50:濡れ鼠の協力要請
「な、何? 誰?」
見回しても誰もいない。
そんな馬鹿な。いま確かに声が。
「こっちこっち。足元。下だ」
「下?」
肩にかかった鞄の紐を強く掴み、身を縮めたまま下を向くと、ずぶ濡れの鼠が足元にいた。
「きゃーっ、鼠ぃぃ!!」
「違う! ハムスターだ!!」
後ろの二本足で立って、鼠――もとい、ハムスターは強く抗議してきた。
威嚇するように口が開いている。
よっぽど鼠呼ばわりが嫌らしい。
ハムスターを飼ったこともなく、それほど思い入れのない私には、正直、鼠もハムスターも似たようなものだと思うんだけど。尻尾が短いか長いかの違いでは?
「……は、ハムスター? しゃべっ……?」
一色さんへの怒りでどうかしちゃったのかな。
私、相当疲れてる?
夢でも見てるの?
「オイラ大福って言うんだ。よろしく」
ハムスターは、後ろの二本足で立ったまま、ぺこり、と頭を下げてきた。
「………………」
その礼儀正しい様子を見て、初めて興味が沸き、私は少しだけ警戒を解いた。
何だろうこのハムスター。
文字通りに濡れ鼠で、みすぼらしくて、怪しいことこの上ない。
でも、理性的で、飛び掛かってくるような気配もない。
「信じられないと思うけど聞いてくれ。オイラ悠理の友達……いや、友達っていうのかな……とにかく味方なんだ。オイラはずっと悠理の傍にいた。一時期は悠理の家で飼われてもいた。だからお前のことも知ってる、中村由香」
ハムスターは全身を雨に打たれながら、両手を広げた。
これは害がないことをアピールしたいのだろうか。
「悠理って……悠理ちゃんのこと?」
私は恐る恐る屈んで、小さなハムスターに傘をさしかけた。
「そうだ。お前の友達の野々原悠理だ。オイラは悠理が拓馬のことで傷ついて泣いてたことも知ってるし、一色乃亜の正体も知ってる。全てがおかしくなっちまったのは乃亜のせいなんだ。正確に言うと乃亜の傍にいる神さまが原因だ。あいつをどうにかしないと永遠に拓馬は乃亜のものだし、悠理は泣いたまんまだ。オイラそんなの許せない。お前もそうだろ。だから協力を頼みたい」
「ちょ、ちょっと待って。一体何がなんだか……神さま?」
喋るハムスターとの出会いだけで衝撃なのに、彼(?)が話す内容も、頭痛を誘発するには十分すぎた。
こめかみを押さえて揉んでいると、ハムスターは頷いた。
「ああ。神さまは乃亜がありとあらゆる面で有利になり、皆に愛されるよう仕向けている。四股をかければ非難を浴びて当然だろう。その相手が人気者ならなおさらな。それを『大したことじゃない』ことにし、乃亜が何をしても許される空気を作り出しているのがこいつだ。拓馬たちの心を操ってるのもな」
「!? ちょっと待って、心を操るって……!?」
唖然としてハムスターを見ると、ハムスターは再び重々しく頷いた。
「拓馬が乃亜と付き合ってるのは本心じゃない。それが乃亜の望みだから、神さまが拓馬の恋心を上書きしちまったんだ。本当に拓馬が好きなのは悠理なのに、乃亜だと錯覚させられてる」
「何それ……それが本当なら、許せない!」
皮膚が痛みを覚えるほどに強く手を握る。
この一週間ですっかり変わってしまった黒瀬くんや、異常に一色さんに甘い皆の言動も、神さまという人智を越えた存在が介入したからだと思えば説明がつく。
というか、それ以外に納得なんてできるわけがない。
――黒瀬くんもそうだけど、白石先輩が平気で四股をかける女を好きになるなんて、おかしいと思ってたんだよ。道理で。
私は目を閉じ、大福と名乗るハムスターの言葉を全面的に信じることにした。
悠理ちゃんの苦しみを思い、目が眩むほどの怒りを覚える。
「……でも、相手は神さまなんでしょう? どうやって対抗するの?」
目を開き、大真面目に尋ねる。
「対抗できるとしたら有栖しかいない」
「白石先輩?」
驚いた。
「でも、いま白石先輩は神さまに操られてる状態なんだよね?」
「そうだ。だから由香、お前にはなんとか有栖の目を覚まさせてほしい。あいつが無理なら誰にも無理――ぶしゅっ」
ハムスターはくしゃみをして、ぶるりと震えた。
「ああ、ごめんね」
話に聞き入るあまり忘れていたけれど、彼は長時間雨に打たれ続けてきたのだろう。
早く乾かさなければ風邪を引く。
私は慌てて鞄からタオルを引っ張り出した。
朝、天気予報アプリを見て、念のためにと持ってきていて正解だった。
「はい。乗って」
傘の柄を肩にかけ、両手でタオルを持って、差し出す。
「……タオル汚れちまうぞ?」
「いいよ。タオル一枚よりも、大福くんが風邪引かないことのほうがずっと大事だよ」
安心させるように笑う。
「……そんじゃお言葉に甘えて」
ぴょん、と大福は私の手の中に飛び乗って来た。
タオルで優しくその身体を包み、軽く揉む。
なんとなくおにぎりを作っているような気分になった。
「……やっぱり由香は悠理の親友なんだな」
「どうして?」
独り言のように呟かれた言葉が気になって、私は手を止めた。
すると、大福は笑った。
ハムスターの表情なんてわからないけれど、そんな気がした。
「悠理と初めて会話した日も雨だったんだ。あいつ、オイラが濡れることを心配して家に来るかって聞いてくれたんだ。それからオイラ、悠理の家に住むことになったんだよ」
「……そうなんだ」
胸が温かくなるエピソードを聞いて、私は微笑んだ。
「でも、それならどうしてここに? 悠理ちゃんの家に帰らなくていいの?」
首を傾げると、大福は寂しそうに俯いた。
「……オイラ、ずっと前に拓馬の感情制限が外れていたことを神さまに報告しなかった罰を受けてるんだ。いまのオイラは悠理と一切の接触ができないようになってる。悠理の目にオイラは見えないし、聞こえないし、触れない。だから、この前あいつがオイラの名前を呼んで泣いてたときも慰めてやれなかった。ずっと傍にいたのに。ただ、見てるだけで……」
「……感情制限?」
大福の小さな口から出てくるのは、知らない情報ばかり。
「……順を追って話したい。オイラ、今日だけお前の家に行ってもいいかな」
大福はつぶらな目で私を見た。
「いいよ。悠理ちゃんの友達なら大歓迎」
私は微笑み、大福の頭をタオル越しに撫でた。




