーナは最近広まっている吸血コウモリについての噂を出来る限り思い出そうとする。が、そこでスメールチとビアンコが全く分からなさそうな顔をしていたので、思い出しがてら噂を説明することにした。こういうことは、考える人が何人もいた方が答えに近付きやすい。そう考えたのだ。