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雪の日のキセキ

作者: めいふぁん

肌を刺すような冷気が襖から寝床まで、床を伝って忍び寄る。

そうっと襖を開けて庭を見れば、しんしんとやわらかくて真っ白な雪が降っていた。

彼女、犬飼志乃は着物の袖から少し出た白く細い指先に、ほう、と息を吹きかけた。







志乃は皇家とも縁の深い、伯爵家の娘である。

文明開化も目覚ましい昨今、貿易で財を成す犬飼家の末娘として生まれ、3人の兄達や両親、そして屋敷に仕える使用人達からも幼い頃より蝶よ花よと育てられた。


志乃は病弱な娘であった。

幼い頃より風邪をひいてはひと月は寝込むほどで、咳が出始めると寝床から出してもらえず、熱が下がっても七日は外に出られなかった。

外の世界をよく知らずに育ったためか、16になるというのに彼女の瞳は幼い子どものように無垢な光を放ち、肌の色も白さの中に若干の青さが混じり、黒々とした細く長い髪は腰のあたりまでまっすぐに伸び、無垢な瞳を縁取る睫毛は自然に上向き、薄く淡い色合いの形の良い唇がシミ一つないつるりとした肌に彩を与えており、すらりとした肢体にまとう赤い椿の柄の着物と相まって、その儚い美しさはさながら生き人形のようであった。


「雪・・・積もるかしら?」


目を輝かせ、声に喜色をにじませながら志乃はぐるりと庭を見渡した。

松や寒椿等、庭には志乃の目を楽しませるための植物が品良く植えられている。

池には鯉がいるのだが、寒さのせいか泳ぎ回る姿は見えなかった。

志乃はこっそり庭に出てみることにした。

一昨日から微熱が続き、ずっと寝所に押し込められていたため、退屈で仕方なかったのだ。


きょろきょろと廊下を見渡し、するりと部屋から出ると軒下から出した下駄をささっと履いて音を立てないようにそうっと庭に降りた。


「ふふっ」


誰にも見られなかったことに少し得意げに笑い、青白い顔に薄く朱をにじませはずんだ足取りで庭を歩き出した。

庭に降りてしまえばこっちのものよ、といった風である。


「それにしても、寒いわねぇ。雪が振ると、こんなにも寒さを感じるのね」


手を擦り合わせ、真白い息を吐きながら志乃はきゅっと肩を縮めた。


「雪が積もったら、雪うさぎを作りましょう。雪だるまでもいいわね。いっぱい積もったらかまくらを作って、その中に入ってみたいわ。かまくらって暖かいって聞くけど、本当かしら?冷たい雪でできているのに、どうして暖かいのかしら?」


楽しそうに想像をふくらませ、志乃は松の木の肌をさわさわとなでたり、池の岩陰に潜む鯉をこちらに呼ぼうと軽く手を叩いたりしていた。



「やっぱり寒いから出てきてくれないわね。鯉も寒さは苦手なのかしら?」


いつもなら手を叩けばゆらゆらと泳いで近寄ってくる鯉も、岩陰で尾を揺らすだけで出てこようとしない。

志乃は残念、と肩をすくめた。





「志乃ー!!志乃!!どこだ、志乃!」


聞こえてきた声に、志乃はぎくりと停止した。


「大変、お兄様だわ。今日は大学に行かれているって聞いてたのに・・・」


ざくざくと庭を踏みしめてこちらに近づいてくる足音が聞こえる。

志乃は慌てて茂みに身をひそめた。



「志ーー乃、隠れても無駄だぞ」


ひょい、と、少し怒った顔で2番目の兄が志乃を覗き込んだ。

さらりとした髪を後ろになでつけ、優しげな目元を少し釣り上げた兄を見て、志乃はごまかし笑いをした。


「智景兄様、早かったのね!今日は、大学じゃなかったの?」


「教授が急な出張でね。休講になったのさ。熱を出している可愛い妹がさぞ退屈しているだろうと顔を出しにきたんだが、部屋に入ればもぬけの殻だ。志乃、まだ熱があるだろう。こんな寒い中外にでてはだめだ。しかも上着も羽織らずに・・・早く部屋に入って寝なさい」


智景は自分の来ていた舶来の上着をさっと脱ぐと、志乃の肩にふわりとかけた。


「はぁい・・・」


志乃は智景の軽い叱責に眉を下げ、しかし少し拗ねたような口ぶりで返事をした。

もう少し庭を歩いていたかったが、見つかってしまっては仕方がない。


不満そうな志乃の様子に智景は苦笑いをし、志乃の手をとって部屋に歩き出した。



「熱が下がったら好きなだけ庭を見ればいい。早く治さないと余計に寝込むことになって、楽しい時間がどんどん後になるぞ。大人しく寝床に入るなら、今日はもうどこにもいかないから、志乃に大学の話を聞かせてやろうな。」


「本当!?」


志乃は智景の言葉に食いついた。

外の世界をよく知らない志乃にとって兄の話す大学での日常は何よりも楽しい話だった。

兄の話を聞くと、まるで自分もそこにいて実際に体験しているかのような気分になれるのだ。

不満そうな空気は霧散し、志乃は早く部屋に戻ろうと兄を急かした。






夜。

夕方兄が自分の部屋に戻ってしまうと、志乃は薬のせいかうとうとと寝入ってしまい、どさりという庭に何かが落ちる音で目を覚ました。


「・・・?」


むくっと身体を起こすと、熱ではっきりしない思考のままにからり、と襖を開けて外を見た。


「すごい・・・」


志乃はぼぅっと外の景色に見とれた。


ありとあらゆる草木に雪がつもり、池には大きな丸い月が写ってゆらゆらと揺れていた。

そして不思議なことに、雪ではない何か明るく、ふわふわとした発光体があちらこちらで浮遊し点滅を繰り返し、まるでこの世のものではない幻想的な雰囲気を醸し出していた。


「何が光っているのかしら?ほたるみたいでとってもきれい」


志乃は上着を持って廊下に出た。



光るものにそろそろと手を伸ばし触れてみようとしたが、志乃の指先が近づくとすいっと逃げてしまう。

何度かそれを繰り返したが、志乃は息を一つ吐いて触れるのを諦め、その幻想的な光景に見入った。

ふと目の端に松の木が見えたが、不自然にも一枝にだけ雪が積もっていない。

先ほどの音は、おそらくそこに積もった雪が地面に落ちた音であったのだろうと、志乃は思った。

その時。



りぃん


「・・・?」


どこかから、高く涼やかな音が響いた。


りぃん


「なにかしら?」


あたりを見回すも、音がしそうな物等変わったものはない。


りぃん


それにも関わらず、音は志乃の方に近づいてきているようであった。




音が、止まった。

その代わりにーーー





「そこな娘」



深い天鵞絨のようななめらかでいて重厚な、声が響いた。



誰もいなかったはずなのに。



志乃は驚きながら、いきなり現れた目の前に立つものを凝視した。



長く、月光の色を浴びて光り輝く白金の髪。

薄氷を思わせる色味を帯びた、冷たい瞳。

真白い肌の中、まるで紅をひいたような唇が目に付く。


女性と間違えてしまいそうであるが、発す声によりそれは否定される。

そして何より狩衣に包まれたすらりとした身体は、一般的に見ても高身長であろう兄よりも頭一つ分ほど背が高かった。


志乃は息をのんだ。

見たことのないような神々しいほどに美しい男性であるが、しかし。


これは、このものは、人間ではない---


志乃にそう思わせたもの。

彼は、地に足をつけていなかった。

地面から2寸ほどのところで、浮いているのだ。

そして、志乃から逃げるようにしていた発光物が彼の周りに集まり、ふわふわと話しかけるように浮遊していた。



「聞こえておるか?お主のことだ」



何も答えない志乃に、目の前の男が再び声をかけた。


志乃はどこか夢を見ているような気分だった。


-そうか、夢なんだわ。私、まだ眠っているのね・・・-


そう納得すると、志乃は男の問に応えた。


「はい、私になにかご用でございますか」


男の雰囲気が高貴であったため、志乃は丁寧に応えた。


「名は何と申す」


「志乃と申します」


志乃、と男は一度噛み締めるように口にすると、秀麗な目元を僅かに緩ませた。


「我は雪を司る神竜。名は雪羅。」


そう言うと、ふわりと志乃の額に手を当てた。

ヒヤリとした手の感触と、何か冷たいものがじわじわと額から頭の中に行き渡り、熱でぼぅっとしていた頭が徐々にはっきりとしてきているのを志乃は感じた。


「そなたに巣食う熱病は今取り除いた。」


そうっと手が離れた。


「あ、ありがとう存じます」


身体が軽くなり志乃は驚いたが、彼女は雪羅の名乗りにもその後の行動にも、第三者として見ているような感覚を覚えていた。

自分に起こっていることだとは思えない。


-やっぱり夢だわ。だって、現実にこんなことが起こるなんて思えないもの-


雪羅は志乃のそんな気持ちを見透かすように志乃の瞳を見つめ、すっと志乃のたおやかな手をとった。


「・・・志乃」


しばらく二人は見つめ合っていた。


お互いの目に映る自分を見、その奥にあるものを見ようとした。


しんしんと静かに、また雪が降りだした。


二人の間に落ちる沈黙と雪は、まるでこの世界に志乃と雪羅しか存在しないかのような錯覚を起こさせる。


雪羅が口を開く。


「志乃。お主が今生を完うした後、お主を天の国にて我が妻に貰い受けたい」


志乃は目を瞬いた。


-妻。私を・・・?-


「我はこの世のものではない。よってお主の今生を貰い受けることはできぬ。なれど、お主が魂だけの存在になったならば、それが可能になる。」


なおも雪羅は続ける。


「志乃。お主は美しい。我が妻にと、希う」


ひたむきに見つめる薄氷の瞳に、志乃はとくりと心臓が呼応する音を聞いた。


「わたくしで、よろしければ」


口からするりと溢れ出た。


雪羅は思わずといったようにそう口にした志乃にふわりと薄く微笑むと、


「では、お主の生が終わる頃に迎えに来るとしよう。それまで、達者に暮らせ」


そう言って志乃の手に口づけを一つ落とすと、りぃん、という音と共に霧散するように掻き消えた。









はっと、志乃は目が覚めた。


「・・・夢・・・」


身体を起こし、呆然と志乃はつぶやいた。


美しい夢であった。


えも言われぬ幻想的な光景に、佇むこれまた美しい男性。


まるで小説や絵の世界のようであった。


そして、雪羅と名乗ったその男性に求婚され、手に口づけを落とされた・・・


志乃は口づけされた手の甲を見た。


「これはなに?」



そこには、薄く桃色に色づいた雪の結晶のようなあざができていた。


まじまじとそのあざを見て、志乃はごくりと息をのむと、上着を羽織り、すっくと立ち上がって部屋の襖を開けた。


一面の銀世界の中、夢と同様に一枝だけ雪の積もっていない松があった---






そこからわずか数年の後、志乃は突然この世を去ることになる。

例年よりも冷え込みのきつい冬に、風邪をこじらせて肺炎を患った。

病弱な志乃にはそれに耐える体力はなかった。

日に日に衰弱する志乃に家族は涙にくれたが、志乃は朦朧とする意識の中でもどこか嬉しそうであった。


「みんな、泣かないで。私、もうすぐ花嫁様になるのよ。雪羅っていう神竜様がお迎えに来てくださるの。お嫁に行くだけだから、お別れになるわけじゃないわ。また会えるのだから、そんなに悲しそうにしないで」


弱々しい声で、懸命にそう繰り返していた。




その日は、前日の夜からしんしんと雪が降っていた。

降り積もる雪は周囲の音をもかき消す。



志乃の息ももう微かになり、いよいよ最期、という時。



りぃん



どこからともなく涼やかな音色が聞こえてきた。



もう目をあけることもできない志乃が、うっすらと微笑んだ。


「来た・・・」


志乃はか細くそう言うと、ふぅ、と息をつき、そのまま動かなくなった。




志乃のもとに集まっていた家族は一瞬呆然となったが、すぐに動かない志乃にすがりついて泣き叫んだ。


目を開けて、死んではだめだ、起きろ、志乃---


悲痛な叫びが屋敷内に木霊する中、再びあの音が響く。




りぃん




家族以外にはいなかったはずであるのに、志乃の枕元にそのものは佇んでいた。




家族は皆だまり、そのものに視線を合わせたままピクリとも動けなくなった。




「志乃、迎えに参った。天の国にて、永久に供にあろうな---」


人ならざる美貌に微笑みをのせ、甘やかにそう囁くと、そのものは膝をつき志乃にゆっくりと口づけた。


そして、こちらを凝視する家族のほうに視線をやり、口を開いた。


「志乃は天の国にて、我が妻となる。病もなく、志乃を傷つけるものもない。そなたらとも、夢枕でなら会うこともできるだろう。もちろん、そなたらが今生を終えた後に志乃と再び暮らすことも可能だ。我が屋敷に喜んで迎え入れよう。決して悲しみにくれるでない。志乃は、ただ神竜の花嫁になっただけであるのだから---」


そう言うと、雪羅は志乃を抱きかかえ、ゆっくりと立ち上がって庭に出た。


「志乃、今日はお前と出会った日と同じ、真白い雪が振っておるな。さぁ、天の国に参ろう」



りぃん




志乃の家族が見守る中、二人の姿はほろほろと崩れ始め、光に包まれた後、音と供に消えた。





その後、犬飼の家は志乃を失った悲しみに包まれはしたが、それも長くは続かなかった。


あれだけ溺愛していた娘が亡くなったというのに、どういうことかと首をかしげる周囲の者に家族は微笑んでこう言った。


-志乃は嫁にいっただけだ、たまに幸せそうに旦那とよりそって夢に現れてくれる。志乃が幸せに暮らしているのなら、私たちは悲しんでばかりいられない。幸せを喜んでやらねば、志乃が気にする-





雪は溶け始め、春がすぐそこまで来ていた。




















天の国編も書きたいなーとか思いつつ・・・

二人が幸せに暮らせていたらもうそれでいいかな、とも思いつつ。

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[一言] 綺麗な話で引き込まれました‼ 天の国の話しも気になります(*^^*) 今後も執筆活動頑張ってください!
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