15
ロレーナとルーナはいつの間にかその場で眠ってしまってい、次に目が覚めたときは、辺りはすっかり明るくなっていた。
「あァ? なんでテメェらンなとこで寝てンだァ?」
しかもそんなジェラルドの声で起きたというのだから笑えない。こっちは誰のせいでこんな状況になっていると思っているんだと、二人は文句を言いたくなった。ロレーナは心のなかにとどめ、ルーナは実際に口にしてしまったが。
「はァ? どういうことだァ?」
「あなた倒れてたのよ? 外で……帰ってこないから心配したわ」
ルーナの言葉にジェラルドは更に「はァ?」と言う。ナディア同様、襲われた自覚すら無いようだ。
「でも、ビックリしましたー。ネロ君とぉ、よく喧嘩してましたけどぉ、ジェラルド君が負けるなんてことぉ、無かったですからねー。倒れてるとは思いませんでしたー」
ロレーナは確かめるためにそんな話を始めた。ここでクリムの話題を出してジェラルドがクリムのことを覚えていなかったら、この件は完全にクリムが関わってくることになる。出来れば違っていてほしいと祈りつつ、ロレーナは続けた。
「二年前だってぇ、クリムちゃんが原因で喧嘩したときもぉ、ロドルフォさんがとめたんですよねー?」
その喧嘩が実際どんなものだったのか、ロレーナは知らない。ただロドルフォの愚痴として聞いたぐらいだ。どうしたらあいつらは仲良くなれるんだ、とぼやいていたロドルフォが印象的だった。
ロレーナの言葉に、ジェラルドは怪訝そうな顔をした。そしてこんなことを言う。
「確かにそんなことはあったけどよォ……クリムって女が原因だったかァ?」
ロレーナはなにも言わない。ジェラルドは更に「そもそもの話だけどよォ」と続けた。
「クリムって奴がいたのは覚えてるけどよォ、そいつ、どんなやつだったかァ? 俺は特に関わってねェンじゃねェの?」
やっぱり。ロレーナはそう思ったが、あえてなにも言わなかった。ここで掘り下げても、こちらが悲しくなるだけだ。しかし、事情を知らないルーナはロドルフォのその発言に噛みついた。
「なに言ってるのよ、クリムちゃんってあの魔女の女の子でしょ? あれだけ騒ぎになったんだし、騒ぎがあったからあなたが出てきて私を気絶させたんじゃないの。覚えてないなんて、おかしいわ」
「魔女ォ? 今、魔女って言ったかァ?」
ピクリとジェラルドが反応した。ジェラルドは十年ほど前に魔女に対して強い憎悪を抱いている。妹を殺す原因を作ったのは魔女だと思っているのだ。妹を溺愛するジェラルドにとって、今や魔女は見つけた瞬間殺しにいくような存在。おかしいと思ったのだろう。ジェラルドは額の辺りに軽くてを当てて目を閉じた。そして記憶を探る。
「……チッ、全然わかンねェ」
やがてジェラルドは目を開いて忌々しげに舌打ちをした。その様子を見てロレーナは悲しそうな顔をする。
「……ブランテ君が死んじゃった時にぃ、ジェラルド君はぁ、クリムちゃんに花を選ぶのを手伝わせたんですよぉ? ブランテ君に手向けるからってぇ……」
ブランテはロレーナがかつて片想いをし、そしてひっそりと諦めた相手。諦めたとはいえまだ未練が残るロレーナにとって、ブランテの話題はとても辛いものだった。しかし、ジェラルドとクリムの話題で特に印象的なものはこれしかない。
そんな思いでロレーナは話したというのに、ジェラルドは信じられないような言葉を口にしたのだった。
「……ブランテ?」
「え?」
ジェラルドは不思議そうな顔をしている。クリムの名前を聞いたときと同じような顔をしている。まさか、まさか、まさか。嫌な思いがロレーナの頭のなかをぐるぐると回る。
「ブランテ君って……エントゥージア君よね? 金髪で、ちょっと格好いい。初対面でいきなりナンパされたときは吃驚したわ。あの子っていつでもそうだったの?」
ジェラルドの表情に気付かないルーナが呑気にそんな話を始める。騎士にまでナンパをしたのか、とロレーナは呆れたいところだったが、今はそれどころではない。
「……ええ、ブランテ君はぁ、女の子にナンパするのが礼儀だと思ってるような人だったんですよー。ジェラルド君とも仲がよくてぇ、悪友、みたいなー……」
震えそうになる声をなんとかおさえながらロレーナは言う。そしてちらりとジェラルドの顔を見る。ジェラルドは本気で分からない、知らないといった風な顔をしていた。決まりだ。ジェラルドはブランテのことを覚えていない。
そう分かった瞬間、ロレーナのなかで何かがプツンと切れた。激しい感情が沸き上がり、ロレーナはそれをおさえることなく放出する。
「……ッ、なんで、ですか! ネロ君との関係は最悪でしたけど、ブランテ君とはあんなに仲が良かったじゃないですか! 確かに、ジェラルド君がネロ君にちょっかい出すからブランテ君が怒って、よく殴りあいの喧嘩してましたけど! でも、覚えてないなんて! なんで……なんで……ッ!」
派手な音をたててジェラルドの後ろの窓ガラスが割れた。セイレーンの力だ。ジェラルドとルーナも若干その被害を受けており、ジェラルドは右頬が、ルーナは左頬をが一部一直線に切れ、そこから赤い血が滲んでいた。建物全体もビリビリミシミシと揺れ、突然人外の力を目の当たりにしたルーナは思わず身を固くする。
自分に恐怖するルーナの顔を見て、ロレーナは初めて自分がしたことを知る。「あ……」と失敗を悟ったように呟くがもう遅い。割れたガラスは直らないし、ルーナに植え付けられた恐怖心は暫く、下手したら永遠に取り除くことはできない。
「……ごめん、なさい」
消え入りそうな声でそう言って、ロレーナは逃げるようにその場を後にした。
ロレーナの背中がみえなくなると、ジェラルドは大きく舌打ちをする。
「あいつがここまでキレるってこたァ、俺は相当なモンを忘れたって事だよなァ」
ブランテ・エントゥージア。今は言い慣れなくなってしまった名前を呟きながら、ジェラルドは眉間にシワを寄せた。