01
ロチェス・レイヨンは本名を教えても、己の正体が露見しても尚ロレーナ・フォルトゥナーテとして生き続けることを選択した。
エルフとセイレーンから生まれた娘。それがロレーナの正体だ。人間とは違い、背には真っ白な翼が生え、耳は人間のものより少し大きく、尖っている。彼女はありのままの姿を一度だけ、二年前に晒した。以来、町の人からは少しだけ距離を置かれてしまっているような感じがする。彼女はそれを仕方がないと、いつか時間が解決してくれるだろうと、割り切って考えていた。
いつものように朝早くにスフォリアテッレを焼き、それと一緒にフォルトゥナーテ夫妻が焼いた他のパンを店に並べる。すべてを並べ終えるとレジに立ち、客が来るのをひたすら待つ。売れてしまったパンについては、奥の工房にいる夫妻にその旨を伝え、焼き上がるとまた並べる。それが彼女の日常だ。真っ白な翼は店で働く上で邪魔になってしまうため、今まで通り猫の爪のように背中に仕舞っている。今まで己の属性である光を使って誤魔化していた髪の色と耳の形は、もう誤魔化すことをやめた。だから今、彼女は黒髪ではなく金髪である。
「それじゃあ、行ってきますー」
店番の他にも彼女には三日に一度の日課がある。
閉店時間になると、ロレーナは売り物にならないパンを持って店を出た。
「あ、ロレーナ! ついてってもいい?」
「勿論ですよー」
花束を持ったナディアに話し掛けられると、ロレーナはにっこりと笑った。そして二人で談笑しながら目的地へ向かう。
ナディア・ベルトリーニは花屋の一人娘だ。朱色のような髪の毛を一部だけ編み込んで後ろに回し、毛先はまとめて縛っている。普段は元気な娘そのものだが、二年前に一度暴走してしまったことがある。その際、ロレーナとの関係が多少気まずくなってしまったが、ある少女のお陰で仲直りすることができた。
「その花束は?」
「うん、やっぱり仲直りしたいなーって……」
ロレーナの質問にナディアは罪悪感の混じった複雑そうな表情をした。それで事情を察したロレーナはなにも言わず、ただ少し寂しそうに笑った。
ナディアが仲直りしたいと思っている相手。それはロレーナとナディアを仲直りさせた少女である。ナディアは恋に一途すぎた故に彼女に酷いことを言ってしまった。そのことを後悔しているのだ。しかし、後悔してももう遅い。その少女は二年前に死んでしまった。彼女と会話することは二度と叶わない。
クリム・ブルジェオン。それが死んでしまった少女の名だ。彼女は生命を司る不老不死の魔女だった。不老不死の魔女がなぜ死んでしまったのか。単純だ。命の対価は命でしか払えない。彼女は一人の青年の身代わりになったのだった。その青年は、ロレーナたちの目的地にいる。
「ネロ君ー? いますかー? ロレーナですよー」
「あたしもいるよ!」
ドアの前で二人は呼び掛ける。すると中から「今晩は」という声が聞こえてきた。ドアを開けずに反応するということは、今日も出てこないつもりらしい。
「ネロ君がー、餓死しちゃうと思ってパンを届けてきましたけどぉ、なんだかぁ、ネロ君の引きこもり生活を助けてるような気がしてきましたー……」
ため息混じりにロレーナは言った。そう思うのも仕方がないことだろう。何せネロは二年も家に閉じ籠ったまま出てきていない。こうして会話に応じるようになった点については進歩があったとは思うが。
「せめてぇ、私たちと顔をあわせてくれないんですかねー?」
「そうだよネロ君! 『明日から本気出す』なんて毎回言ってるけど、ネロ君の明日はいつになったら来るの?」
「そんなことを言った覚えはない」
捏造するなよ。そう言う扉の向こう側の声は少しだけ笑っているように聞こえた。これも進歩、だろうか。
「……いつも、ごめん」
ネロはロレーナが来ると決まってそう言った。申し訳ないとは思っているのだろう。だからロレーナは悪戯っぽく笑ってこう返すのだった。
「だからぁ、そうやって謝るのならー、明日は出てきてくださいねー?」
ネロと別れると、二人はクリムの墓へ向かった。
残念ながらクリムの身体は光となって消えてしまったため、ここにクリムは眠っていない。形だけの墓だ。しかし、ここ以外にクリムと話せる場所をロレーナたちは知らなかった。
「……あれ、ブランテ君のお墓、グラスが置いてあるよ?」
「……中身もちゃんと入ってますねー」
クリムの墓の隣には、クリムと同じく二年前に亡くなったブランテ・エントゥージアの墓がある。彼は戦死したと伝えられているが、真相は極一部の人間しか知らない。ロレーナとナディアは知らない側の人間だった。戦死ではないということは知っているのだが。
「カクテル、ですよねぇ……ネロ君、家から出てたんですねー」
一人でこっそり来たのだろうか。やっぱり、まだ誰かに会うのが辛いのだろうか。自分に何かできないのだろうか。そんな思いがロレーナのなかに浮かんでは消えた。結局『なにもできない』という結論で落ち着いてしまうのが分かっているからだ。
「あー、久しぶりにネロ君の手料理食べたいなー。ねえロレーナ、次会うときに駄々こねたら、ネロ君料理作ってくれないかな?」
「やってみないとわかりませんねー」
にひひと笑うナディアにつられてロレーナは思わず微笑んだ。そして、今度は違うパンを持っていって、ついでに材料も持っていって、パニーノでも作ってもらおうかと考えるのだった。