第十三話 「作戦開始」
*
平日の夜の居酒屋は、閑散としていた。
元々繁盛している店でもないようで、店主は気にせずカウンターの奥でテレビを眺めている。
俺は、人生で最後となるかもしれない晩餐の場所として、名も知らない居酒屋を選んだ。
人生の中で特別な思い入れのある場所なんて、思いつかないからだ。
客は俺の他に、常連のような中年男性が奥の小上がり席で晩酌をしていた。
俺はカウンター席の一番手前に座り待っていた。
引き戸を開ける音と共に、その男は現れた。
「おう、桐山」
「……ったく、急に連絡をよこしたと思えば、なんなんだお前は」
俺の前職での同期、桐山は言葉では怒りつつも顔をわずかに綻ばせて俺の隣に座った。
いつものように彼は金属製の腕時計をしていて、癖で腕を振りチャリチャリと景気のいい音を立てて腕をまくった。
2人でビールを酌み交わし、じわじわと会話が進む。
「で、どうしたんだ。急にサシで飲もうなんて。戻りたくなったんだったら、いつでも部長に口添してやるぞ」
「いやいや、そんなんじゃない。……ただ、お前とこうして酒を飲むこともなかったなと思って」
俺の、今身の回りに居るクロアや魔法協会の人たちを除いて、唯一の関係がある人物として思いつくのは桐山だけだった。
もちろん、前職の部長や関係先の人達、借りているアパートの大家など、顔と名前を認識している間柄の人物は居る。
しかし、もしも俺が消えて無くなったとして、俺の存在を少しでも覚えていてくれそうな人物は、他にいなかった。
「そうだな。部署の飲み会じゃ、よく部長に連れ回されたモンだが……。それで、どうなんだ、今は何の仕事をしているんだ」
「まあ、ちょっと両親の伝手でね。あんまり詳しいことは言えないんだ」
「ほらでた。お前はいつもそうだ。会話は普通に成り立つのに、肝心なところははぐらかして、気づけば空気のように消えているんだ」
俺の、誰かと深く関わり合わない性質は、やはりこの男にも見破られていたようだ。
「……俺、実は子供の頃にゲームが好きだったんだ」
「なんだ急に。俺も昔はスマブラとか友達の家でよくやったぞ」
桐山は面食らいながらも、男子ならば誰しもが通る道なのか、楽しそうに話題に乗ってきた。
「小学生くらいの時かな、親父の持ってたスーファミぐらいしかやったことないんだけどね。それでも、当時は夢中になってたんだ。今思えば、なんであんなに夢中になってたんだろうな」
「さあな。確かに、俺ももうゲームをやり込もうって気にはならん。てか、中学ぐらいから部活にテストに忙しくてそれどころじゃなかったけどな」
桐山の感想は、至って普通な感想だと思う。
もちろん、趣味でゲームを続ける人もいるだろうし、それを職業にする人だっている。
だけど、俺たちはなんとなく離れていった側の人間だ。
「ゲームが楽しいのは、クリアがあるからだと思うんだ。エンディングがあって、世界が平和になったり、お姫様を救い出すことができたりして、明確に目標が達成できて、そこでバツッと世界が終わるんだ。現実は、クリア後も日常は続いていて、目標をいくら超えても次の目標がやってくる。その繰り返しで、終わりがない」
最近のゲームのことは詳しくないが、どんどん画質が綺麗になってより現実に近づいている印象だ。
ゲームの最終到達点は、リアルなのか。
多分違うと思う。
エンディングを迎えることなんだろう。
「おう、急に哲学的だな」
桐山は茶化すように笑う。
けれど、嫌味ではない様で、「確かに、俺も次のノルマの事を考えたら憂鬱になるぜ……早く出世して人をこき使いたいよ」と冗談めかして付け足している。
でも、エンディングは死ではない。
死ぬこと以外の結末を、俺は探しているんだ。
「あ……」
急に、思い出した。
クロアと初めて会った時のこと。
彼女からされた質問への、俺の回答を。
それからしばらく、桐山と雑談と酒を浴びせ合い、無為な時間を過ごした。
これほど飲みの場が有意義に思えたのは、人生で初めてだった。
勘定は俺が無理やり奢ると、夜の街に彼は消えていった。
俺は、作戦に失敗すればあのドラキュラの怪物に食い殺されるかもしれない。
ある種の遺言のような気持ちで、桐山と会話をした。
そのおかげか、幾分気持ちは軽くなった。
「さて、作戦開始だ」
*
数日後、暗い夜道を、髪の長い人が一人歩く。
オフィスカジュアルな格好に身を包み、ヒールのコツコツという音だけが、人気の無い路地に響いた。
片手にはハンドバックを持ち、スカートから覗く足をテキパキと動かし、家路を急いでいる。
その時、頭上の街灯が点滅した。
まるで、何かの気配を察知したかのように光を失った街灯の下、その人は足を止める。
髪をかきあげ、ふと頭上を見上げると、大きな満月の光が見えた。
次の瞬間、大きな月の真ん中に黒い影が浮かび上がる。
黒い外套を纏った影は、物凄いスピードで猛進してきた。
悲鳴を上げる間もなく、黒い影にその人は押し倒される。
そして、影から飛び出した白い牙が、その腕に突き刺さった。
吹き出す鮮血と共に、呻くような笑い声がこだまする。
「……ついに捕まえたぜ。ドラキュラ野郎……!」
俺はその瞬間、眼前に迫るそいつに向かって吐き捨てた。
その黒い影の中にある、蒼白な男爵の顔は驚きに歪む。
「さあ、しっかり味わえよ! 正真正銘”男”の血をなぁ!」
俺はそいつの口の中に噛まれた腕を押し込むと、相手は嗚咽をしながら飛び去った。
しかし、まもなく地面にベシャリと落ちる音がする。
俺は腕の流血を抑えながらも、その姿を見下した。
「大丈夫ですか!? 牧島様!」
絵夢さんは遠方から監視していたが、事態の急変を知り文字通り飛んで駆けつけた。
その背後には、嵯峨野がいる。
魔法協会の二人が現れても、ドラキュラ男爵は地面をのたうち回り、嗚咽と共に怒号を叫ぶのみだった。
その様子を見て、俺は自身の作戦の成功と勝利を確信する。
「まさか、そんな単純なことだったとはね」
嵯峨野は腕を組み、その様子を眺める。
「その『変化』は、『特化』とともに発動されていた。そして、『特化』の条件は”女性”のみを襲うことだったのか」
嵯峨野が感慨深い様子で呟く。
「これまでの出来事から思いついたんです。絵夢さんと渡り合うほどの力を持っているのに、魔法協会の人間とは戦わず、避けている。それに、奴は俺と二度も遭遇している。なのになぜか一度も俺を襲わない。それは襲わないのではなく、襲えないのではないかと」
それは、特化の条件に関わる理由があると俺は推理した。
ならば、騙して無理やり条件を崩せばいい。
「だから、女装してわざと襲撃を受けたんだ」
俺は髪をかき上げ、勝ち誇ったように笑う。
自分自身への皮肉も込めて。
「よくお似合いです。牧島様」
冗談の通じない絵夢さんは、素直にほめてくれた。
ドラキュラ伯爵の顔は煙に包まれてよく見えない。
それは、ドライアイスが溶けていくかのように、真っ白な煙とともに魔力による変身が溶けていくことを意味していた。
やがて、その素顔を姿を現す。
けれど、それは俺にとって意外で、望まない結末だった。
「……桐山?」
その顔に見覚えはある。
つい先日、やっと初めてサシで酒を酌み交わした男だ。
「う……あ、牧島、なのか……そうか」
桐山は、うつろな瞳で俺の姿を認めた。
静かな夜に、どこか遠くで烏が鳴いた。
チャリ……と、腕時計の音が悲しく響いた。




