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怖い話を集めました

ずるいのは誰?

掲載日:2026/05/30

 


 義妹は、いつも同じ言葉を使った。


「ずるい」


 最初に言われたのは、母が亡くなった翌年だった。


 父が再婚し、家に新しい母と、一つ年下の少女がやってきた。


 わたくしはまだ母の死を飲み込めずにいた頃だ。


 義妹は最初こそ人見知りを装っていたが、数日もしないうちに日課のように言い始めた。


「ずるい」


 まるで呪文だった。


 義妹にとって「ずるい」は魔法の言葉だった。そう言えば、欲しいものが手に入る。ただ、それだけだった。


「お姉様のお部屋、広くてずるい」


 まだ母の香りが少しだけ残る部屋だった。窓辺に置かれた椅子。刺繍枠。母が選んだカーテン。


 わたくしは少しだけ唇を噛んで、それでもうなずいた。


「では、こちらを使う?」


 義妹の顔がぱっと明るくなる。


「いいの!?」


 後ろで義母が目を細めた。


「まあ、優しいこと」


 父も微笑む。


「姉なのだから、譲ってやりなさい」


 そうしてわたくしは、小さな客室へ移された。


 次はドレスだった。


「お姉様ばかり綺麗なドレス、ずるい」


 母が仕立ててくれた春色のドレス。裾に小さな花の刺繍がある、お気に入り。


「妹なのだから仲良く分けなさい」


 父が言った。


 義母は困ったように笑う。


「この子、今まで苦労してきたの。あなたはたくさん持っていたでしょう?」


 わたくしはうなずいた。


 譲った。


 一着、また一着。


 鏡の前で嬉しそうに回る義妹を見ながら、なんとなく、自分が薄くなっていくような気がした。


 けれど我慢した。持っているから、譲るべきなのだと思った。


 やがて婚約者もそうなった。


「お姉様ばかり素敵な人がいてずるい」


 冗談だと思った。


 けれど父と義母は真顔だった。


「彼も若い。気が変わることもある」


「可哀想でしょう? 妹にはなにもないのよ」


 婚約者は、最初こそ困惑していた。だが父に呼ばれ、義妹に甘く笑われ、義母に「お願い」と涙ぐまれ……気がつけば、義妹の隣に立っていた。


「すまない」


 その一言だけだった。


(何が、すまないのだろう)


(譲れと言われて、本当に譲っただけなのに)


 わたくしには最後までわからなかった。


 それでも父は満足そうに言った。


「平等になったな」


 義母もうなずく。


「あなたはたくさん持っていたもの。譲れるでしょう?」


 義妹は嬉しそうに笑った。


「ずるくなくなった!」


 わたくしは笑えなかった。でも泣きもしなかった。もう、感覚が薄くなっていた。


 そして、とうとう譲るものがなくなった頃。


 義妹が言った。


「今度はお友達ちょうだい」


 昼食の席だった。銀食器が陽に光る。


 父が紅茶を飲みながら言う。


「うん、それがいいな」


 義母もうなずいた。


「あなたには友達がいるでしょう? この子にはいないの」


 義妹が唇を尖らせる。


「ずるいもん」


 そのとき、なにかが切れた。静かに、本当に静かに。


 わたくしは紅茶のカップを置いた。


「では」


 三人がこちらを見る。


 わたくしは、できるだけ穏やかな声で言った。


「わたくしも、ずるいと言ってよろしいですか?」


 父が眉をひそめる。


「なんだ急に」


「お義母様」


 義母を見る。


「あなたにはお母様が生きていて、ずるいです」


 この間、この人のお母様が遊びに来て一週間泊まって行った。がはははとうるさい人だった。


 義母の顔から笑みが消える。


「……え?」


 今度は義妹を見る。


「あなたもです」


「わ、わたし?」


「わたくしには、お母様がいません」


 静かな声だった。だからこそ響いた。


「あなたのお母様は生きている。ずるい。ずるいです」


 義妹が目を見開く。


 父の顔が引きつった。


「平等にしましょう」


 わたくしは微笑んだ。


「持っている人は、持っていない人に差し上げるのでしょう?」


 しん、と静まり返る。


「わたくし、お母様が欲しいのです。平等にしましょう」


 わたくしは微笑んだ。誰も否定できない理屈だった。


「持っている人は、持っていない人に差し上げるのでしょう?」


 義母が青ざめる。


「な、何を言って……」


「平等にしてください」


 父を見る。父のほうの祖母も生きている。誕生日にプレゼントを贈ってくる。


「ずるいのです。わたくしだけ、お母様がいないなんて。三人ともお母様がいます」


 誰も、なにも言えなかった。だって。今まで彼らがわたくしから全てを奪うために使ってきた理屈を、そのまま鏡のように返しただけなのだから。


 沈黙が食卓に満ちていた。


 その中で、わたくしはふっと、胸の奥から湧き上がるおかしさを堪えきれなくなった。


「あら。ごめんなさい、うっかりしておりましたわ」


 口元にそっと手を当て、わたくしは笑った。凍りついた食卓に、その声だけが妙に明るく落ちた。


「忘れておりました。わたくしのお母様は亡くなって、今は天国で美しい天使となってらっしゃるのです。生前、とても信心深い方でしたから。きっと今も毎日、神様のすぐお側で、親しくお話ししてらっしゃいますわ」


 それは、この場を収めるための言葉ではなかった。ただ、この歪んだ家族のルールに、決定的な最後の一手を投じるためだけの言葉。


 義妹の肩が、びくりと跳ねた。


「天使……?」


 その瞳が、奇妙な熱を帯びて爛々と輝きだした。彼女の頭の中にあるのは、常に一つだけ。姉が持っていて、自分が持っていないものへの執着。それがたとえ、死者の世界のものであろうとも。


「ずるい……」


 ぽつり、と義妹が呟いた。


 義母がハッとして「何を言って」と遮ろうとしたが、もう遅かった。


「ずるい、ずるい! お姉様ばかり、天使のお母様がいるなんて、ずるい!」


 義妹は椅子を蹴立てて立ち上がった。銀食器がガタガタと音を立てた。


「ずるいもん! わたしのお母様はただの人間なのに! お姉様だけずるい! ずるい!」


「落ち着きなさい!」


 父が声を荒らげたが、一度火のついた「ずるい」は、もう誰にも止められない。その言葉だけで全てが思い通りになってきた、彼女の生涯を賭けた呪文だったから。


 義妹は、青ざめて固まっている実の母親を、らんらんとした目で見据えた。


「お母様も、今すぐ天使になって!」


「……え?」


 義母の声が、恐怖で引きつる。


 義妹は母親の肩を掴み、狂ったように揺さぶった。


「わたしも天使のお母様が欲しい! 今すぐ天使になってよ! お姉様と平等にして! ずるい、ずるい、ずるい――!!」


 叫び声が食堂に響き渡る。


 我が子の手の平に怯える義母と、ただ呆然とそれを見つめることしかできない父。


 わたくしはただ、静かにそれを見ていた。


 冷え切った紅茶は、もうすっかり、美しい琥珀色に澄んでいた。



いつも読んでいただきありがとうございます!


誤字、脱字を教えていただくのもありがとうございます。

とても助かっております。

楽しんでいただけましたら、ブックマーク・★★★★★をよろしくお願いします。

それからもう一つ、ページの下部にあります、「ポイントを入れて作者を応援しよう」より、ポイントを入れていただけると嬉しいです。

よろしくおねがいします。


書籍を出すことができました。

挿絵(By みてみん)




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