第十一話 「一閃」
俺はまず、絵夢さんを引き連れて屋敷の外に出た。
その足でバスに乗り、郊外にある大型ショッピングモールに向かった。
そこで、ひとしきり作戦に必要なものを買い揃える。
クロアはこの事件の解決に興味は無いのか、屋敷に引っ込んでいる。
まあ、彼女は屋敷の外では魔法が使えないので、俺たちと行動してもその身を危険にさらすだけなので、そうしてもらったほうがありがたい。
俺と絵夢さんは夕暮れ時を過ぎ藍色が空を塗りつぶす頃合いに、作戦を決行する。
「このような感じで、よろしいでしょうか」
絵夢さんは、ショッピングモールの化粧室から出てきて、俺にその姿を見せつけた。
というか、俺の指示で服装を変えてもらっただけなんだが。
彼女は普段の、ニットとレザーの服装から一転、紺のブラウスにタイトスカートに身を包んでいる。
引き締まった美脚には、薄っすらと肌の透ける黒タイツが纏われていた。
髪は撫で付けられ、鼻の上には伊達メガネが乗っていた。
「……はい、完璧です」
絵夢さんは、完全にこれまでの被害者と同じ、二十代のオフィスカジュアルな格好の女性という条件になっている。
こんな状況でもなければ、とびきりの美人で着せ替え人形のようなことをする行為に背徳感を覚えてしまいそうだ。
俺の作戦は至ってシンプルで、囮によりおびき寄せる作戦だ。
これまでも、絵夢さんをはじめ日本魔法協会の人間がパトロールを行ってきたが、犯人と遭遇することは無かったという。
それはおそらく、服装に問題があったのだろう。
「では、いきましょうか」
俺は、わずかな緊張を含んで、夜の街に繰り出した。
この作戦を行う上で、絵夢さんに危害が及ぶ可能性がある。
なるべくなら避けたいが、これ以上被害が広がるのはゴメンだ。
その覚悟で臨んだ作戦だったが。
*
「零時になりましたね。おそらく、本日はもう犯人は現れません」
これまでの犯行は、零時以降にはない。
理由は単純に、それ以降の女性の一人歩きは少ないからだろう。
この日の囮作戦は空振りに終わった。
絵夢さんが一人、帰宅風に街中を練り歩く様を後ろから付け回すというストーカーごっこをひたすら演じただけだった。
これでは、俺が先に通報されかねん。
「なぜだ……見破られているんですかね」
「わかりません。しかし、今日は犯行日ではないだけかもしれません。引き続き作戦を続けましょう」
絵夢さんも任務のためか気合いが入っているのか、伊達メガネをクイッと押し上げて言った。
オフィスにこんな人がいたら、職場の男性陣はたまったものではないだろう。
しかし、それから三日三晩続けても犯人と遭遇はできなかった。
*
「のう、おぬしらよ。まだ不毛な作戦を続けておるのか? えびす丸を頼みたいのじゃが」
「……なぜ、他の被害者女性と絵夢さんを区別できるんだ……」
クロアの屋敷内。
これから再び夜のパトロールに出向く前のこと、クロアがいつものようにリビングでクッションに埋もれながらゲームをしている。
流石に成果を上げられず、俺も絵夢さんも焦りが見え始める。
コントローラーを二つ、所在なさげに持っているがクロアの能天気な遊びに付き合う余裕は無かった。
「……ふん、勝手にせい」
不貞腐れたように、ゲームの電源を切りクロアは2階の自室へと向かって行った。
その階段を上がる道中、彼女はぽつりとつぶやいた。
「……おぬしに無いということもまた、ひとつの特徴として存在するものじゃよ」
「え?」
俺はその言葉の真意を尋ねようと顔を上げたが、もうそこにクロアは居なかった。
*
今日も夜道をひたすら歩き、犯人との遭遇を待つ。
絵夢さんは俺の約5メートルほど先を歩き、適当に距離を空けて様子を伺う。
その状況は、俺が最初に事件に遭遇した時とほぼ同じだ。
夜、一人歩きの女性。
周囲に、人の気配はない。
これまで、俺だけが事件の目撃者である。
それは偶然ではないのだとしたら。むしろ、俺に何か、目撃者となれる特徴があるのだろうか。
俺にしかない特徴……いや、逆に俺に無いもの?
先ほどのクロアの言葉が脳内で浮かび、やがて一つの考えに結びつく。
俺は慌てて絵夢さんを呼び止め、確認する。
「あの、絵夢さんは魔法の気配を消すことはできますか?」
「魔法の気配、といいますと」
「ええと、つまり俺みたいな一般人に見えるようにするんです。クロアは俺と初めて会った時、視線だけで俺の魔力がゼロであることを見抜いたそうです。それと同じことを犯人もできるのだとしたら、絵夢さんや魔法協会の人間はバレバレです」
「……そうですね。魔力の透視は並大抵の技術では無いのですが、ここまで逃げおおせる犯人となると、その可能性もあることでしょう。初めてやりますが、試してみます」
そう言うと、絵夢さんは目を閉じ、深く息を吸い込んだ。
その瞬間、俺の肌がわずかに冷気を感じた。
彼女の周りの空気が、まるで流動を忘れたかのように凍りついた感覚があった。
これが、達人たる所以か。
俺は驚嘆すると、絵夢さんは静かに目を開けた。
「いま、私の体の魔力をコントロールしています。居合の要領を応用し、全身を凪の状態にしています。本来であれば、次の瞬間の爆発的な力の発散に向けた動作なので、この状態を長い時間維持するのは初めての試みです」
何を言っているのか俺にはわからないが、とにかくすごいのだろう。
「すみません、ご苦労をおかけしますが、そのまま行きましょう」
こうしてふたたび、俺たちは歩き始めた。
そして、ものの15分程度を進んだ頃。
均等に並ぶ街灯の一つが、明滅を始めた。
俺はその気配に、既視感を覚える。
絵夢さんが1人、歩いて行く後ろ姿だけが見える。
彼女の右手にある、カモフラージュとして持った、ネギの刺さったスーパーの買い物袋が擦れる音が微かに聞こえる。
コツコツコツと、リズミカルに進む足音に、ガサリという物音が混ざった瞬間、俺の視界に黒いものが飛び出した。
「奴だ!」
俺が叫んだ瞬間、絵夢さんの背後から黒い影が覆い被さる。
以前はそのまま、押し倒される女性を眺めるしか出来なかった。
しかし、今度は違った。
俺の頬の横を、カマイタチのような突風が突き抜けた。
遅れて瞬きをした後、俺の視界に映るのは絵夢さんがネギで黒い影を一閃し、ローブの様な布が夜空を吹き飛ぶ様子だった。
「くっ……急所を外しましたッ」
「あれは……!?」
黒い影は、その身に纏っていた布を剥がされ、姿を見せていた。
真っ黒なタキシードに、真っ赤な眼球。
蒼白な顔の中で、一際飛び出した2つの牙。
その姿は、まさにドラキュラ伯爵だった。
「この場で、断ち切る!」
絵夢さんが、不意打ちの居合の後、もう一度斬りかかろうとする。
しかし、その手に握っていたネギは先程の一撃の影響か、一瞬で灰と化してしまった。
淡い粉塵が、街灯の光に反射し煌めきを見せる。
「キシシシッ」
ドラキュラ男は不気味な笑い声と共に、大きく夜空に飛び上がった。
次の瞬間には、空中で紫色の煙へと変化し、霧散していた。
「……逃げられましたか」
悔しそうな絵夢さんの声が、夜の街角にこだました。




