私は人間
月が一番高い所まで登った時、尾の先からしゅるしゅると縮まっていき真っ白な足が出来上がる。
次の日、月が頂点に立つまでキッカリ24時間、私は人間の姿になれる。
腰まであるさらさらの銀髪、横の邪魔な部分だけをツーサイドアップにまとめる。
四肢が長くて白い肌はきっとローサさん譲り。
用意した服は白のワンピース。
端々に青い珊瑚で染められた糸を使って作った蝶が刺繍されてる。
一緒に縫い付けてある真珠が光にあたってキラキラと輝く。
お気に入りの一枚なのだ。
人間への準備も終了し夜の酒場へと向かう。
お酒に良い思い出はないけれど、夜に人が集まる場所と言えばそこが一番だ。
カランコロン。
「いらっしゃい」
ガヤガヤと賑やかな雰囲気が静まる。
「こんばんは、皆様。夕方はどうも」
ぺこりとお辞儀をする。
「人魚様だ」
ぽつりと誰かが呟く。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉ!」
夕方に願いを叶えられなかった人、もう一度願いを叶えてもらおうとする人、多くの人が入り口付近にいる私に殺到する。
「え、いや、ちょ……っと、待って……」
「お、おれお金がほしいんさ!」
「あたしは良い男が欲しい!」
「僕の夢を叶えて!」
「世界一うまい酒が飲みてえ!」
「俺の嫁になってけれ!」
「ま、まって……じゅ、順番に……」
誰も話を聞いてくれない。ど、どうしよう。
陸で詰め寄られると逃げられない……海なら、これでおしまい、とか言って潜って逃げられるのに。
「戻りなさい。」
皆の声をすり抜けるように響き渡る一言。
一瞬にして詰め寄った人たちは動きを止める。
「戻りなさい。」
静まりかえった店の中で再度言う。よく通る声だ。
それぞれがもとの位置へと戻っていく。
「失礼いたしました、ようこそ。Bar-クリスタルへ。店主のカールです」
「あ、ありがとう。助かったわ」
カウンターに座りながらお礼を言う。
その間にも店内の視線は私にくぎ付けだ。
それに気付いたカールが二度手をたたく。
パンパンッ。
「さあさあ、皆様。今宵いらした方は人魚のお嬢様です。しかし私からすれば貴方たちも、人魚も皆同じお客様です。
それぞれにお楽しみ頂きたいのです、どうかおわかりを」
そう言って胸に手を当て、もうひとつの手を後ろの腰に当てて流れるような動作でお辞儀をする。
カールが頭をあげきったとき、店内は最初の賑わいに戻っていた。
「ありがとう」
いいえ、そう言いながらグラスを拭き始めた。
「シャンディガフを一つ」
硬貨を渡して注文をする。
カールは畏まりました、と一礼するとサーバーへ近づく。
グラスに半分ジンジャーエールを注ぐ、もう半分はビールを……最後は泡で気泡を閉じ込める。
決してマドラーで混ぜてはいけない。
白いレースのコースターを下に敷いて、出してくれた。
ぱちぱちと炭酸の弾ける音が聞こえる。
こくりと一口飲む。
口の周りに付いた泡を指で軽くぬぐってもう一口。
「美味しいわ。ありがとう。」
そうしてゆったりと時間は流れていく。
店内を見渡すと煌びやかなマーメイドドレスを着た女性や艶やかなスレンダードレスを着た女性、仕事帰りのような男性。
紳士のような初老、耳が熊のような若者、シルクハットをかぶったり蝶ネクタイをした兎、いろいろな人たちが楽しんでいる。
そっと、それぞれの会話に耳を傾けてみる。
『あそこのねーちゃん、綺麗だな、ちょっとお前行ってこいよ』
『お前が行けよ!』
『そう言えば、バタフライって店の姉ちゃんも可愛いぜ』
『ねえ、ちょっとさっきからあそこの人たちこっち見過ぎじゃない?』
『きっと貴方の胸にくぎ付けなのよ』
『もっと良い男が欲しいわあ~』
『今日の仕事はどうだった?』
『良い鉱山が見つかったから暫くは安泰だな』
『知っているか?西の方で王様が臥せっているそうだよ』
『なんでも治した奴は一生楽して暮らせるらしいぜ』
『ここらは飯がうまくて良いな』
『南の方の飯屋はまずくていかんな、上手いのは水だけだ』
いろんな話が聞こえてくる、面白い。
それにしても、王様が病気なのか。大変だね。良い治療師が見つかれば良いけど。
南はご飯が美味しくないのか……水が美味しければどうにでもなりそうなんだけどな。
これから行くのは南の方向、暫く滞在するつもりだしご飯は美味しい方がいいんだけど……。
「なあなあ、姉ちゃん~!ちょっくらいいか~?俺の願いきいてもらえねえかよう?」
お酒臭い。酔っ払い。
「お酒は身を滅ぼすわよ」
お酒に飲まれてはいけない、教訓だ。
「う……っるせーな、いいから俺の願いを聞けってんだ!!」
耳元で怒鳴りつけられる。キンキンと耳触りな音がこだまする。
先ほどまであんなにいい気分だったのに。なんなんだ。
「そんなこと言う人はお断りよ」
「んぁんだとお?」
思いっきり拳を振り上げる。
「脅し?」
「脅しじゃねぇえええ」
そのまま振りおろそうとした時、カールが素早く右手で拳を抑える。
「お客様、その手は人を殴るためにあるものではございません。
貴方の仕事を支える手でございます。
どうかお納めください。」
「彼は細工師なのよ」
すぐ横に来ていたお姉さんがそっと教えてくれる。
細工師は指先が命、手が命、腕が命。暴力を振るうためのものではない。
「それに、ここは私のお店でございます。
人のお店で商いをするような野暮な方はここにはいらっしゃらないのですよ」
その通りだ。
人の店の中で商いをするなんてご法度もいいところだ。
諭すように、カールが腕をひとなですると男は大きな声で泣き声を上げ始めた。
なんなの、一体……。




