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アルマン伯爵と男装近侍  作者: 早瀬黒絵
# The first case:Virtual image of the flower. ―華の虚像―
13/120

華、十二輪。

 



 ニコリと微笑まれ、同様の笑みを返して店内へ入る。


 掃除が行き届いた室内は物が多いながらもこざっぱりとしていた。


 女性だけかと思っていたら店の奥にガタイの良い男性が一人。会釈をすると無言で会釈を返される。夫婦なのか、それとも従業員なのかは分からないが、商品や売り上げを盗まれることはなさそうだ。


 本当に小さな店で、商品を見て回るのに大した時間はかからなかった。


 花は軒先に出ていたものと他に少ししか扱っていないらしく、店内は主に観葉植物が置かれている。


 外に出れば花の世話をしていた女性が振り向く。




「お探しの物はありましたか?」


「いえ、残念ながら。……そうだ、花蘇芳はどのような見た目の花なのでしょう? 人伝(ひとづて)に聞いたものですから、どんな花なのか気になって探しているのですが」


「うちでは扱ってませんが花は知っていますよ。低木で、枝の先についた葉はハートの形をしています。赤みの強い紫色の花は正面から見ると上に花弁が三枚あって、下に花弁と同じ色の膨らみがある変わった形のお花ですね」


「そうなのですか。きっと花が咲いたら綺麗でしょうね」


「今が見頃ですから、どこかの御屋敷の御庭に咲いていると思います。枝の上部全体に花がつくので遠目でも目立ちますし、通りからでもすぐに分かる花ですよ」


「では帰り道に大きな御屋敷の傍を通りかかったら、こっそり覗いてみることにします」




 冗談めかして笑いかければ女性も可笑しそうに小さく笑う。




「ふふ、それが良いと思います。また何時でもいらしてくださいね」


「はい、花蘇芳について教えてくださりありがとうございました」




 女性にもう一度だけ会釈をして店を離れる。


 次の店まで道を、看板を眺めて歩く。首を上に向け続けると疲れるものだ。


 少し肩の筋肉が固まって気怠くなっていた。労働階級の人々が活動し始めたのだろう。人通りの多くなった道を人を避けながら歩くものだから、なかなか次の目的地までの距離が縮められず辟易してしまう。まだ半分ほどしか進んでない。


 もう少し早く来るべきだったかもしれないと思いかけた時、不意に鼻先を甘い香りが掠めていった。


 風に乗って香る匂いに視線を向ければ、傍の脇道奥の家の軒先にひっそりと花が出ている。地図では確かこの道の先は行き止まりのはずだ。先ほどは気付かずに通り過ぎてしまったらしい。


 止まっていた足を動かして脇道へ入り、店先へ行けば色取り取りの花が綺麗に咲いている。


 しかし人影はない。一応店の扉には開店していることを示す看板がかけられているけれど、人の気配は感じられない。扉を開けて店の奥を少し覗いてみると、沢山の草花が置かれており、花屋なのだと分かる。




「すみません、どなたかいらっしゃいませんかっ?」




 やや声を張り上げて問い掛けてみても(こた)えはない。


 奥にいるのだろうか。店先に花を出したまま不用心だ。


 とりあえず一言断りの声を投げかけてから店内に足を踏み入れた。


 所狭しと置かれた植物達は瑞瑞(みずみず)しい花を綻ばせているが、静かな店の雰囲気のせいか物寂しげに見える。予想に反して中に入っても店の者は出て来ない。


 何とはなしに身を乗り出してカウンターの奥を見やって息が止まった。


 赤みがかった紫色の花が枝に咲く小さな花束が人目を忍ぶように隅へ追いやられている。枝の先には数枚ハートの形をした葉がついており、花は正面から見ると上部に三枚の花弁、下部に同色の膨らみがある。恐らくそれが花蘇芳なのだと見当がついた。


 大通りの喧騒から隔絶された店の雰囲気にハッと我に返った。


 ここはまずい。人気がなさ過ぎる。


 頭の中で鳴り響く警鐘に後退(あとずさ)った瞬間、鈍い衝撃が頭を襲う。


 続いて後頭部がカッと熱く感じた。足から力が抜けて体が前方へ傾き、手をつく暇もなく床に倒れてしまった。ドクドクと耳元で鼓動が鳴り、それに合わせて床に打ち付けた額と後頭部が鋭く痛む。


 視界に現れた人の足に何とか目だけで見上げてみれば、娼館へ行く途中に話をした線の細いあの男性が無表情にわたしを見下ろしていた。手には陶器で作られた空の鉢植えが一つ。


 ……ああ、あれで殴られたのか……。




「邪魔をしないでくれ」




 淡々とした口調で呟く男性の声を最後に、わたしの意識はブラックアウトした。






* * * * *






「協力に感謝する」


「いいえ、また何時でもお越し下さい!」




 若い女性店員に見送られ、クロードは花屋を後にした。


 貴族は見目の良い者が多く、身に付ける物の高価さも一目で分かるために何かと目立ってしまうことに内心うんざりしつつ、肌寒い空気に小さく息を吐く。


 ついでとばかりに時間を確認すると、己の近侍と別れてから大分経過していた。


 そろそろ彼方(あちら)も終わる頃合だろう。


 そう見当をつけて早足で馬車を待たせた場所へ向かう。


 日も高くなり随分と道は人通りが多い。


 しかしその中に探し人の姿はなく、クロードは微かに眉を顰めた。




「セナはまだ戻っていないのか?」


「はい、戻っておりません」




 御者に問いかけてみるも望んだ返答は得られない。


 もう少し待つべきか考えるクロードの視界に見慣れた姿が映り込む。


 少しよれた衣装に身を包んだ大柄な刑事だ。幼い時分よりそれなりに付き合いのある男は昔から身嗜みが適当で、そのせいで実年齢以上に見えてしまうのだが本人は全く気にしていない。


 そんな男は走り寄ってきて、荒れた呼吸のまま持っていた封筒を差し出した。




「いやあ、探しましたよ、伯爵。警察を扱き使えるなんて貴方くらいのもんですぜ、全く」


「文句は被害者の護衛がまともに出来るようになってから言え」


「あの人選と配置は俺じゃないって分かってらっしゃるでしょうに。俺だってそれじゃあ警備が甘いって言ったんですがね、何せ相手が頑固なもんで聞き入れちゃあくれなかったんですよ」




 第四の被害者の身辺警護を任されていたにも関わらず、客が逃げるから娼館に入らせたくないという店側の言葉にあっさり引き下がった挙句に被害者が襲われたとあっては警察の面子は傷付いただろう。


 外で見張っていたらしいが人の出入りが激しい店では警備が難しくなる。


 誰を警戒すべきか判断がつかない状況ならば、もっと人の出入りを制限するべきだった。


 封筒を受け取り、中の書類に素早く目を通していく。


 それは昨日頼んでおいた指輪の件だった。発注者の名前、使われた宝石や貴金属、どの店が作ったか、どんな特徴のものか。大雑把ではあったが一日でこれほどの量を調べるとは大した腕である。




「流石だな」




 素直に賞賛の言葉を述べたクロードの手が止まる。


 書かれていた内容にブルーグレーが見開かれた。


 その手が今度は自身の持っていた紙を取り出し、忙しなく視線が動く。




「白い花はあるかい?」


「はい、いくつか扱っておりますよ」


「ああ、良かった。妻に花を贈ろうと思っていたんだけどね、近所の花屋が急に休みになってしまって…。何時もならこの時間はもう開いてるはずなのに店主もいなくて、買えなかったらどうしようかと焦ったよ」


「それは大変でしたね。きっとそのお店の方も何か急用が入ったのかもしれませんね」




 同時に喧騒の中から拾い上げた会話に背筋が凍る。


 手にしていた書類を刑事に押し付け、クロードは店先で白い花を見ながら穏やかに談笑している初老の男と店主だろう男に近付いた。


 背後で刑事に呼び止められたが気にかけている暇はない。




「その花屋の場所は?」




 突然話しかけられて驚きながらも、初老の男性は答えた。




「え? ええっと、この先を行くと左手に行き止まりになっている細い脇道がありまして、その角から一軒手前の――…」




 最後まで待たずにクロードは走り出す。

 

 頭の中でカチリとピースが合わさった気がした。


 ――……イース・バレンシア。東の雌しべ(オスト・ピスティル)付近在住、数ヶ月前に西(スド)方面から越して店を構える。ルビーと小さなダイヤモンドを装飾に銀メッキの施された指輪を複数回発注。最後に商品を受け取ったのは四日前。花屋を経営。結婚歴はない。店の場所は――……。


 人混みを縫うように走り、左手にある脇道に入ると奥に小さな花屋がひっそりと建っていた。


 閉められた戸のノブを掴むが鍵がかかっている。数回戸を叩いてみたが人が出てくる様子はない。


 歪んだ硝子越しに中を覗き見るもやはり人影はなく、薄暗い店内に目を凝らすと床に見覚えのある懐中時計が落ちていることに気付く。執事のアランに新しい懐中時計を与えた際に、アランからセナに持ち主が移った時計だ。


 硝子戸から一歩離れ、迷わず杖を(ふる)った。耳障りな音を立てながら砕けて出来た硝子の隙間へ手を入れて無理やり鍵を開ける。


 薄暗い室内に足を踏み入れ、落ちていた懐中時計を拾い上げて懐に仕舞いつつ周囲へ注意を向ければ、足元の床に僅かだが何かを引きずった跡が見て取れる。それも真新しい。


 近侍の姿が脳裏に浮かぶ。


 危険を感じたら逃げろと言い聞かせておいたのに。


 頭の片隅で舌打ちしそうになりながらも立ち上がり、店の奥へ進む。いくつかの部屋を調べてみたけれど、殺風景な室内に人気はない。


 一体どこに行ったのか。目を細めて薄汚れた床へ視線を落とす。


 引きずった跡はまだ奥へ続いている。それを辿った先は厨房だった。


 床にある分厚い木製の戸で跡は途切れた。恐らく食料品を貯蔵する地下室だろう。


 クロードは微量の赤が付いたその戸の窪みから取っ手を引っ張り出して掴み、音が立たぬよう慎重にその戸を持ち上げた。微かにギィと錆びた音が鳴ったが中で人の動く気配はない。


 薄暗い室内よりも更に暗い地下へ木製の古びた梯子が伸びている。


 梯子に足をかけ、梯子が腐っていないか軽く体重をかけてみたものの、見た目よりも頑丈らしい。慎重な動作で梯子を数段下って今度こそ音を立てずに木製の戸を頭上で閉めると完全に外界の音は聞こえなくなった。


 梯子を下りたクロードは壁を探り当て、その場を離れて壁際に寄る。


 暗闇に目が慣れるまで下手に動けないことは分かっており、暫し身を屈めて闇に潜むことにした。





 

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