私は魔女
スナーシャさんとか……トキエラさんとか……いろいろな人にお世話になったけど、
一人ずつ挨拶をしていると決心が鈍ってしまいそう。
お店を辞めてからスナーシャさんの所に顔も出していないから、なんだか会いにくいし。
人間に無理難題を吹っかけていたせいか、一部の人にはあまり良い顔もされていないし。
だから……そのまま行こう。
まずは南のオホリクス海。
初めてスナーシャさんのお店で飲んだ海水。ほのかに甘くて優しい味。
南を目指して泳ぐ……昼も夜も……とにかく何も考えずにひたすら泳ぐ。
お腹が減ればパンを食べて、眠たくなったら海のそこへ沈み眠る。
深海魚の額に付いているランプが時折チカチカと海底の砂浜を照らす。
そうして幾日も過ぎていった。
「まだ、付かない……」
オホリクス海……遠いとは聞いていたけれど、こんな何日もかかるなんて思わなかった。
ちょっと楽観視しすぎたかな。
近くに漁港があるみたいだから、そこに行ってみようかな。
ガヤガヤと海の中まで聞こえる賑やかな声。
魚以外の久しぶりの人の声。
「こんにちは」
桟橋の下から顔を出して挨拶をする。
「ああ、こんにちはお嬢さん。ここは漁港だからね、泳いでいると危ないよ。さあさあ、上がっておいで」
長い白髭を撫でながら目を細めて手を伸ばしてくれる。
お爺さん、私が人間だったら、手に捕まって登ろうと力を入れると、一緒に落ちちゃうんじゃないかな……?
「いいえ、大丈夫ですよ。私は人魚ですから」
ちらりと尾を見せる。
「おお、身付きだね。君は噂の七色の魔女かね?」
「よくご存じですね、そんなに噂は広がっていますか?」
「ああ、もちろんだとも。身付き、人間の耳に小さな鳥籠のピアスが付いていて銀色の綺麗な髪と尾をもつまだ若い魔女さんだとね。」
「そうですか。嫌な噂が流れていますか?」
「いろいろと難題を言うみたいだが、それに文句を言う人はおらんよ。
君はしっかりと対価を渡しているからね。彼らは必要な物を受け取っているのだ、誰が君を悪くいうものがいる?」
「それは……人それぞれですから……」
きっと強欲だと言う人もいるだろう、我儘な人魚だと言う人もいるだろう。
けれどそれを口に出さないのは弱みがあるから。
必要なものをもらうという、弱みが。
「おーい、爺さん。何をしてるんだ?そんな端に寄ってちゃ落っこちちゃうぜ!」
遠くの方から若い男の声が聞こえる。
「ああ、マーブルかい?七色の魔女さんとお話していたんだよ」
「七色の魔女?あれはルルーダ海の方にしか出ないだろ。ここらにはこないよ。ボケちまったのかい?」
「いいや、そんなことはないさ」
ここに居るならみんな願いをかなえてほしいさ、そう言いながらこちらに近づいてくる気配がする。
「貴方の願いはなあに?対価を払えば叶えてあげる」
桟橋から覗きこんできた男、いやマーブルに笑顔で問いかける。
驚いているマーブルをよそに私とお爺さんは目を合わせてウィンクをする。
「お……ったまげたあ。本物じゃないか」
「こんにちは、マーブル。私は人魚、七色の魔女と呼ばれる人魚。
貴方の願いはなあに?」
「いや……」
「ないの?」
「そうさなあ……」
「ないなら、いいわ。」
願いがないならそれでいい。
「お嬢さん、私の願いは叶えてもらえるかい?」
「お爺さんが?いいですよ」
「そうかそうか、有難いね。人魚に願いを叶えてもらえるなんて生まれて初めてだ」
そう言いながらにっこりと笑ってこちらを見る。
「そうさなあ……いろいろあるんだ、腰痛を治してほしい、目を良くしてほしい、若さを取り戻したい、言い出したらきりがないんだがね。
私の孫を治してくれないか?」
「いいんですか?お爺さんの腰も目も若さも、全て叶えることができますよ?
それに、一緒にお孫さんを治すことだって出来ますよ?」
願いはそれだけでいいのだろうか。
「なあに、老い先短い私より、これから先の長い孫に専念してほしいんだよ。
それに、対価もそんなにあるわけじゃあないからね。」
にこにこと話を続ける。
「私は何も持っていない、富も名声も……あるのは経験だけさ。
貴女にお金をあげることも地位をあげることも出来ない、ただの老人。
それでも私の願いを叶えてくれるかな?」
「ええ、もちろん。お金も地位もいらないわ。
私が満足したら叶えてあげる。」
満足そうに頷くと手を出してきた。
「握っておくれ」
ギュウっと手を握る。
お爺さんの手は少し冷たくて、海水で濡らしてしまうのが申し訳なかった。
「貴女はいろいろな人に恵まれていたね、今も……昔も。」
昔……。
そう、家族にも友達にも彼氏にも恵まれていた。
もう一度ギュッと握った後、手を離してくれた。
お爺さんの手に紙がいつの間にか現れていた。
「これが対価だよ。」
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