57:それでこそ先輩です!
「……鬼……」
幸太くんは青ざめて呟いた。
陸先輩も乃亜も硬直し、信じられないような目で有栖先輩を見ている。
けれど、由香ちゃんの反応だけは違った。
「ああっ……」
由香ちゃんは感極まったようにふるふる震え、頬を赤く染め、顎の下で腕を組み、潤んだ目で有栖先輩を見つめた。
「さすが……さすがです先輩! たとえ本物のリスじゃないと頭では理解していても、あんなに愛らしいリスを鷲掴みにして壁に叩きつけるなんて、とても普通の人間にはできない! どうしたって良心が邪魔をする! けれど先輩はそれをやるんです! 躊躇なく! 容赦なく! なんて残酷! なんて苛烈! ああっ、それでこそ! それでこそ先輩ですっ……!」
由香ちゃんは頬を押さえて身悶えしている。
「あー……」
色々と突っ込みどころ満載だったけれど、本人が幸せそうなので放っておこう。
その一方。
「なんってことするんですか白石有栖っ!!」
床で痙攣していたリスが跳ね起き、喚き始めた。
「信じられません、あなたどうして私に魅了されないんですか!? 私を一目見た者は虜になるはずなのに! いいえ、たとえ魅了されなかったとしても、こんなに愛らしいリスを投げるなんて、あなたには動物愛護の精神がないんですかっ!? この鬼畜っ!! 悪魔っ!!」
「うるさい」
ぐしゃっ。
聞いてはいけない音と共に、有栖先輩はリスを顔色一つ変えずに踏みつけ、ぐりぐりと踏みにじった。
「……………………」
誰も何も言わない。とても言えない。
もはや悪魔を超えて魔王と化した有栖先輩を前にして、無力な私たちに一体何ができるというのだろう。
魔王を崇拝しているのは由香ちゃんだけで、動物好きの陸先輩など顔を覆っている。見るに堪えないらしい。
「……あのさ、ののっち」
「すみませんごめんなさい」と部屋中にリスの悲鳴が響く中、幸太くんが暗い顔で手招きしてきた。
「何?」
有栖先輩の注意を引かないよう、音を立てずに近づくと、幸太くんは耳打ちしてきた。
「ここって乙女ゲームの世界って聞いたんだけど」
「うん」
こくりと頷く。
「有栖先輩は存在する世界を間違えたんだと思うんだ。あの人がいるべき世界は剣と魔法のファンタジーだろ。配役は魔王か邪神で確定だろ」
「ああ……それは私も思う。もし有栖先輩が魔王だったら、魔王城で呑気に勇者パーティーを待ったりせず、勇者が誕生した瞬間全力で殺しに行きそうだよね」
「たとえ相手が赤ん坊でも『それが何?』とか言いそうだよな……血も涙もねえ……見てあれ……」
「もう許してください。私が悪かったです」
幸太くんが親指で示した先で、リスは白旗を上げた。
現在リスは有栖先輩の手により再び鷲掴みにされている。
その身体には有栖先輩の靴跡がたくさんついていた。
「もう降参? 早すぎるだろ、もっと頑張れよ。俺が悪魔ならお前は何だ? 人の心を操って、散々好き放題しやがって。相応の覚悟はできてるんだろ、できてないとは言わせねえよ」
有栖先輩はリスを握る手に力を込めた。
偽りの人格は崩壊し、地金が出てしまっている。
「ああああできてませんでした謝ります嫌ですもう嫌ですごめんなさいぃぃ」
締め上げられ、リスはとうとう泣き始めた。
可愛らしいリスの泣き声を聞いても、有栖先輩は同情するどころか舌打ちした。
「……もう止めてやれ有栖。頼むから。な?」
陸先輩の精神のほうが先に参ったらしく、彼は有栖先輩の腕を掴んで止め、強引にリスをその手から奪い取った。
「陸さあああん」
リスは陸先輩の胸にしがみつき、大声で泣いた。
小さな身体が震えている。
もはやどちらが悪役かわからない状態である。
有栖先輩は忌々しそうにリスを一瞥した後、ため息をついた。
そして、床にへたり込んで震えている乃亜に目を向けた。
「で? 君はいつまでそうしてるの? そうやって震えてれば許されると思ってるんじゃないだろうね?」
「す、すみません……っ」
有栖先輩に睨まれ、乃亜は真っ青な顔で正座し、胸の前で手を組んだ。
「私が間違ってました。拓馬への洗脳は解きます。もう二度と人の心を操ったりしません。誓います。ですからどうか許してください」
乃亜は手を組んだまま、頭を下げた。
有栖先輩が皆を見回す。
どうする? とその目が問うていた。
「オレはもういいです」
幸太くんは苦笑し、両手を振った。
「俺も」
リスの背中を摩りながら、陸先輩が同意する。
「中村さんは?」
「私は……」
由香ちゃんは顔を伏せている乃亜を見てから、私を見た。
「……神さまや乃亜がしたことは酷いと思いますが、私は特に何も被害を受けてないので。ここはやっぱり、悠理ちゃんが決めるべきだと思います」
「そうだね。野々原さんが一番の被害者だ。どうするかは君に任せるよ」
有栖先輩は頷き、最終的な判断を私に委ねてくれた。
「ありがとうございます」
有栖先輩に頭を下げ、乃亜の前に立つ。
「許すには条件がある」
私は乃亜のつむじを見下ろして言った。
「まずは大福への罰を解いて」
いま一番してほしいことはこれだ。
乃亜は一瞬、上目遣いに私を強く睨んだものの、有栖先輩の不興を買うことを恐れてか、すぐに頷いた。
「……わかったわ。りっちゃん」
「はい……」
リスは陸先輩に頭を撫でられながら、ぐすん、と鼻を鳴らした。
ほぼ同時に、由香ちゃんの肩の上に見慣れた白いハムスターが現れる。
大福が反逆したせいか、額には『神』ではなく『バカ』と下手くそな文字が書かれていた。




