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それからなんの収穫もない日々は続いた。ネロの居場所どころかその足取りすら掴めない。二年間誰とも会っていないという事実はここにきて深刻な問題だったと気付かされることになった。
しかし気付いたところで過去をやり直せるわけではない。
騎士団の呼び掛けによって吸血コウモリに襲われる人間も居なくなった今、双方の手掛かりらしきものは見つからなくなっていった。
「このパンはどこですか?」
「あの一番上の段のぉ、真ん中ですー」
平和な日常が戻ってしまいつつあるなか、ビアンコとロレーナはパン屋の開業準備をしていた。フォルトゥナーテ夫妻が焼いたパンを二人が棚へ並べていく。いつもはロレーナ一人でやっている作業であるため、二人でやると直ぐに終わってしまった。
開業時間までまだ時間がある。二人はその時間を使って次に焼くパンの仕込みを少しすることにした。
ビアンコは素人であるため、フォルトゥナーテ夫妻もロレーナも、その出来映えにあまり期待はしていなかった。素人がやっても問題ないだろうと思える工程だからやってもらおうと、そのぐらいの気持ちでいた。しかし、三人の予想に反してビアンコの手際が中々いい。その出来映えは、素人がやったとは思えないほどのもので、夫妻が真剣にビアンコを従業員に欲しいといい始めるほどだった。
「毎日美味しいパンが食べられて、料理……パンを作って生きていけるなら、是非そうしたいです」
ビアンコはそれに対し冗談っぽく笑った。もしかしたら、半分以上本気だったかもしれない。
そんなビアンコでも、昼時の目が回るような忙しさには流石に参ったようだった。
「これをロレーナさんは、いつも一人で……」
「ふふふ、お疲れさまでしたー。とりあえずぅ、一日の一番忙しい時間はぁ、過ぎましたよー」
ぐったりとした様子のビアンコに微笑むロレーナ。その手にはいつの間にかパニーノが二つあった。
「はい、どうぞー。お昼ご飯ですー。紅茶もありますよー」
「ありがとうございます」
ビアンコはそのパニーノを受け取ると一口大に一つちぎって口に入れた。
「……美味しい」
「焼きたてのパンですからねー。ネロ君のお店みたいには作れませんけどー、ネロ君のお店じゃあ焼きたての美味しさは分かりませんー」
「その人は、料理が上手なんですね」
「はいー。だってぇ、お店を一人でやってるんですからー。スメールチさんはぁ、ネロ君に胃袋を掴まれたって話ですよー」
「女に生まれていたら良かったですね」
「全くですー」
うふふ、とロレーナは笑った。そういえば、ネロは何人から何回『女に生まれていたらよかったのに』と言われていたのだろうか。そんじょそこらの女の子よりも数段上のあの女子力は、男が持っているには勿体ないと思うものだ。
「ブランテ君もぉ、ネロ君に胃袋をがっちり掴まれててー、ネロ君が女の子だったら付き合ってそうな勢いでしたよー」
そうだったら少し困りますけど、と小さく付け加えてロレーナは苦笑した。しかし、ブランテの理想の女性像はきっとネロみたいな人なのだろうとは何度も思ったことがあった。
「あ、でもぉ、クリムちゃんの胃袋はぁ、私が掴んでましたよー」
「一勝一敗ですね」
「そんなところですねー」
そして二人は顔を見合わせて笑った。なんだか可笑しな話だった。
「さて、と」
パニーノを食べるとロレーナは気持ちを切り替えるように軽くてを叩いた。
「後半戦ですよー。午後はお昼ほど忙しくはありませんがぁ、おやつ時から夕方にかけてが大変ですよー」
頑張りましょう。そう言ってロレーナはとてもいい笑顔をビアンコに見せた。ビアンコは何故か、その笑顔に嫌な予感がした。




