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アルマン伯爵と男装近侍  作者: 早瀬黒絵
# The tenth case:Hell's vengeance boils in my heart.―復讐の炎は地獄のように我が心に燃え―
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揺らめき、五つ。

 



 そうこうしているうちに馬車の揺れの感覚が次第に穏やかになる。


 僅かにカーテンの裾を除けて車窓を見れば目的地は目と鼻の先だと分かった。


 目を閉じて、静かに、ゆっくりと深呼吸をする。


 ……大丈夫。向き合うと決めたんだ。


 瞼を上げればこちらを見遣るブルーグレーと視線が絡む。


 平気だと小さく笑ってみせたものの、逆に心配させてしまったのか伯爵が少し顔を(しか)めたが、開きかけた唇は結局何かを言うことはない。


 やがて馬車が停止し、御者の声が目的地に着いたことを告げた。


 開かれた扉をアルジャーノンさん、わたし、伯爵の順に降りる。


 到着したのは刑務所にほど近い広場だった。ここは元より公開処刑を行う場として想定されているらしく、他の広場よりも面積があり、逆に憩いの場に見られる噴水や樹木といったものは一切なく、石畳の広場の中央には高さ一メートル、幅二メートル程度の木製の足場が二つ組まれていた。


 片方には二本の柱が立ち、そこに渡された横木に絞首刑用のロープが吊り下げられている。


 恐らく、足元の板が開くようになっており、足場を失い首が締まって息絶える構造なのだろう。


 時間よりも少し早く来たが既に広場は人で満杯だ。


 これでは見届けようにも遠過ぎると困るわたしを余所に伯爵は御者に待つよう告げ、アルジャーノンさんを引き連れて人垣へ躊躇いなく歩いて行く。それに慌ててついて行った。


 すると驚いたことに伯爵に気付いた人々が道を開けたのだ。


 伯爵は一言「感謝する」と述べて両脇に割れた人々の間を進み、アルジャーノンさんとわたしも後に続き、(ほとん)ど立ち止まることなく最前列に辿り着いてしまった。


 内心で首を傾げるわたしに気付いたアルジャーノンさんがこっそり教えてくれたのだが、伯爵は自身が関わった事件の犯人の処刑には必ず立ち会うので娯楽好きで見に来ている者達は伯爵のことも当然ながら知っており、功労者は最前列で見るべきだと自然に道を空けてくれるのだそうだ。貴族という点も理由の一つだ。


 目だけで周りを見渡して気付く。


 線引きがされているわけでもないのに足場より二メートル以上は誰も近寄らない。


 そしてここに見物しに来る人々は職業も地位も様々だ。


 パッと見ただけでは一般の労働階級が多いけれど、貧困層もいれば、それなりに裕福なのだろう商人や貴族らしき人物なども訪れている。


 広場は人々の話し声であふれ返り、処刑される囚人が現れるのを誰もが待っていた。


 本当に公開処刑は市民の娯楽に過ぎないのだとざわつく声に耳を傾ける。




「おい、まだか? そろそろだろ?」


「あらまあ、気が早い。鐘が鳴ってないでしょう」


「こういうのは待つのも楽しみの一つさ」


「今日の囚人は人殺しだろう?」


「ああ、確か肉屋で、殺した人間を闇市に流してたらしいぞ」


「ええ?! やだ、あたしら肉食べちゃったかもしれないじゃない!!」


「なんだ、お前さん闇市で買ってんのかい?」


「まあでも闇市なんてまともなものは売っとらんしな」




 慄く女性に周りにいた人々が然もおかしそうに声を上げて笑う。


 そこかしこで囚人についての情報が交わされ、それをネタに談笑しながら待ち時間を潰しているのだろうが、人の死をこれから目にする雰囲気とはとても思えなかった。


 その中で、伯爵は黙って足場を眺めている。


 アルジャーノンさんはぼんやりと周りの人々に目を向けていた。


 わたしは足場でも人々でもなく、自分の足を見下ろし、通り過ぎていく声を聞いていた。


 わたし達が広場に到着してから三十分ほど時間が経過した頃、刑務所のある方向が(にわ)かに騒がしくなる。伝言ゲームの(ごと)く人々の口伝いに囚人が刑務所から連れ出されたことを知る。


 しかし待っていてもそれらしき人影は見えない。


 更に二十分ほど経ち、やっと今日の主役が姿を現した。


 久しぶりに見たマイルズ=オアは相変わらず大柄な男であるけれど、刑務所の暮らしのせいかやつれ、肩を落として己よりも背の低い処刑人に引っ立てられている。両腕は太い荒縄で固く結ばれ、ふらふらと歩いては時折立ち止まりそうになる度に処刑人が容赦なく繋がった縄を引いて進ませた。


 見物しに来た人々へのパフォーマンスも兼ねてゆっくりと歩いて来たようだ。


 道の左右にギュウギュウに集まった人だかりから歓声と罵声が飛び、大柄な男が身を縮めておっかなびっくり歩くと更にそれらは激しくなった。聞くに堪えないものも少なくない。


 マイルズ=オアの登場で一気に広場が異様な熱気に包まれる。


 この場には彼の死刑に同情する者はいない。


 それどころか「早くやれ」と四方八方よりヤジが飛ぶ。


 そんな中を時間をかけて歩かされるマイルズ=オアの気持ちは推して知るべし。


 けれども犯した罪を考えれば同情することも出来ない。




「ちょっと通しておくれ!!」




 罵詈雑言が飛び交う中で不意に女性の声が耳に入る。


 顔をそちらへ向けてみれば、貧困層なのか古くすりきれた服を着た女性が人垣を掻き分けて何とか前へ進もうとしている。周囲の人達は少し迷惑そうだ。


 それでも女性はどうにかこうにか最前列へ辿り着いた。


 その手が自身の服の隙間に伸ばされる。引き抜かれたものはボロボロの布で包まれており、女性が布を引き剥がしたそれを手に人垣の中から躍り出る。




「この人殺しが!! あたしの娘を返せぇええっ!!」




 あ、と漏れた声はわたしのものだったのだろうか。


 駆け出した女性はその勢いのままマイルズ=オアに突進した。


 彼は両手を縛られた状態で驚きに目を丸くし、そしてすぐに自分の腹部を見下ろした。


 そこには古びたナイフが一本、根本まで深々と突き刺さっていた。


 体格の良い彼の体にそこまで深く刺さるということは相当な力を込めたに違いない。


 女性はその柄を握り、何の躊躇(ためら)いもなく、引き抜いた。


 痛みに転がったマイルズ=オアの腹部が次第に赤く染まり、だが女性の攻撃の手は止まらず、咄嗟に掲げられた腕や剥き出しの足、守り切れなかった頭部に切り傷が増えていく。


 誰もそれを止めず、むしろ良い余興とでも言いたげに熱気が高まり、女性を応援するようにいくつもの声が(はや)し立てる。


 囚人を引っ立てていた処刑人ですら手出しをせずに傍観したままだ。


 何度もナイフを振り下ろされてマイルズ=オアが傷だらけになり、漸く処刑人が女性を止めに入る。


 刑を執行する前に死なれては困るといった類の声がした。


 刑務所からついて来ていた数人の警察によって女性が引き離される。




「離せ!! あたしが殺してやる!! くそったれの人でなし!!」




 警察に押さえられながらも女性の咆哮は続く。


 傷だらけで地面に転がるマイルズ=オアに繋がる縄を処刑人が無遠慮に引っ張る。


 そのせいでバランスを崩して地面へ強かに顔をぶつけてしまった。


 のろのろと上げられた顔がふとこちらを見て、大きく開かれる。


 声は聞こえなかったが「セ、セナ君……」とわたしの名前を呼んだ気がした。


 恐怖と後悔と、ほんの少しの救いを求める光に応えることは出来ない。


 小さく首を振ったわたしにマイルズ=オアの瞳から涙が零れ落ちていく。


 囚人が泣き出したことで観衆は更に興奮して騒ぎ立てる。


 処刑人に引っ立てられて緩慢な動作で起き上がったマイルズ=オアは呆然とした表情で、けれど涙を流したまま、足場までの短い道のりを殊更ゆっくり歩かされる。


 わたし達は二つの足場の丁度中間にいて、マイルズ=オアが上がったのは絞首台の方だった。


 切り傷と刺された傷で血だらけの状態だが構わず定位置に立たされる。


 首と足に太い縄が通された。首のものが二本なのは大柄なことを考慮してか。


 警察の一人が持っていた書簡を広げて高らかにマイルズ=オアの罪を語る。


 内容はわたしも知っての通り、誘拐、殺人、死体損壊、人肉を売ったこととそれによる詐欺、その罪を何年も犯していたことがやや大げさな口調で読み上げられていく。


 内容を聞いた人々の口から出るのは誹謗中傷の嵐である。


 罪状が読み上げられた後、茶色の麻袋がマイルズ=オアの頭に被せられる。


 処刑人が離れ、端の方にある柱へ向かった。


 柱の横には足元から伸びる長いレバーがあり、処刑人が掴むと、勢いよく手前へ倒した。


 同時にガタンッと大きな音がしてマイルズ=オアの足元の板が左右に開き、支えを失った大柄な体躯が落下するが、それも僅かな高さでしかなかった。


 音を聞いた人々が途端に口を噤み、固唾を呑んで見入っている。


 体躯のせいで落ちる距離が短く、一瞬で意識を失えなかったのだろう。


 麻袋を被った大きな体が苦しみに暴れるも手足は縛られてミノムシが藻掻くような動作であった。顔が見えていたならば、きっと苦悶の表情を浮かべているはずだ。


 縄の軋む音と苦しみに呻く声が静まり返った広場に響く。


 あまりにも生々しい音と光景に震えそうになり、唇を噛み締めた。


 暴れた拍子に足場に体のぶつかる音もする。


 時間にしておよそ三分弱ほど、マイルズ=オアは暴れていた。肉屋での解体作業や狩りなどで鍛えられた彼の体は一般的に見ればかなり持ちこたえた方だと思う。


 だらりと垂れた大柄な体躯はまだ足場から下ろされない。


 動かなくなった彼を見て人々がまた歓声を上げ始める。


 声を上げて囃す人もいれば、面白おかしく話の種にして隣人と会話をする人もおり、マイルズ=オアの死を悲しんだり悼んだりする様子は欠片もない。


 マイルズ=オアの体はそのまま一日か二日放置されるらしい。


 伯爵も責務は果たしたと思ったのだろう。(きびす)を返していまだ興奮冷めやらぬ人々の間を縫って元来た道へ戻り出したので、アルジャーノンさんとわたしもそれに続いた。


 行きとは違い人々の間を抜けるのは少々骨が折れたが何とか馬車までやって来る。


 御者が気付き、扉を開けたので伯爵が乗り込んだ。


 わたしも乗り込もうとして、振り返りそうになるのを我慢して馬車の段に足をかけた。


 アルジャーノンさんは馬車の後ろに乗ると言って外から扉を閉めた。


 やや間を置いて馬車が走り出したことで広場の喧騒が遠ざかっていく。


 離れた喧騒にホッと肩の力が抜けた。急に体中を寒気が襲う。あの異様な熱気に当てられてしまったのかもしれない。鳥肌の立った腕を服の上から軽く(さす)って少しでもいいから暖を取る。


 悪寒にも似た、体の芯から凍えるような寒気だ。


 細く吐き出した息さえ冷え切っているのではと錯覚してしまいそうになる。


 伏せた視界に白い手袋に包まれた手が差し出された。


 顔を上げれば向かいの席に腰掛けている伯爵と視線が絡む。




「……手を出せ」




 言われるがままに差し出された手に自分の手を重ねる。


 手袋越しでも伯爵の体温の方が僅かに温かく、わたしの手が氷みたいに冷えているのが分かった。


 重なった手が体温を分け与えるように握られる。


 人間は誰かと触れ合うことでストレスが緩和されるらしい。家族や親しい相手とのスキンシップは心を癒し、充足感を覚える。自己肯定感を高めてくれるのかもしれない。


 馬車にしては広い車内で互いに手を繋いだまま沈黙が落ちる。


 言葉はなくとも伯爵がわたしを気遣ってくれているのが伝わってくる。


 命の重さは皆平等だと誰かが言った。軽んじられて良い命などないと。その言葉は正しくあり、しかし全てがそうであるとは限らない。罪を犯した者の命と罪を犯していない者の命であれば、後者より前者が軽んじられるのが世の常だ。


 どのような事情があったとしても、同情するには、マイルズ=オアは人を殺し過ぎた。


 処刑は法に則った適正なものだった。


 ……まだ、あの縄の軋む音が耳に残っている。


 緩く手を握り返せばそれよりも少し強い力で返される。




「人の命は全て尊いものだと言ったら傲慢でしょうか」




 人を殺したのだから己が殺されても文句は言えまい。


 それは分かっている。


 犠牲者の遺族の心情を思えばこれで良いのだろう。


 それも頷ける話だ。




「人の命の重みは他人が決めて良いものではない」


「……そうですね」




 伯爵の言葉に頷き返す。




「しかし私には他の命が(おびや)かされぬように努める義務がある」


「依頼があれば事件に介入して、犯人を早期逮捕する?」


「そうだ。その犯人が死刑になると理解していても逮捕は避けられん。……数十、数百の命のために、一の命を犠牲にするしかない。例え自身の犯した罪によって散る命であろうとも、その重みを忘れてはならないのだろう」




 伯爵はある意味では素直で、不器用で、少しだけ残酷だ。


 わたしが逮捕まで導いたマイルズ=オアの件を「お前のせいではない」とは言わない。


 けれども「お前が悪いのではない」とも言外に伝えてくれる。


 アンディさんの指摘した通り、わたしは『死』に対して弱い。


 その弱さを伯爵は許容してくれているが、いつまでもこれではダメだ。


 ヘレン=シューリスの時と同じ。覚悟を決めなければいけない。




「お前は逃げてもいい」




 そっとかけられた言葉に首を振る。




「正直に言えば逃げたいですけど、投げ出したくはないです。何だか負けたみたいで悔しいでしょう?」




 だから苦く笑いながらも顔を上げて伯爵を見返した。


 もうわたしはここに、あなたの横にいることを望んだのだ。


 この苦悩すらも必要だというのであれば受け入れよう。




「この苦しみも、痛みも、この世界に来なければ知ることもなかったものです。それでもわたしはこの仕事が好きです。だからこの苦しみはわたしの覚悟に必要なんです。……今回は良いきっかけとなりました」


「……お前も存外難儀な性格だな」




 ブルーグレーが困ったように揺れ、音もなく溜め息を漏らす。


 呆れたようなそれとは裏腹に繋いだ手は温かいままだった。



 


 

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