大好きだから ㊤
―――隼人へ
ずっとずっと気付かなくて、ごめんなさい。
私のことなんてもう忘れていいから、隼人は本当に好きな人と自分の道を歩んでください。
優しくてあたたかい隼人が、大好きでした。
さようなら。
さくら―――
高く、澄んだ空が少しずつ紅く染まっていく。
道の両脇に広がる林の木々の間から時折のぞく夕日がとても綺麗な時間。
鳥の鳴き声や、虫の音が微かに響く小道を、ひたすら歩く。
右足を出したら、今度は左足。
ただ、前に。前に。
それだけを考えて。
余計な事なんて、頭の片隅にも置いちゃダメ。
そうじゃないと…
歩き続けていると、前方に石造りの階段が見えた。
後少し。
歩くスピードを速めて、その階段をのぼる。
はやく。はやく。
少し息を切らしてのぼりきった階段の先には、大きな鳥居。
その先には両脇に2体の狛犬が座っていて、中央に社殿が建っている。
代々うちの家がお仕えしているこの地の守り神のおわす場所。
御坂神社。
鳥居の下をくぐると、神聖な空気を肌に感じ、思わずふ…と小さくため息をついた。
「さくちゃん…?どうしたの?」
「………斎…」
「なんか嫌なことでもあったのか?俺らがそいつに報復してやろうか?」
「こら。物騒なこと言わないの。…ありがとう、神門」
心配そうに見上げて来る小柄な2つの影の前にしゃがみこみ、微笑んで見せる。
姿形は、5,6歳頃の子供のよう。
身なりは現代の服とは大きく違い、一方は鮮やかな青の狩衣姿。
もう一方は巫女の装束で、白い小袖に緋袴をはいている姿。
この子達はうちの神社の狛犬なんだけど、人の姿になることもできる。
そして、巫女の姿の女の子が斎。
狩衣姿の男の子が神門っていう名前なの。
私が生まれるずっと前、この神社ができた時からここにいて、今は私の大切な家族になっている。
「斎、神門。心配してくれてありがとう。大丈夫だよ」
「………さくら。嘘ついてるだろ」
「………っ!!」
「さくちゃん、無理…しないで?」
どうして…。
どうして、この子達にはわかるのかな。
帰って来る間、ずっと考えないようにしていたことが一気に心を埋め尽くしていく。
悲しくて。
苦しくて。
目の前がどんどんぼやけていく。
ダメだよ。
泣きたくなんてないのに。
涙なんて、流しちゃダメなのに。
私の…せいなのに。
どうしようもなく辛くて…。
「………っ。ふ…っ」
「「………。」」
俯いて、泣きだした私の頭をよしよしと無言で撫でてくれる2つの小さな手。
あたたかい。
だけど、ごめんね。
私が一番欲しいのは、同じあたたかさでも、誰も代わりにならないあのぬくもりだけ。
こんなことになったのに。
あんなに、私のワガママのせいで、あの人に迷惑をかけたのに。
それなのに…
「はやと…」
会いたい。
そばにいてほしい。
こんなにも、心から求めているのはたった1人だけ。
私に、あの人の隣にいる資格なんてないのに…。
『さくら?あー…はっきりいって、ウザいんだよね。アイツ』
『え?いや、なりたくて彼氏になったんじゃねーし』
『ほんっと迷惑。はやくどっかいってくんねーかな』
『だって怖いだろ?あんな力持ってるやつが近くにいるなんて。そんなに早死にしたくねーよ』
心臓が、氷の手で掴まれたような衝撃。
心臓止まっちゃうかと思った。
普段の隼人からは想像もつかないような言葉ばかりが聞こえて来て。
正直、信じられなかった。
でも…
『あーあ。さくら、どっかの妖怪とかに襲われて死なねぇかな』
『そしたら、俺は自由の身になれるのに』
…これが、隼人の本心…なんだよね。
こんなにも、憎まれていたなんて。
思いもしなかったよ。
怒りとか、そんなの全く無くて。
ただ、ただ。
私の中にあるものは、悲しみ、苦しみ、辛さ…。
そういったものだけ。
抑えなくちゃいけない。
わかってる。
負の感情があると、妖怪に付け込まれやすくなってしまうから。
だけど。
そんなこと、できるはずがない。
「…うっ…ふぇ…ひくっ…」
ぼろぼろと大粒の涙がこぼれて、止める事なんてできない。
なのに。
こんなに、辛いのに。
苦しいのに。
「はやとぉ…」
心は、あの人を求める事をやめない。
こんなことになっても、まだ隼人のことが好き。
大好き。
私に、存在する意味を見つけてくれた人。
私に、居てもいいんだって。
人を信じてもいいんだって教えてくれた人。
初めて、愛してくれた人。
なのに。
本当は、私のことが嫌だったって。
ずっと我慢してたって。
私のことなんて、いらないって。
じゃあ、私は…どうすればいいの?
「…消えるしか、ないんだよね」
唯一の大切な存在の心を知ってしまった今。
私は、あの人の前から消えるしかない。
そうすれば、隼人は楽になるんだよね?
だから、手紙を書いて、生徒会長専用の机の上に置いて来たんだよ?
いつもフラフラしてて、仕事なんてしてくれなくて。
そのくせ、勉強も、運動も、なにもかも、全部簡単にこなしてくれちゃって。
だけど…
そんなこと、関係無かった。
ただ、優しくて、あたたかくて。
強くて、私の、唯一安心しきれる場所。
私にとって、一番、大切な存在。
そんなかけがえのない人だったから。
私は、隼人のためならどんなことでもできるんだよ?
「斎、神門…ごめんね」
「「え…っ?」」
「縛縛縛、不動縛」
「「……っ!?」」
縛魔術を使い、2人の動きを止め、さらにもうひとつの術で狛犬の姿へ戻し、人型に変化できないようにもした。
《《さくら(さくちゃん)…っ!!どうして…?》》
「…ごめん、2人とも。私…消えるね」
《《…さくら(さくちゃん)!!》》
2人の悲鳴のような声が背後から聞こえる。
どうにか術を解こうと必死になっているみたいだけど、無理だよ。
一応私は、一族内でもけっこう強い力を持った術者なんだから。
あとは、文字通り、私が“消える”だけ…。
「ごめん、父さん、母さん」
だけど大丈夫。
皆の記憶の中からは、私は消しておくから。
隼人がそばにいてくれないなら…私に、存在意義なんてない。
こんな化け物みたいな子、誰も受け入れてなんてくれないから…。
『は?術者だからとか関係ねーだろ?』
『さくらが一番大切なんだよ』
『バーカ。ほら、笑えって』
『…愛してる』
今までに隼人がくれた言葉が頭を駆け巡った。
あの言葉も、全部嘘だったんだね…。
社殿の横にある崖の手すりから、街を見下ろす。
この風景を見るのも、最後だな。
最後に見た景色が、私の大好きな夕日に染まるこの街でよかった。
本当は。
最後の最後に、あの人に一番会いたかったんだけど…。
そんなの、叶わないってわかってるから。
さようなら。