第六話 「迷惑をかけない程度の最適解」
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六畳一間の安アパートで、カーテンの隙間から差し込む朝日で、俺は目を覚ました。
住み慣れた自宅の年季が入った布団から這い出し、本日も任務に向かう準備をする。
俺は数奇な運命を辿り、追放された天才的魔法使いの監視役兼生活の世話を見る事となった。
契約を交わしてから約一週間が経過した。
その間、俺が行ったことといえば、あの屋敷の掃除にクロアの衣服の洗濯、そして食料の買い出しと食事の準備という、家政婦のような仕事だった。
その間、時折顔を見せる絵夢さんや、クロア本人からいくつかの情報を聞き出していた。
俺は洗面台で歯を磨きながら、そのやり取りを回顧する。
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「あの、絵夢さん、クロアって年齢はいくつなんですか?」
「彼女は現在、十五歳になります」
「……見た目通りなんですね」
「それがどうかされましたか?」
「いや、あの喋り方から、実は中身はものすごく歳を取っているとかもあるのかなと」
「いいえ、そのような事ではありません。単に、彼女が日本語を会得する際に、『賢者』としてふさわしい言葉遣いを学びたいと言っていたので、そのような資料を渡したのです」
「資料?」
「はい。自然な言葉使いを覚えるために、ポピュラーな漫画や小説から賢者が登場するものを選別し、渡しました」
心なしか、得意げな顔の絵夢さんを前に、俺はこの人は実は不器用な人なんだなと確信したのだった。
またある時、俺は屋敷での家事をひとしきり終え、クロアがひたすらドラクエⅡを進めているのを、横に座ってぼんやりと眺めていた時の会話だ。
「ふむう……前作の勇者は魔法が使えたのに、今作の者は使えんとは……まるでおぬしのようじゃのう」
「……そうかよ、でも、その勇者の打撃が最終的には1番火力が出るんだぞ」
「なるほどのう……結局は力こそが正義ということじゃな」
「ところで、なんでここにはスーファミしかないんだ? 別に最新のゲーム機くらい手に入るだろ」
「? わしはエムに何か娯楽を用意しろと頼んだのじゃ。それであやつが用意したのがこれじゃった。『テレビゲームがエンターテイメントの中で最も人気のあるものだそうです。中でも、スーパーファミコンが最も人気のあるものなのです』と言っておったぞ」
「……まあ、お前が満足しているならそれでいいけどさ」
ちなみに、ドラクエⅡもスーファミのリメイク版だった。
それにしても、クロアがこんな仕上がりになっているのは実は絵夢さんの責任が大きいのではないだろうか。
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そんな具合で、俺の魔法使いとの奇妙な共同生活は始まったのだった。
俺は日本魔法協会から正式に依頼を受理し、業務契約を交わした。
週6日は必ずあの屋敷に顔を出すことが必要で、朝から晩までクロアの監視を行い、定期報告を度々訪れる絵夢さんに行う。
それだけ見ると大変そうだが、実際はひたすらゲーム三昧の少女を眺めるだけの退屈な日々だった。
「やれやれ……」
理由が無いから仕事を辞めたはずなのに、再び目標を見失っている気がする。
だけど、不思議と以前のような殺伐とした無味無臭な感情は抱かなかった。
俺は屋敷に向かう途中で、近所のスーパーに立ち寄る。
本日の夕食は、パスタが安いのでナポリタンでも作ろう。
俺は高校を卒業したあたりから一人暮らしを始めているので、何だかんだ十五年ぐらいは1人の生活をしている。
趣味も無いため休日も予定が無く、一通りの家事は自分で済ませていたためそれなりのスキルは身についていた。
勤め人時代ならば、到底訪れることのなかった時間帯の店内には、主婦や老人の姿が目立った。
俺は慣れた手つきで買い物かごを手に、食材を買い込んでいく。
「……えっ、嘘、牧島くん?」
その時、俺の正面ですれ違った女性が、俺の顔を見て驚きの表情をしている。
俺も視線をベーコンの列から上げ、相手を確認する。
仕立ての良い白のジャケットを身につけた、長い髪を背中で一括りにした女性の顔に見覚えがあった。
「あ。藤波……京香だっけ?」
「そうそう、久しぶりだねー! ていうか、この街に住んでたんだ」
親しげに会話を始めるこの女性は、大学の同期だ。
確か、ゼミが一緒で卒業論文のテーマも近かったので、何かと情報共有をしていた気がする。
「まあな」
俺は、久しぶりの再会を気まずく思いながら、少し垂れ目気味の形のいい丸い瞳から目を反らし、買い物かごを握り直す。
「牧島くんは、これから仕事? 確か、商社系の企業に行ったんだよね」
藤波の伺うような視線から逃れるように、俺は身をよじり反射的に買い物かごを背中側に隠した。
「いいや……実は一度退職したんだ」
俺の言葉に、藤波はわずかに目を見張る。
俺は、もう別に関係ないと思いなおし、すべてを素直に話すことにした。
もちろん、魔法使いなどとは口が裂けても言えないが。
「実は、一度退職して、今は両親の昔の伝手からある人の家事代行的なことをしているんだ」
俺は、事実とは異なるが嘘はない言葉を選んで伝えた。
「……そうなんだ、ちょっと意外。どういう人なの? お年を召した会長さんとか?」
「なんというか、ちょっと特殊な人なんだ。遊びに付き合ったり、かと思えば部屋に閉じこもって研究したりとかね」
「そうなんだ、よくわからないけど、よかった」
「よかった?」
「うん。だって牧島くん、学生時代にはそういう独特な進路とか絶対行かなかったでしょ? 絶対に正規ルートしかたどらないというか、最適解にまっすぐ進んでいくというか」
まるで、寄り道に興味がないみたいに、とはさすがに言葉にしなかったものの、勝手に行間を深読みしてしまった。
けれど、それは事実だ。
俺は、大抵のことに興味がなく、人として迷惑をかけない程度の最適解だけを辿ってきた。
「昔もあんまり雑談とかしなかったけど……今は少し雰囲気変わったように見えるから。今の環境があってるのかなって。ゴメン、勝手な想像」
あははと付け足すワザとらしい笑い声に、しかし嫌な感情は混ざっていなかった。
「また、ゼミのみんなで集まって飲み会とかしようよ」
「いや、俺は遠慮する」
「だよね、絶対そういうと思った」
冗談交じりでする会話など、確かに思い返しても記憶にない。
「私、今は経営コンサルタントをフリーランスでやってるの。午後から会議がたくさん入ってるから、今のうちに買い物を済ませてたんだ。この時間帯にここに来るなら、もしかしたらまた会えるかもね」
そう言い残すと、藤波は手を振りレジへと向かっていった。
確かに、彼女の買い物カゴにはゼリー飲料や栄養ドリンクなど、シャカリキに働いている人の物が詰まっていた。
俺は軽く会釈だけ返すと、自身の職場へ向かうことにした。
存外、俺のことを覚えていたり、俺の様子を見ている人もいたのだと、当たり前のことながら改めて実感していた。




