19
時計の針が二本とも天辺を指した頃、ロレーナはチェルヴィ家を出て一人夜の道を歩いていた。手に持ったランタンがロレーナの後ろに影を作る。夜道はとても静かだった。
ロレーナは時折歌を口ずさみながら、少し緊張した面持ちで歩く。ここから家までの距離はおよそ五百メートル。遠くはないが、あまり近いとも言えない。
そんなロレーナを影から見守る三人の影があった。スメールチとナディアとビアンコだ。三人も少し緊張したような面持ちでいる。誰も言葉を発しようとはせず、時折微かに聞こえてくるロレーナの歌に耳を傾けていた。この歌が完全に聞こえなくなったとき、作戦の第一段階が成功したことになる。
ロレーナの家まで、あと二百メートル。そんなところに差し掛かっても、ロレーナが襲われそうな気配は一向になかった。今日はもう諦めるべきだろうか。三人がそう思いかけた、その時だった。
「……ッ!? ロレーナッ!?」
ナディアが思わず立ち上がる。一瞬にして、ロレーナの姿が三人の視界から消えたのだ。よく見れば、ランタンが地面に転がり、その近くにロレーナが倒れている。
その様子を見て、スメールチも立ち上がった。ナディアがロレーナに駆け寄っている間に、スメールチは周囲を確認する。犯人が掛かったのならば、ロレーナが仕掛けた魔術が発動するはずだ。それを見逃してはならない。
「大丈夫!? ロレーナ!」
「あうぅ……転んじゃいました……」
ナディアがたどり着く前に立ち上がるロレーナ。その言葉にスメールチは耳を疑った。
「え……? 転んだだけ、なのかい? 襲われたとかじゃなく?」
「……そう、なる……と、思いますか?」
何故か疑問系のロレーナ。スメールチではなくナディア「どういうこと?」と訊ねた。
「……何かにぃ、ぶつかられたんですー。流石にここには何もありませんしぃ、今はゆっくり歩いてたのでぇ、流石の私でも普通は転びませんー……」
不思議そうな顔をするロレーナ。スメールチはそこから一つの結論に辿り着き、舌打ちをしてから悔しそうに呟いた。
「つまり犯人にバレてたってことかもね。影のできないところにいた僕たちが分かったってことは、遠くからの遠隔操作じゃないかもしれない。近くにいて、見てた可能性がある……!」
そうじゃなかったとしても、今囮作戦でこのような失敗をしてしまったせいで、もう囮作戦が使えないことは明白だった。犯人もバカではない。ロレーナに何かがあると踏んで、ロレーナを襲うことは今後ないだろう。
「……考え直し、ですねー……。仕方がありません、今日はもう遅いですからー、一度寝てから考えましょうー」
スカートについた埃を払いながらロレーナは言う。そこでふと気になったのか「ところで」と続けた。
「ビアンコさんは来てないんですかー?」
「いや、一緒に隠れてたけど? なんで?」
「だってぇ、二人は出てきたのにぃ、ビアンコさんだけ出てきませんからー……」
「それもそうだね。ビアンコちゃん? もう出てきていいんだよ?」
スメールチは今まで三人で隠れていた場所に声をかけた。しかし一向に応じる気配がない。物音もしない。嫌な予感がして、スメールチはロレーナの近くに落ちたランタンを拾い上げると、急いでそこを照らした。
「なんで……!」
ランタンの光が照らしたのは、ぐったりとした様子で横たわるビアンコの姿だった。髪の隙間から首の辺りが見える。そこには小さなコウモリ型の痣があった。
「襲われるのはこの町の人だけじゃなかったのかい? それに、光も……!」
襲われた人たちや噂を情報に立てた仮説があっさりと崩されてしまった。出てきてしまった例外。犯人は、短時間で音もなく襲うことができるということが分かったが、一体それをどう犯人探しに使えばいいのだろうか。
「……とりあえず、ビアンコさんを運びましょう。喚くのはそこからです」
ロレーナは静かに言った。その目には薄暗い怒りがあった。