15:モブ、一念発起する
「おし。まだ誰もゴールしてねえな、行くぞ! 夢のゴールテープを切らせてやるよ!」
「えっ、わあっ!?」
拓馬は言い終わるよりも先に私の左手を掴み、走り出した。
周りの景色が飛ぶように流れていく。
まるでジェットコースターに乗っているかのよう。
応援席が、青空が、グラウンドが、目に映る色彩の全てがごっちゃになって、マーブル模様になる。
拓馬は私の手を引いて、ぐんぐん、ぐんぐん、風を切って進んでいく。
声援を浴びながら、子どものように目をキラキラさせて、ゴールに向かって駆けていく。
走ることが好きなんじゃない、私を一位にするという野望に燃えているからあんなに楽しそうなんだと気づいた瞬間、私の中で何かが弾けた。
――ああ、私、拓馬が好きだ。
たとえ彼に乃亜という運命の相手がいても関係ない。
一年後に現れる乃亜は拓馬にとって絶対のヒロインで、私はモブかもしれないけれど、でも、だから、それが何だって言うんだ。
大福はモブが恋をしても報われない、ヒロインには敵わないと断言したけれど、そんなのやってみなくちゃわからないじゃないか。
戦う前から諦めるなんて嫌だ。
私は乃亜にも、誰にも負けたくない。
言葉に言い表せないエネルギーが腹の底から沸き上がり、身体の隅々まで満たしていく。
この手を離したくないと願う気持ちを、私は自覚した。
――まあそれは良いとして。
いまは何より重大な問題があると、身体が切羽詰まった悲鳴を上げている。
「ちょ、ちょっと待っ――た、拓馬、速、速すぎ――っ!」
私は切れ切れに訴えた。
拓馬が速すぎて、私の足が限界です!
「黙ってろ、舌噛むぞ!」
拓馬は私の手をしっかりと掴んで離さない。
拓馬があんまりにも速いから、私は必死に足を動かし、どうにか転倒しないようについていくだけで精いっぱいだ。
およそ自力では出したことのない――というか、出せるわけがない――速度に脳の処理が追い付かず、目が回る。
遠かったはずのゴールテープが凄い勢いで近づいてくる。
それが目前に迫ったところで、拓馬は急に速度を落とし、私の走る速度に合わせてくれた。
そのおかげで、私たちはほとんど横並びの状態でゴールし、真っ白なゴールテープを切る瞬間を確かに味わうことができた。
ぴんと張られていたゴールテープが私の身体に触れて緩み、地面に落ちたそれを体育祭実行委員が回収している。
「あー、さすがにちょっと疲れたな」
そう言いつつも、拓馬の顔には余裕があった。
だって息を弾ませながら笑ってるし。
私は言葉を発することさえできない。
肺は酸素を求めて暴れ狂い、酷使した膝はがくがく揺れて、立っているのがやっと。さながら生まれたての小鹿のようである。
「…………わ、わたっ……!」
激しい呼吸の合間に言いかけて、息が詰まり、激しくむせた。
「おい。大丈夫か?」
俯いて膝に手を置き、ひたすら息を荒らげている私の背中を、拓馬が心配そうに叩く。
「わ、私っ!」
どうにか喋れるようになり、私は拓馬の腕を掴んだ。
「は、初めて、一位っ……じ、人生で、初めて、一位、取れた! た、拓馬の、おかげっ……!!」
感極まって、目からボロボロ涙が零れる。
「あ、ああ……おめでとう」
泣くほど喜ぶとは思わなかったらしく、拓馬は面食らった顔になり、苦笑した。
「でも、浸るのは後にして。ここで突っ立ってたら邪魔になる」
拓馬は私の手を掴んで引っ張り、一位の旗が立っている列に並び、腰を下ろした。
泣いている私を、待機中の生徒たちがちらちら見ている。
でもそんなの、この喜びの前では些事だ。
何せ私は絶望的なまでの運動音痴。
だからこそ、どれほど一位に憧れていたことか……!
「一位になった感想は?」
私が落ち着くのを見計らって、拓馬が聞いてきた。
答えは聞かずともわかっているらしく、唇の端をつり上げて。
「……最高っ!」
私は手の甲で荒っぽく目元を擦り、泣きながら笑った。
「私、今日のこと忘れないよ。拓馬と手を繋いで一位になったこと、きっと一生忘れない」
飛ぶように視界を流れていく景色、生徒たちの声援、私の左手を強く掴んだ拓馬の手の感触、二人並んでゴールテープを切った爽快感、青空の下で誇らしげに揺れる一位の旗。
全てが記憶に焼き付いた。
これほど鮮烈で、得難い貴重な体験、たとえ忘れようとしたって、忘れられるわけがない。
「大げさな」
「大げさなんかじゃないよ。私の運動音痴ぶりは身をもって知ってるでしょ? 体育祭で一位を取れるなんて、奇跡でも起こらなきゃありえないと思ってた。でもなれた。全部拓馬のおかげだよ、本当にありがとう。夢を叶えてくれて」
私は拓馬の手を掴み、上下に振った。
「……どういたしまして。まあ、レモンのお礼ってことでいいよ」
拓馬は照れたように頬を掻いた。
「うん、明日はレモンスカッシュだよね、絶対作って持ってくね!」
手を離し、笑顔で言う。
すると、拓馬は急に黙り、明後日の方向を見つめた。
視線を追えば、そこは二年三組の応援席。
友達と談笑している白石先輩を見ているようだ。
「どうしたの?」
「なあ悠理」
再び拓馬がこちらを見る。
「何?」
「お前って、紅茶好き?」




