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アルマン伯爵と男装近侍  作者: 早瀬黒絵
# The second caso:Frutta proibite.―禁断の果実―
15/120

実、一口。

 





 消し去りたい事実が新聞に載せられててから約三週間。


 厳しい冬の寒さが消え、春の麗らかな日差しが降り注ぐ昼下がり。


 屋敷の居間で読書をしながら(くつろ)ぐ伯爵の向かい側でわたしは羊皮紙に向かい、なかなか手に馴染まない羽ペンや植物紙と格闘する。


 読み書きはこちらに来てからずっと勉強を続けているが未だに苦戦を強いられており、先ほど伯爵に質問された内容を図解にして書いて見せたところ、スペルミスや文法ミスが多過ぎてそこから勉強会に発展してしまった。


 羽ペンはボールペンとは違う。滑らかに紙面に文字を書くには力加減も必要だし、文字が掠れる前にインク(つぼ)に浸けなければならないし、羊皮紙よりも安価な植物紙は繊維質なので所々でペン先が引っかかってインクが(にじ)む。この滲みがあると美しくないそうだ。




「綴りが間違っているぞ」


「え、どこですか?」


「此処だ。後ろの文字が一つ多い」




 トントンと書いたばかりの単語を指差される。


 練習用に伯爵が図書室より貸し出してくれた子供向けの本で確認すると、確かにわたしが書いた方の単語は綴りが余分にある。無駄な綴りに斜線を引いてから横に正しい綴りを何度か書いていく。


 黙々と読書をしている癖に、どういう訳か書き間違えると即座に指摘が飛んでくる。


 まるで個人授業のような状況に早く終われ、早く午後のティータイムよ来い、などと内心で祈りながら羽ペンを動かしていれば、祈りが通じたかのように居間の扉がノックされる。




「入れ」




 伯爵の言葉に扉が開いた。執事のアランさんが頭を下げる。




「リディングストン侯爵家のグロリアお嬢様がいらっしゃいましたが、此方へお通ししてもよろしいでしょうか?」




 慌ててノートとペンを片付けるわたしを尻目に伯爵は頷く。




「ああ」


「畏まりました」




 執事が下がっている間にテーブルの上の物を回収して棚の中へ仕舞う。


 伯爵の後方へ立つと、青緑色のドレスを纏った美女が厚い封筒片手に入ってきた。


 柔らかなブロンドの髪は半ばから緩く巻かれ、やや切れ長で気の強そうな瞳はエメラルド。小さく形の整った鼻に少し厚みのある唇に引かれた紅の赤が白く滑らかな肌に映える。悩ましいほど豊満な体のラインはドレスの生地に隠れているものの、腰は細く、出るところはしっかり出ている。


 頭を下げようとすれば、彼女に軽く手で制される。


「挨拶は不要よ」と更に言葉を重ねられたので傾けかけていた頭を戻した。


 グロリア・シャロン=アクスファルム侯爵令嬢。代々に渡って警察の頂点に君臨し、警察という組織を束ねてきた名門貴族の御令嬢で、キースの姉君だ。


 彼女は伯爵の幼馴染みであり、御友人であり、仕事相手であり、結婚相手の最有力候補でもあったらしい。ただし両者共その気が全くなかったことで婚約話は頓挫したとか。


 グロリア様は美しい御令嬢という見た目に反して豪胆というか、男前というか――……この世界の一般的な女性にしては革新的な人だ。女性の地位向上のために、まずは身を(もっ)て女であっても爵位は継げるのだと証明すべく、日々領地経営や警察官僚などの仕事を学んでいるらしい。


 謙虚な女性が好きそうな伯爵とでは、確かにどう転んでも恋愛に(もつ)れ込むのは無理だろう。


 そういえば嫡男のキースがいるけれど、その辺りはどうなるのだろうか。


 ふと浮かんだ疑問を今の場には無関係だと頭の隅へ追いやった。


 グロリア様は伯爵の向かい側にあるソファーへゆったりと腰掛ける。


 厚い封筒はテーブルの中央に置かれた。


 扉をノックする音にアランさんが開けると、パーラーメイドがサービスワゴンを押して入る。テーブルの横で止め、お茶請けの菓子と二人分の紅茶を淹れてティーセットをテーブルへ置き、伯爵が先ほどまで使っていたティーセットを引き上げ、深く頭を下げてから静々と部屋を出て行った。


 室内には伯爵とグロリア様、執事のアランさんとわたしが残される。


 閉じた扉から微かに聞える足音が遠ざかり、グロリア様がティーセットを両手に持つ。




「貴方ならばもう分かっているとは思うけれど、今日は仕事を依頼するために来たの」




 持ち上げたカップを顔に寄せ、香りを楽しんでから一口飲む。


 それだけなのに絵画の如く優美な姿だ。


 伯爵も同様に新しい紅茶を楽しみながら、それでも視線はグロリア様に向けたまま、そのくすんだブルーグレーを静かに細める。


 そこに何か感情が揺らめいて見えた気がしたものの、瞬きの間に消えたため読み取れなかった。




「少年ばかりが失踪している件か、四肢を切断された大男の件か。そういえば、最近やけに起きている墓荒らしにも手こずっているようだな?」


「……相変わらずね。今回は一番最初の件よ」




 エメラルドの瞳が感心した様子で微かに緩む。


 伯爵はあまり好んで自ら動く人ではないけれど、情報に関してはとても聡い。毎朝目にする新聞で取り沙汰される事件だけでなく、社交の場で聞いた話や人々の様子などを元に回って来る確率の高い案件を常にいくつかピックアップしているに違いない。


 手渡された封筒には大量の植物紙が詰まっていた。


 そのうちの一番上にあるものだけは羊皮紙で、伯爵はそれを一瞥して懐へ仕舞う。


 それ以降の書類を広げて読む伯爵がわたしに背を向けたまま左手を上げて「お前も見ろ」と言いたげに指を振る。犬か。促されるままに伯爵の手元を後ろから覗かせてもらう。


 が、視線を感じてグロリア様へ視線を移すと何故かわたしを見つめていた。




「行方不明の子供達の共通点が、貴方の近侍に、セナにも当て嵌まるのよ」


「これと?」




 これ言うな。指差すのもやめてもらいたい。




「ええ、十代前半の若くて見目の良い美少年が狙われているの。セナにピッタリでしょう?」


「美少年、ですか。……旦那様、飲むか笑うかどちらかになさいませんと紅茶が零れてしまいます」




 そろそろ子供扱いは勘弁して欲しい。これでもれっきとした十七歳だ。


 この国では十六歳で成人と認められるので年齢で言えばわたしは大人だ。


 グロリア様もわたしの実年齢を知っているだろうに、からかうなんて人が悪い。


 紅茶の入ったティーカップを傾けつつ、微妙に肩を震わせている伯爵を思わず睨んでしまう。(しま)いには震える手でカップとソーサーをテーブルへ戻して口元を覆い隠し始めた。


 外国人からすると日本人は若く見えるというが、そんなに実年齢より幼く見えるのだろうか?


 元の世界の生まれ故郷では逆に実年齢より一つか二つ年上に間違われていたせいか、実年齢よりも年下扱いされるのはどうにもむず(がゆ)くて慣れない。


 もう訂正する気も起きなくて、わたしは場の空気を変えるようにコホンと一つ咳払いをした。


 伯爵は笑いが若干滲んだ声で「それで?」とグロリア様に続きを促した。


 彼女の話からするとココ数年の間に()()()()()()()()()()()()()()ばかりが大勢失踪しているらしい。当初はここ数ヶ月で起きた事件かと思っていたのだが、よく調べてみると予想以上に行方の知れない子供がいることが判明したそうだ。


 誘拐されたにしろ、自らついて行ったにしろ、目撃情報が(ほとん)ど無い。死体が出れば警察も捜査方針を決められるのだけれど、それさえ発見されていないと言うのだから捜索しようにもどこから当たれば良いのやらと困ったようだ。


 なのに分かっているだけでも事件に関わりがありそうな行方不明者の数は十数名に上り、中には貴族の庶子も少なからず混ざっていたために事件が明るみになったという話だ。


 これが被害が平民の子供だけであったなら、こうも大事にはならなかっただろう。


 捜査を依頼しようと考えた際にわたしの事を思い出し、様子も気になったので必要資料を渡すのも兼ねて直接訪問したという次第だった。




「お気遣いありがとうございます」




 誰かに心配してもらえるのは損得関係なくとても嬉しい。


 頭を下げて感謝の意を示すと彼女は「セナはわたくしのお気に入りですもの、当然だわ」と微笑む。


 横から伯爵の「我が家の使用人を勝手にお前のものにするな」というぼやきが聞こえてきて吹き出しそうになった。


 笑いを堪えたわたしに伯爵は片方だけ眉を上げ、先程とは立場が逆転したと気付いて不貞腐れた様子で読みかけの書類の表面を指先で何度も叩く。


 グロリア様も可笑しそうに笑みを深めた。




「好きなだけ警察は使ってちょうだい」


「分かった」


「お願いね。わたくしはもう戻らないと。それでは御機嫌よう」




 了承した伯爵を見てグロリア様は立ち上がる。来てそんなに経っていないというのに、忙しい身は大変だ。


 わたしを見て「狙われるかもしれないから気を付けなさい」と言うので「お嬢様もお美しくいらっしゃいます。どうぞ狼にはお気を付けください」と告げれば、とても楽しそうに「ええ、そうするわ」と笑ってアランさんの先導に伴って帰って行った。


 彼女がいなくなると居間は静まり返り、暖炉の中の炎が爆ぜる小さな音だけがどこか寂しげに響く。


 華が消えて空気が冷えたようにも感じる。




「あれは何時も騒がしくて敵わんな」




 扉を閉めたわたしの後ろから、溜め息混じりの声が聞こえる。


 視線は既に本へ落ちているけれど、その目は紙面を眺めるだけで読んではいないようだ。


 文句のわりには言葉の端々に感じる親愛の色に、素直じゃないなと内心で笑いながら同意する。




「そうですね。でも、そこがグロリア様の良い所なのでは?」


「確かに、らしいと言えばらしいが。お前同様あれも男に生まれていたら良かったものを」




 そうすればリディングストン家の跡を継ぐのも易かっただろう。


 そう、聞こえた気がした。


 女王陛下を除き、この世界では貴族の当主は基本的に男性で余程の事情がなければ女性の当主は認められない。彼女が仕事をこなしているのも、他の貴族からすると貴族の令嬢としては相応しくないものなのだ。


 貴族は血を絶やさぬために政略結婚が多い。グロリア様も婚約者がいるそうだ。どんな方かは知らないが、彼女がやがて当主になることを知った上で婿入りしてくれるらしい。素晴らしい婚約者だと思う。


 人の上に立つカリスマ性と、それに見合うだけの知識と教養を持った人。グロリア様の才覚を知れば知るほど男として生まれなかったことが惜しまれる。


 ページの端を弄ぶ伯爵の傍へ歩いていく。




「わたしは神様の存在を信じてはいませんが、そうあれかしと生を受けた以上はそれが在るべき姿だと考えております。人は誰しもその天命の中で足掻いて生きていくしかないんですよ、多分」




 だから女性故に家督を継ぐために苦労するグロリア様の身の上を(おもんぱか)って、貴方が心を痛める必要もない。それが彼女の人生なのだから。


 わたしの今の状況だってそうだ。好きで男装しているので、女性らしい格好が出来なくとも伯爵が気にする理由は全くない。


 微かに瞠目したブルーグレーが視線を上げ、それから逸らすように宙を滑る。少し苦い顔をしていた。



「……お前は物分かりが良過ぎて困る」




 困惑の滲む呟きにわたしは苦笑した。




「そうでもありません」




 天命。いや、そういう運命だった。


 その言葉はわたし自身への慰めでもある。そうでも思わなければ、誰も自分を知らない、自分が知る人もいない場所で生きてはいられない。


 不意に元の世界を思い出しては古傷のように哀愁の念で心が鈍く痛む。


 帰りたい。でも帰れない。帰り方が分からない。


 在るべき場所へ帰らなければ。だけど今すぐに帰りたくはない。


 相反する気持ちに一人枕を濡らす夜もある。


 何もかも投げ出して終わりを迎えてしまえたら、どれほど楽だろうかと考えたこともある。


 それでもこの世界にわたしの居場所が存在する限り、許容してくれる人々がいる限り、諦めずに生きてみようと思えるのは受けた恩が、優しさが、心を少しずつ癒してくれたから。


 きっとこれは起こるべくして起ったのだと自分へ言い聞かせていれば、この状況もそう悪くはない気がした。少なくとも見知らぬ土地に放り出されて衣食住に苦労しないのは幸せなことだ。




「と、言う訳で、わたしもわたしの本分をとりあえず(まっと)うします」




 つまり読み書きの練習である。羽ペンと羊皮紙を棚の引き出しから引っ張り出して広げ直したわたしに、伯爵は珍しく喉の奥から声を漏らして笑っていた。





 

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