04
少しするとジェラルドは帰ってしまった。どうやらロドルフォに対して苦手意識があるらしく、長居したくないようだ。
「どうしよう、あたしも先に帰ろっかなー」
オレンジジュースを飲みつつナディアはそう呟いた。
「どうしましたー? なにかぁ、用事でもー?」
「ううん、用事はないんだけど……明日、朝から店番任されちゃって」
早起きって苦手なんだよね。とナディアは苦笑した。ロレーナはパン屋の娘として二十年ほど暮らしてきたため、早起きが苦ではなかった。だからナディアの悩みはわかってあげられない。だから「じゃあ、早く寝ないとですねー」と、ありきたりなことしか言えなかった。
「うん。だから帰るよ。おやすみー」
「うん? 一人で帰るのかい? 送ろうか?」
立ち上がったナディアに、ルーナと飲んでいたスメールチが気付いてそう申し出た。ウイスキーやウォッカを飲んで心なしか顔が火照っているように見える。ついでに夜風に当たりたいのかもしれない。ちなみに、隣のルーナは完全に酔っぱらっていた。呂律はうまく回っていない。ロドルフォかスメールチが家まで送り届けることになりそうだ。
「大丈夫、あたしの家すぐ近くだし! あたしよりもルーナさんを見てあげてよ。ね?」
なんて言いながら少し嬉しそうにナディアははにかんだ。それから「ばいばーい」と元気よく手を振って店をあとにする。手を振り返したのはロレーナだけだった。
「ルーナさん、大丈夫ですかー?」
「んにゅ……らーじょーぶぃ……」
「大丈夫じゃあ、無さそうですねー……」
顔を真っ赤にしてピースするルーナにロレーナは苦笑した。騎士時代の名残で普段は凛としていて格好のいい女性なのに、酔うとどうしてこうも残念なのだろうか。お酒って怖いなとロレーナは思うのだった。
「吐かれても困るし、今日はもう飲むのやめようか。おじさん、水頂戴よ」
空になったグラスを名残惜しそうにみつつスメールチはロドルフォにそう言った。恐らく、ルーナがこんな状態でなければまだ飲んでいたことだろう。一体どんな肝臓をしているのやら。
「にゃにをー! わらしは、らーじょーぶらー!」
「はいはい。もうすぐぅ、水が来ますからねー」
「しゃけもっれこーい!」
「鮭?」
シメでしょうか……とロレーナは真面目に考える。普通に考えたら『酒』が呂律が回っていないために『しゃけ』になっているのだが……どうやらロレーナにも酔いが回っているようだ。一応、カクテルを数杯飲んでいたから、それだろう。酔いが回っていなくとも、彼女ならそんなボケを真面目にかましそうでもあるが。
「まったく、ポニーさんってば飲みすぎだよね。なんでこんなに調子に乗ったんだが。明日が辛くても知らないよって話だよ」
「スメールチさんがぁ、飲ませたんじゃないですかー」
「そーら、そーら!」
「そこまで呂律が回ってないと、なんとか節って躍りを踊ってるみたいだよね」
責任逃れのためにスメールチは話を変える。しかしロレーナにその例えは伝わらなかったようだ。当たり前だ。ロレーナはスメールチのように世界を渡り歩いたことがあるわけではないので、東洋の文化には疎い。失敗した。とスメールチは心の中で苦笑した。
「今度、ロチェスさんにお土産で東洋のパンを持ってきてあげるよ」
だから、首をかしげるロレーナにスメールチはそう言ったのだった。東洋には東洋の、独自の文化があって面白いよ。そう付け加えながら。
◇
「それじゃあ、僕はポニーさんを送っていくから」
「はい。送ってくれて、ありがとうございましたー」
「流石に零時を過ぎちゃったからね。片付けも手伝わせたし」
まったく……とスメールチは背中のルーナに対して大きくため息をついた。結局、あのあとルーナは吐いてしまい、片付けやらルーナの着替えやらで大変な目に遭わされたのだ。
「僕のお気に入りのローブまで汚してくれちゃってさ……」
ルーナの嘔吐の被害をもろに食らったスメールチは少し機嫌が悪そうだった。ローブの下はいつも通り軽装なので少し寒そうだ。
「風邪、引かないでくださいねー?」
「風邪引いたらポニーさんに嫌みを言いまくるつもりだよ」
ヒヒヒ。とスメールチは口だけで笑ったが、冗談でも無さそうだった。本人曰く、根に持つタイプのようだし。
「ん……そういえばぁ、スメールチさんはどこに泊まるんですかー?」
背を向けようと体重を移動しかけたスメールチに、ふと気になったのかロレーナは尋ねた。よく考えれば、今までどこに泊まっていたのかすらも疑問だ。二年前は怪我などもあってネロの家に泊まっていることが多かったのは知っているが、今はそういうわけにもいかない。彼は今誰とも会おうとしていないのだから、泊まるなんてもっての他だ。
「おじさんの家だよ。部屋が余ってるみたいなんだ。この辺には宿もあるんだけどね……節約だよ」
そういうところは流石商人と言うべきか。この言い分ではもしかしたらそれまでは節約のためとか言って野宿をしていたのかもしれない。大きな荷物の中にはそういった道具も入っていそうだし、各地を歩いているのだから、そう簡単に宿に泊まれるわけでもないだろう。宿がどこにでもあるとは限らないのだ。
そう考えるとロレーナは少しだけスメールチのことが心配になった。しかし、心配したところで自分にできることは無いだろう。そう結論付けて「なら、よかったですー」とだけ言った。
「それじゃあ、おやすみ」
「はい。おやすみなさいー」
背を向けて歩き出したスメールチの姿が闇にとけるまで、ロレーナは家の中には入らなかった。なんとなく、そういう気分だったのだ。