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アルマン伯爵と男装近侍  作者: 早瀬黒絵
# The first case:Virtual image of the flower. ―華の虚像―
12/120

華、十一輪。

* * * * *






 暖炉に灯る穏やかな炎を眺めながら、クロードは自身の近侍について考えていた。


 セナは背の中ほどに届く艶のある黒髪に黒に近い焦げ茶色の瞳。白とも黒とも違う黄色味を帯びた滑らかな肌。男とも女とも取れる顔立ちは実年齢よりも幼く見え、小柄で、異国の者が持つ特有の雰囲気を感じさせる。


 あの若々しい容姿と博識さがあれば成人しているので良い相手の一人や二人見つけ出し、結婚して悠々と暮らせるだろうに何故か自ら進んでクロードの近侍として事件解決に協力したがるのだ。


 庶民臭さがあるかと思えば、ふとした所作や礼儀作法はこの国のものとは違えど一定の教育を受けた様子が見受けられ、端々に育ちの良さが窺えるものの、その生まれや育ちを本人の口から詳しく聞いた事はない。


 拾ったときには着の身着のまま何一つ物を持っていなかったため、見たことのないデザインの上等そうな衣類から当初は他国の貴族の子が入国後に親と逸れたか、人攫いに遭ってこの国に連れて来られたのだと考えていた。どちらも違うと否定されたが現在に至るまで不明な点が多い。


 あの日、クロードがセナを見つけたのは偶然だった。


 助けたのも気紛れに近かったと記憶している。


 最初は此方を酷く警戒してなかなか口を利かない様子に厄介者を拾ったかもしれないと思いもした。温和そうな見た目に反して行動派だったり、世間に対して冷めた態度を取ったり、目を離したら何をし出すか分からない不安は今でもある。


 この国の常識を日常生活に困らない程度には教えたものの、生まれた国で受けた教育のお蔭か本人も何とか近侍の仕事をこなしながら周囲に馴染む努力をしているようだ。


 誰に対しても分け隔てなく接するからか使用人達にも好かれている。


 真面目そうに見えてじゃじゃ馬で、完璧そうに見えて抜けている時があり、臆する事無く物を言う。


 しかしセナが善人かと問われれば答えは否。


 人好きな笑顔と巧みな言葉で人々から様々な情報を得る。口には出さないものの、他人に警戒され難いという生まれ持った才能とも言うべきその特技をクロードも内心では賞賛している。


 そんな彼女が今日に限っては酷く疲れた顔をして帰ってきたのだ。その理由を問い詰めても恐らく答えないだろう。


 結局、小さな子供を慰めるような方法しか自分は思い付かなかった。


 溜息を吐くと共に書斎の扉がノックされた。


 入室を促せば初老の執事が部屋に入る。




「お申し付け通り、渡して参りました」




 好々爺のような笑みを浮かべた執事に、クロードは口元を微かに引き上げ苦笑を零した。




「ああ、ご苦労。わざわざすまなかった」


「いいえ。これしき何の苦労でもございません。それからセナには夜更かしをしないよう一声かけておきましたので、すぐに休むかと思われます」




 生まれた時からの長い付き合いを持つ執事の言葉に、クロードは肩の力を抜いた。




「……手間をかけさせた。アラン、お前も今夜はもう下がってくれ」


「はい、失礼致します」




 執事が退室して、クロードは書類や本があちらこちらに積まれた机上から一冊の本を手に取った。


 全体の三分の一ほどのページが文字で埋まっている。この本はクロードが書き記したものだ。内容はセナより得た知識や思わぬ視点からの指摘など、自身が残しておきたいと感じたものを纏めてあった。


 その身に秘めた知識を披露される度に彼女を拾って良かったとも思う。


 知識は人の心や思想を豊かにするが、同時に使い方を誤れば闇へ堕としもする諸刃の剣だ。あれほどの知識を有する人間が犯罪に手を染めたらと考えただけでゾッとする。


 だからこそ目が届くように屋敷に置いて働かせているのだが。


 開いた白いページへ本日の出来事を手早く書き留める。


 もともと鼻が利くのか、それともこんな仕事で鍛えられたのか、セナほど嗅覚が優れていれば良かったのにと思う。パイプが原因かもしれないが貴族男性の嗜みであり男同士の社交の場には付き物なので止められない。


 頭の片隅でそんな事をつらつらと考えながらもクロードの手は羽ペンを走らせる。


 記憶の中からセナが話していた内容を書き終える頃には夜も深まり、睡魔が柔らかに押し寄せてくる。ふあ、と小さく欠伸が漏れた。本を机の引き出しに仕舞って寝室へ行く。


 羽織っていたナイトガウンを椅子の背もたれにかけ、靴を脱いでベッドに寝転べば、洗濯されて綺麗になったシーツの滑らかな感触が頬を撫でた。ベッドの中は既に温められて心地好い。


 朝になればセナはクロードを起こしにやってくる。


 今でも少し落ち着かないが、しかし日常生活の一部と化していた。


 セナの女性にしてはやや低いアルトの声は寝起きの鈍い頭に響かず、穏やかに目覚めることが出来る。必要以上干渉して来ない辺りも望ましい。ただ平然とした顔で男の着替えを手伝うのは女性として少々羞恥心が足りないが、注意しても「これも近侍の仕事ですので」とあっさり返されてしまった。


 ……ああ、明日は一体どんな驚きを与えてくれるのだろうか?


 そんな曖昧な期待を胸に抱えてクロードは眠りに就く。


 セナが屋敷で働き始めてから、その言動は彼の数少ない楽しみの一つになっていた。






* * * * *






 翌朝、まだ日も昇り切らないうちに目が覚める。


 糖分を沢山取って早めに眠ったからか、疲れを引きずることもなく起きた。


 暗い室内で手探りでサイドテーブルの上に置いた燭台を掴み、寒さに震えながらベッドから起き上がってブーツを適当に履いて暖炉へ向かう。暖炉には昨夜の薪の燃え残りがあり、そこにはまだ微かに火が燻っている。消えてしまわないように気を付けて風を送りつつ薪を動かした。


 少しして暖炉に火が灯ると燭台の蝋燭にも火を移す。


 ベッドの中にある革袋を出して、その水で洗顔をし、布で顔を拭く。


 小さなチェストから今日着る分の服を取り出した。


 基本的にお仕着せなので、毎日服装に悩まないのは楽だ。


 寒さに体温を奪われてしまう前に着替えを済ませ、ロングブーツを今度はきちんと履いて紐を結ぶ。髪も鏡を見ながら右肩に流して緩く編んで整える。よし、寝癖もない。


 懐中時計で時刻を確認すると何時もよりほんの少し早いくらいだった。


 ゆっくり歩いて本館へ向かえば丁度良い。懐中時計のゼンマイを巻いて仕舞い、鏡で服装を確認して、桶を持って自室を出る。毎日のことだが二階から地下一階まで往復するのは結構面倒臭い。


 桶の中身を捨てて、自室へ桶を戻して本館の階下へ行く。


 使用人は皆、慣れた様子で自分の仕事をこなす。


 わたしは今日も執事のアランさんや従僕のアルフさんの後について仕事をこなし、モーニングティーのためのティーセットが載ったサービスワゴンを受け取りに行ってアランさんと共に伯爵の寝室へ向かう。


 アランさんが寝室の扉を叩き、数拍置いて扉を開ける。




「失礼致します」


「……失礼します」




 薄暗い寝室にサービスワゴンを押しながら入室し、ベッドの横で止まる。


 相変わらず乱れのないシーツに生きてるのか死んでるのか分からないくらいピクリともしない伯爵の寝顔を見下ろし、サービスワゴンをアランさんに渡して伯爵へ声をかけた。




「旦那様、朝にございます」




 まるでそれが合図だとでも言うように伯爵の瞼がスッと開く。


 わたしが生まれる前に一時期流行った、抱き上げると目が開閉する女の子向けのおままごと人形みたいだ。くすんだブルーグレーの瞳がベッドの天蓋からこちらへ視線を移し、わたしを見る。


 僅かにぼんやりとした瞳が瞬きをして焦点が定まり、もぞりと伯爵が身じろぐ。




「おはようございます」


「ああ」




 しっかり意識が浮上したことを確認したら寝室のカーテンを開けて回る。


 その間に伯爵はアランさんから渡された紅茶を飲み、新聞を受け取った。


 微妙に歪みのある窓硝子を抜けて柔らかな朝日が室内に差し込み、その明かりを頼りに伯爵が新聞を広げて読み始める。やや俯きがちの銀色の頭は所々髪が跳ねてキラキラと光を反射させた。


 今日も寒いけれど天気の良い一日になりそうだと退室の言葉をかけつつ扉を潜る。


 使用人食堂で手早く食事を済ませ、伯爵の着替えを手伝い、朝食に付き従う。半年の間で随分と慣れたが近侍は主人の傍近くにあって何かと主人の世話をしたり外出に随行したり、忙しく個人の時間はあまりない職業だと身を(もっ)て知った。


 けれども、わたし自身もこれといった趣味もなければ行きたい場所や欲しい物もないので、暇を持て余すくらいならば仕事をした方が有意義に過ごせるため意外と性に合っている。


 伯爵の御供で出掛けても知らない場所や物が見られて面白いし、屋敷で働いていても使用人の様子を知るのは楽しいし、まだちょっと苦手な読み書きの勉強もする必要がある。そもそも敷地が広いお蔭で外出しない日が続いても屋敷内や使用人棟を歩き回っていると閉塞感も気にならないのだ。


 半年経っても目新しいことは次から次へと出てくる。


 家族や故郷が恋しい時も少なくないが、忙しさで寂しいと思う暇もない。


 案外この国の生活様式はわたしにとっても暮らしやすいものだった。


 カタリと微かな音がして、朝食と今日の予定を聞き終えた伯爵がアルフさんに椅子を引かれて席を立つ。




「馬車と外出の用意を」


「畏まりました」




 伯爵の端的な指示に頷き返し、御者に伝え、自室へ帽子と上着を取りに行く。


 急いで玄関ホールへ向かえば今日は先に着くことが出来た。身嗜みを整えて待つと暫くして伯爵がホールに現れる。わたしが玄関の扉を開ければタイミング良く馬車が前に横付けされた。


 馬車の扉は御者が開き、伯爵は執事のアランさんに一言「留守を頼んだ」と声をかけて玄関を潜り、御者へ(オスト)方面の住所を告げて馬車に乗り込んだ。続いてわたしが乗り、扉が閉まる。




「今日は別行動ではないのですね?」




 流されるように馬車に乗ったわたしが聞けば、伯爵がどこか呆れたような顔をした。




「手掛かりがないと言ったのはお前だろう。まさか今日も適当に虱潰しに歩いて回るつもりか」


「ええ、そのつもりでした」


「……お前は頭が良いのか悪いのか分からんな……」






 溜め息を零しそうな声音で伯爵がぼやく。


 わたしは勘は鋭い自負はあるけれど、頭脳明晰ではないだろう。


 頭の出来具合では伯爵の方が上に違いない。




「……私の顔に何か付いているか?」




 ジッと見つめてしまっていたらしく、伯爵が少し眉を寄せてわたしに顔を向ける。




「目や鼻や口以外で、だぞ」


「ええ、眉が」


「それも抜きでだ」


「なら何もありませんね」




 わたしの言葉にやっぱり伯爵は眉を寄せたまま再度「全く……」と小さくぼやいた。


 そんなやり取りさえ可笑しくて思わず笑ってしまう。


 するとブルーグレーが一瞬瞠目し、不機嫌そうに窓の外へと向けられた。


 しかしすぐに一枚の紙を懐から取り出して差し出して来た。


 受け取って広げてみれば、くすんだ黄色みがかった紙面に王都の簡単な地図が描かれており、黒い大きめの印がポツポツと点在している。それとは別に赤いインクでも数多く点があった。




「伯爵、これは?」


「昨日発見した指輪の値打ちを鑑定した。これはこの一年ほどの間に同額程度の指輪を購入した者の住所を宝石商や商人から聞き出したものだ」




 昨日別れた後に警察を使って人海戦術で調べたらしい。


 黒は一般人で赤は貴族。さすがに誰がどんなデザインの物を買ったかは、まだ調査中なのだそうだ。デザインが分かればもっと絞り込めるだろう。


 だが伯爵がここで購入者リストを持って来たのなら、何か考えがあるはずだ。


 伯爵が紙をもう一枚取り出した。こちらも手書きの地図に印があり、一部の印はバツが付けられていた。




「これは花を取り扱う店の住所だ。バツを付けたものは昨日お前が調べて回った店だな。二枚を照らし合わせて重なる場所にある店が怪しいだろう? 購入者の買った指輪の特徴さえ分かれば歩き回らずとも犯人を特定出来るんだがな」


「……伯爵の頭の良さには脱帽します」




 二枚の紙を見比べて言えば、伯爵が器用に眉を片方あげた。




「妙に素直だな」


「わたしは何時でも素直ですよ」




 誰もが伯爵のように回転の良い頭を持っているわけではない。そうでなくては、こんな仕事なんてやっていられないのかもしれないが、正直その頭の良さは羨ましい。


 二枚の紙に書かれた点はいくつか重なる場所があった。


 その場所を頭の中に叩き込んで紙を伯爵へ返すのと馬車が停まるのはほぼ同時だった。


 御者が扉を開けたので先にわたしが降りて、次に降りた伯爵は御者に待つよう告げた。


 今いる場所は(オスト)の街並みの丁度半ばほどで、第一の被害者が働いていた娼館と第二第三の双子の被害者の住所の中間でもある。


 ここから北側に続く小さな商店が密集する道の先を眺め、内心でホッと息を吐いた。立ち並ぶ看板を見る限り普通の食堂や雑貨屋、古着屋などが多い。これなら危険なこともないだろう。




「わたしはこの通りの端から当たってみます」


「一人で行く気か?」


「花蘇芳を扱っているか確認するだけならば大丈夫でしょう」


「……危険を感じたら迷わず逃げろ」


「ええ、もちろん。そうさせていただきます」




 溜め息混じりで不承不承(ふしょうぶしょう)に頷く伯爵へニッコリ笑う。


 犯人逮捕も大事だけど自分の身も可愛い。いざとなったら一目散に逃げよう。




「なら私は此方側から当たるが、終わったら馬車(ここ)に戻れ」


「了解しました」




 頷き、伯爵と別れて商店の立ち並ぶ通りを進む。


 飲食店も混じっており、どこからともなく良い匂いが漂っている。


 朝食を食べたばかりなのにお腹が減ってしまいそうだ。




「昼食までには終わらせたいなあ」




 懐中時計で時刻を確認しつつ通りの端を歩いて三十分ほどで端に辿り着いた。


 思っていたよりも通りが続いていたので驚いたが、王都の道は蜘蛛の巣みたいに微妙に曲がって伸びているので直線距離よりもどうしたって歩く距離は長い。


 左右に並ぶ店の看板と交互に見ながら歩いたから余計に時間がかかったのもある。


 でもそれである程度の店の場所は分かったため、元来た道を戻って行く。


 目的地の一件目の店を見つけた。


 数は少ないが、女性が軒先に置かれた花の手入れをしている。


 見た限り店頭に花蘇芳らしきものはない。




「おはようございます。何かお花をお探しですか?」




 人の好さそうなその女性に話しかけられ、わたしも帽子を取って会釈をする。




「ちょっと探し物を。中を見て回ってもよろしいでしょうか?」


「ええ、お好きなだけどうぞ」



 

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