第9話
リオは徐々に晴れていく風景を見ていた。
シャンが言っていたのはどこまでも暗い闇であるといったが、俺には微塵にもそんな風景を見ることは出来ない。彼は確かにここに存在し、しかも椅子にまで座っている。そして、傍には妻であろう人物が彼の肩に手を置いている。
彼の妻はおそらく昏睡状態であったはずだが…。
そんなことを考えながらも俺はシャンに自己紹介をすることにした。
「混乱しているところ申し訳ないが、僕もここで生活するわけにはいかないので、自己紹介をします。名はリオ・リチャードといいます。あなたならわかると思うが、アウス王の嫡男であった男です。完全に戸籍からは抹消されていましたが。今はアリストの国王という立場に皆から認められました。まだ、ここ1年だから気に入らない反乱分子もいるでしょうが、今はあなたを政治・外交を任せる宰相としてスカウトに来ました。」
彼はその話を聞くなり、驚いた顔をしていた。どの内容に驚いたかはわからないが。
シャンは恐る恐る尋ねるように質問をした。
「では君はアウス王と敵対するということになるわけか。」
「そうなるでしょう。対外的には。しかし、13か国連合とアウス帝国、どちらにつくかも考えてはいません。現段階では13か国連合のほうが勝手に敵視しているというのが実情です。」
シャンは考えるように肘を机の上に置いていた。
いつの間に机が出現してきたのだろう。
「ふむ。少し話が見えない。その13か国連合が君たちを敵視しているのであればアウス帝国にも話を通すのが筋だろう。国境に接しているのはアウス帝国を含めて何か国かおろうが、元々の領土はアウス帝国のもの。それを会議か何かで行われたのか。」
リオは答えた。嘘をつくことは出来るが、彼のためにはなるまい。どういう判断を彼がするにしても。
「いや、こちらの密偵ではアウス帝国は直接関与していないらしいです。会談にも参加しなかった。アウス帝国内で何かあったというのが普通でしょう。そのことに関してはあなたのほうが詳しいはずです。」
シャンは答えた。
「確かにそうだ。しかし、帝国を離れて5年にもなる。その時とは状況が少し違う。アウス帝が病になったというのは広まっているのか。」
俺はすぐさま頷いた。
「そうですね。もう広まっています。少なくともここ何年という話ではないようです。しかし、これを聞いてあなたは何か変わることがあるのですか。いわれなき罪で国を追われたがあなたが。もう、祖国での感情はなくならないにしてもあなたなら国として見ることもできるのではないですか。」
シャンが首を振る。
「そこに国が若いといわれる一番の理由だな。確かに国は俺を見捨てたのかもしれないが、俺は国を捨てた覚えはない。少なくとも、今でも貢献しようと頑張っているつもりだ。」
俺はあえて挑戦的な口調で言った。
「それがたとえ暗殺者を出していると知っていてか。あまり良い傾向とは言えないのではと疑ってしまうな。少なくともあの国にはいないと思っていた。」
シャンはすぐにこちらを見たが、やはり首を振った。
「そうか。ならば、俺もここを出なくてはならないな。どうやって出るのかはわからないが。」
リオは雑草が生え始めた土を眺め、言った。
「ここはトガスが作った術の一種の幻覚になるのだろうな。もしそうなら、俺も同じ風景を見るという術のはずだ。」
シャンはこちらを見ていた。
何を言おうとしていたのか、分からないのだろう。
「俺はここが暗闇には見えないぞ。むしろ、草原にいて、シャン、君は椅子に座っている。空は曇りから青に移りかけているようだ。あなたが一番心変化に関しては分かっているのではないかな。」
俺はシャンとは距離を置こうと立ち上がった。
「待ってくれ。君はどうやってここに来たのだ。君はその…言いにくいが、術を使えないはずだ。ここの世界をトガスが作っているのであれば、君は来ることが出来ないはずだ。」
俺は首を横に振った。
「分からない。あなたを観察したらいきなりここに飛んできた。それがどういった原理で起こったのかは全く分からん。」
シャンはこっちを観察していた。
何を観察しているのだろうか。
「君の言った通り、これは幻覚のようだ。君のエネルギーが同じ速度で回っているのがわかる。」
リオは言っている意味が分からない。
「リオ、君は術に疎いかもしれないから補足をしよう。術を使えないものでも術エネルギーは存在している。そのエネルギーがうまく制御できないもしくは体内でとどまっている形が君であると考えられているのだ。」
リオはシャンが言っていることを半分も聞かなかった。
正直、術が使えないことは変わりがないのだ。聞く意味もない。
「それだけか。俺はもう行く。どこかに出口があるかもしれない。」
リオは歩き始めた。
シャンは考えていた。アウス王が病になっているのは知っていた。トガスからも様態がよくないのは聞いていた。しかし、この五年で政権が揺らぐほどの病だったとは思わなかった。それであるならば、トガスが私を診察してくれたという経緯もある程度分かる。彼は研究肌だが、それを戦いに使うというのは好まなかった。そこにはアウス王も少し物足りなさを感じてはいたが、並外れた術の考え方、そして医療の発展には将来彼は欠かすことのできない存在になると思っていたため、登用を決意したのだ。だが、トガスはその後も普段通り、研究に没頭する日々だった。そこにはアウス王の存在が大きく、何をするにしてもアウス王が自由に活動させ、その中で彼は研究を深めていき帝国に貢献した。その研究を見ていないものには彼をうっとおしいと思われただろう。
「トガスが俺を救ってくれたのかもしれないな。リオという新しい人に出会うこともなかったのかもしれない。」
シャンは呟いた。確かにトガスには手を焼かされた。だが、彼が救ってくれたことも多い。あいつもきっと帰っては来ないが、俺をずっと支えてくれた。ならば、ここらへんで腰を上げることにしよう。リオは王たる実力が開花しているように思われるが、しかしトガスの使い方までは分かるまい。それを考えると俺が彼を裏から支えるのが一番だ。
「よし、では何とかここを…。」
彼がそう考えた瞬間、周りの景色が変わった。
暗闇は晴れており、俺は机に肘を置き、椅子に座っていた。
その周りには草原が広がっている。
リオがこちらに歩いてくる。暗闇でよくわからなかったが、彼は本当にアウス王にそっくりだ。
「どうやら決心を固めたようだな。」
「ああ。いや、はい。これからよろしく頼みます。リオ王。」
「まあ、宰相だからな。それぐらい固いほうが似合っているだろう。しかし、分かっているとは思うが、うちも人材不足で結構厳しい状態だ。もしかしたら、トガスには戦争で医師として従軍してもらう可能性もある。彼の綱はシャン、君の腕次第だ。うまく使ってやってくれ。彼もアリストには必要な人材となるはずだ。」
「分かりました。」
「では、行くか。幻覚はこれで懲りたな。さすがに同じ景色も見すぎたら飽きが来る。」
「同感ですな。」
俺たちはしばらく、空を見上げていた。
レオンは少し焦っていた。
「レオン殿、少し落ち着け。そんなに焦っても事態は好転しない。」
テミール将軍は看護士が入れてくれた紅茶を飲んでいた。この病室は広いから机も自由に置くことが出来る。しかし、あまり落ち着いているのもどうかと思う。
「ん。」
病室がノックされた。
レオン、テミール将軍はすでに臨戦できるように剣を抜いていたが、すぐにしまった。
「大変よ。」
ルヴェルが入室してくる。
「ロードスから10000、アンテから10000の総勢20000兵が動く可能性があるわ。遅く見積もって、この2か月には攻めてくるでしょう。場所はここのタミーと、レッシング街道がメインの戦場となるでしょう。ともかく、早く会議を…。どうしたの。リオ。」
今になってそれに気が付いたらしい。
「さて、どうしたものか。」
リオは言った。
気づいた瞬間こんな状態になっているとはすこし、よくないな。まあ、仕方ない。
レオンとテミール将軍は驚いていた。それもそのはず。今まで動いていなかった人が動いているのだ。
「リオ、体調は大丈夫か。」
「ああ、大丈夫だ。もうすぐシャンは目を覚ますが、すぐには動けまい。後日、アリストに来てもらおう。トガスと一緒にな。さあ、俺たちは帰るぞ。ティルだけでは対応が後手に回ってしまう。」