21:魚の釣り方を教えたい
「お前、おれがまともに米すら炊けないこと知ってて言ってるのか……? きっちり分量を量っても、白いスライム状の何かが出来上がるんだぞ?」
よっぽど嫌らしく、拓馬は箸を置いて非難の目で見てきた。
空気が重い。
それほど拓馬にとって料理はトラウマなのだろう。
無理もない。拓馬はみそ汁を作ろうとして鍋を爆発させる人だ。
もはや料理下手というレベルを超えている。
「拓馬の絶望的な料理スキルはわかってるつもりだよ。でも、それでもどうにかしなきゃ。ううん、どうにかするべきだよ。協力するから頑張ろうよ。たとえ台所が大爆発を起こして修繕費が嵩み、退去時の敷金が返ってくるどころかマイナスになっても私がなんとかする。両親に土下座してでも借金して、将来働いて返すから」
「……なんでそんなリスクを背負ってまでおれに料理をさせようとするんだ?」
「それが拓馬のためになるって確信してるからだよ」
拓馬の分まで料理を作るのは全く苦じゃない。
むしろ役に立てると思えて嬉しいし、食事の度に拓馬と交流できる。
こうして拓馬を部屋に招き、美味しいと喜ぶ顔を間近で見ることができる。
叶うなら、ずっと私が料理を作ってあげたい。
でも、拓馬のためを考えたら、それじゃダメなんだ。
「料理はできないよりもできたほうが良いでしょう? 誰かがこの先一生拓馬の世話を焼いてくれるなんて保証はどこにもないんだよ? いまは私がいるからいいよ。でも、私がいなくなったら困るでしょう? 私も、このままじゃもし将来拓馬が一人になったとき大丈夫かなって心配しなきゃいけなくなる」
拓馬は無言。
大福も同じだ。真っ黒な目で私を見上げている。
私は食べかけの料理を残して立ち上がり、拓馬の傍に座って右手を掴んだ。
拓馬がびっくりした顔で私を見る。
この右手はつい昨日、私の手を引いた手だ。
私はこの手に引かれて真っ白なゴールテープを切った。
夢のような記憶を、一つ一つ、ちゃんと覚えている。
「私、体育祭が大嫌いだったんだ。昨日も皆の前で恥を晒すだけ、絶対一位なんてなれないと悲観してたけど、拓馬が奇跡を起こしてくれた。私にゴールテープを切らせてくれたし、リレーでは私が落とした順位を元に戻してくれた。拓馬は嫌な思い出しかなかった体育祭の記憶を塗り替えてくれたの。だから今度は私の番。私は拓馬が料理できるようにしてみせる。必ず」
私は押し黙っている拓馬を見つめ、握る手に力を込めた。
「いますぐ上手になれなんて言わないよ。まずは簡単なアシスタントをやってもらうから。時間はたっぷりあるもの。焦らなくていいから、ちょっとずつ、一緒に頑張ろう」
拓馬の不安を払拭するように、にっこり笑う。
拓馬は眉間に皺を刻み、深く悩んでいたようだけれど、やがて、嘆息した。
「……わかった。無理だと思うけど、やれるだけやってみる」
「うん! 約束ね!」
私がぱっと表情を明るくすると、拓馬は苦笑した。
「ああ、約束するから席に戻れ。せっかくの料理が冷めるだろ」
作ってもらったんだからこれはおれの仕事だと言って、律儀に二人分の皿洗いをしてから、拓馬は自分の部屋へと戻って行った。
拓馬が帰った後も大福はぶうぶう文句を言っていたけれど、その全てを聞き流し、私は入浴を済ませてパジャマに着替え、リビングのテーブルに日記帳を置き、座った。
「何だこれは」
テーブルの上にワープしてきた大福が鼻をひくひくさせながら真新しい日記帳の匂いを嗅ぐ。
「日記帳だよ」
私は日記帳を撫でた。表紙には不思議の国のアリスをモチーフにしたメルヘンチックなイラストが描かれている。
「最近良いことばっかりだから、忘れないように日記でも書こうと思って。昨日は体育祭で一位を獲れたし、今日は『有栖のお茶会』に参加できた上に拓馬が手料理を食べてくれた。拓馬は甘い卵焼きが好きだってこともちゃんと書いておかないとね。出したもの全部食べてくれて嬉しかったなー明日のメニューはスパゲッティとかにしてみようかな。あーでもスパゲッティって付け合わせに悩むな。スパゲッティオンリーじゃ食べ盛りの男子高校生の胃袋は満たされないよね。から揚げとかコロッケがいいかな? それとも……」
「……楽しそうだな」
顎に手を当て、ぶつぶつ呟いていると、大福が言った。
「楽しいよ。何作れば喜ぶかなってわくわくする」
筆箱からシャープペンを取り出してノックする。
「それなら無理に拓馬に手伝わせなくたって……」
「ねえ大福」
台詞を遮って、私は大福に顔を向けた。
「拓馬も料理できるようになったほうがいいって私が言い出したとき、焦ってたよね? そんなことしても無駄だって言わなかったよね? ってことは、努力すれば拓馬は料理できるようになるってことだよね?」
大福はぴたと固まった。
「その反応で十分だよ、ありがと」
とどのつまり、拓馬が料理下手なのは乃亜のためというわけだ。
「ごめん。乃亜には悪いけど、私、拓馬に料理できるようになってもらうから。拓馬が料理上手だったら乃亜が手助けする余地がなくなって困るかもしれないけど、でもそれは乃亜の都合でしょ? 私には拓馬が自立するほうがずっと大事」
「……。お前は本当に拓馬のことが好きなんだな」
日記帳の日付を書いていると、耳に大福の言葉が滑り込んできて、危うくシャープペンを取り落としそうになった。
「え、いやーそれは……」
私は沈黙した後、開き直ってきっぱり言った。
照れることなく、堂々と。
「好きよ」
「いやそんな胸張って断言されても困るんだけど……まあいいや。気の済むようにしろ」
大福はテーブルにぺたんと突っ伏した。耳まで垂れている。
どうしよう、撫で回したい。
なんだこの可愛いふわふわな生き物。
テーブルに腹ばいになったその姿は、まさに大福そのものである。
「ただし拓馬の料理音痴を直すのはお前の想像以上に大変だろうから覚悟しとけよ」
「うん、頑張る」
大福を撫で回したいとうずく指先をどうにか理性で押さえつけ、私は日記帳にシャープペンを走らせた。




