第二話 「手の施しようのない無職」
牧島久吾郎。
それが俺の名前だ。
父の名は牧島省吾で、母の名は久遠といった。
2人から一文字ずつ受け継いだことを、今になって殊更思い出すきっかけとなったのは、昨晩郵便受けに入っていた一通の便箋に書かれた内容に他ならない。
『牧島省吾、久遠夫妻の御子息である久吾郎様。
突然のご連絡、失礼致します。
この度は、貴方様にしか果たせない、かつ重要な依頼があり、ご連絡をいたしております。
誠に恐縮なのですが詳細は対面でしかお伝えすることができません。御足労をおかけしますが、下記日時に所定の場所へおいでいただきたく、お願い致します。
日本魔法協会 達人 月差絵夢』
このツッコミどころ満載の手紙を、迷わずゴミ箱にぶち込まなかったのは、両親の名前が最初にあったからだろう。
イタズラならば、そんな手の込んだことはしないはずだ。
そして、俺は実のところ両親がなんの職業に就いていたのかを、正確に知らないのだった。
なにかの研究者であるらしい事は覚えているが、具体的な職種や企業名は聞いたことがなかった。
僅かながらの興味で、わざわざ手紙の場所まで赴く気になったのは、間違いなく無職の俺には時間が有り余っていたからだろう。
二日酔いでズキズキする頭を持ち上げ、俺はアパートを後にした。
*
手紙にて指定された場所はとある喫茶店だった。
市内中心部の外資系のホテルの一階にあり、平日の昼間ということもあって客はまばらだった。
窓際の席に座って待っていると、1人の女性が俺の方に歩み寄ってきた。
「御足労をかけ、大変申し訳ございません。私、日本魔法協会の月差です」
現れたのは、栗色のボブカットがよく似合う壮麗な美人だった。
二十代後半と見える落ち着きをはらんだ女性は、ベージュのニットのトップスに、レザーのパンツルックで、存外カジュアルな格好も無礼な印象は無かった。
彼女は俺の向かいの席に腰掛けると射抜くような視線で俺を見据えながら、一枚の名刺をテーブル上に置いた。
「……どうも」
俺は軽い会釈をすることしかできない。
俺は一応、差し出された名刺を持ち上げる。
相手が度肝を抜くような美人であることはさておき、『日本魔法協会』なる怪しさ満点の組織を名乗られてしまっては、猜疑心を抱かない方が難しい。
「牧島様。折いってご依頼したい内容の事ですが……」
月差氏は俺のへどもどした会釈を肯定的な態度と受け取ったのか、テキパキと本題に進める。
「貴方にはある人物の付人をお願いしたいのです」
「あの、待ってください。一つ質問をいいですか」
俺の遮る声に、彼女は首だけで促した。
「なんで、俺なんですか?」
素朴な疑問。
ただの無職でしかない俺に、なぜそんな依頼をするのか。
「それは、貴方が天才的魔法使い、牧島省吾様と久遠様の御子息であることに他なりません」
その声は、平凡な喫茶店に硬質的に響いた。
「天才的……魔法、使い……」
俺は絶句する他に、なす術が無い。
「その通りです。……もしや、ご存知なかったのですか?」
俺の態度を不審に思ったのか、謎の美女は初めて驚きという感情を顔に滲ませた。
「確かに、記録上久吾郎様が魔法を使用した実績がありません。それはつまり、魔法の違法使用が無いものと解釈しておりましたが、もしや貴方には……」
「ば、バカにするのも大概にしてもらえますか。俺は確かに特に理由もなく退職した手の施しようのない無職ですが、常識まで捨てたつもりはありません。……帰らせてもらいます」
俺は席を立つと、この悪ふざけとしか言いようのないやり取りから逃げ出すように外へ向かった。
ちらりと伺うと、月差氏はそのまま俺を見つめ続けていた。
*
俺はその足で、市内中心部にあるサウナに向かった。
なぜだか、この2日ほど異常な出来事が立て続けに起きている。きっと精神状態に問題があるのだろう。
おそらく、退職のストレスが少なからずあるのだ。
俺は整うことで、ストレスを発散し、今日はぐっすり眠って明日からこの先の事を考えるつもりでいた。
サウナ室と水風呂を往復し、休憩室で漫画にひたすら目を通している内に時間は過ぎ、すっかり日も暮れて夜の十時を過ぎた。
いい加減帰って寝ることにした俺は、じめつく夏の空気を身に纏い、ぶらぶらと街灯の並ぶ裏路地を通り抜け家を目指していた。
ふと、両親の家を売却したときも、実家には2人の職業に関する書類などが一切無かったことを思い出した。
月差氏の言葉は到底信じるつもりはないが、かと言って『では本当の職業はなんだったのか』という疑問は残る。
「まさか……な」
1人呟いたその時、やけにチカチカと点滅する街灯があり、足を止め視線を上げると道路の反対側を女性がすれ違った。
髪が長く、紺色のスーツに身を包んだ女性は、二十代後半に見え、美人だった。
向こうは俺のことなんざ視界にも入れず、スマホの画面を見ながら道路を進んでいく。
どこからか、チャリ……という金属が擦れる音が聞こえ、俺は無意識に音の出どころを探した。
その瞬間、黒い影が俺の視界を横切った。
鳥や虫ではない、もっと巨大な陰影は、もの凄いスピードで女性に覆い被さった。
あっけに取られる俺の前に、切り裂くような悲鳴が鳴り響いた。
少しの間をおいて、俺は我に帰る。
眼前には、黒い影に覆い被され、地面に平伏す女性の姿があり、街灯の灯りは完全に消え去っていた。
一瞬、暗闇に目を凝らすと、頭上の雲間から月明かりが差した。
「な、なんだ!?」
俺は、我ながら情けない声で叫んだ。
痴漢か、はたまた暴漢か、得体の知れない相手に戸惑いながらも、とりあえず大声を出すことで追い払えないか試みた。
女性はその間にもくぐもった悲鳴をあげ続け、しかしそれは次第に弱々しい啜り泣きに変わる。
その時、黒い影が“顔を上げた”。
そこには、真っ赤に光る二つの眼球が見えた。
その視線は、一直線に俺の顔を射抜いた。
「うっ……」
思わず恐怖で身が竦む。
その間、およそ1秒にも満たないだろう。
しかし、俺の心臓は早鐘を打ち、まるで長い距離を走り抜けているかのような錯覚に陥る。
俺はそれでも、意を決して影ににじり寄った時、影が大きく飛びすさった。
後方に跳躍したまま、何処かへ走り去っていった。
残された俺は、思い出したように大きく息を吸い込む。
俺、生きてるよな……。
「う、うう……痛い……苦しい……」
足元で呻くような悲鳴が聞こえ、俺は我に帰る。
今、眼下では女性が腕から大量の血を流し、背中を丸めて倒れていた。
その傷は肉が大きく抉れており、ナイフで切ったのではなく何か獣に噛み付かれたようにみえた。
そして更に、奇妙なことに傷口から紫色の煙のような物が立ち昇っていた。
俺は背筋を凍らせながらも、女性を助けなければ命に関わることを悟り、慌ててポケットを漁る。
救急車と、警察か……。
しかし、先ほど眼前で女性に襲いかかった黒い影は一体何だったのか、説明できる自信はない。
そもそも人間ではなく、何かの動物だったかもしれない。
その時、スマホと一緒にポケットから一枚の紙がひらりと落ちた。
それを拾い上げると、日本魔法協会の文字が見える。
俺は何故か、警察や普通の病院では手に負えない事態のような気がしていた。
だから、その名刺に書かれた番号に電話をかけていた。
『……ツー、ツー』
「……電話、でねぇのかよ」
どうやら、夜間受付は行なっていないらしい。




