第十話 「当たって砕けろ」
それから数日の間、俺の身の回りは凪いだように事件の音沙汰は無く、何の変化も無かった。
クロアが進めるドラクエⅡも、仲間を増やせず同じ街で停滞していた。
だけど、そんな平穏もすぐに終わった。
ある日の夕食前、今日もクロアはリビングでダラダラとゲーム三昧だった。
というのも、嵯峨野が屋敷に来た日以来、部屋で魔導書の解読を進めているところをとんと見なくなった。
そんな時、息を切らした絵夢さんが飛び込んできた。
「牧島様……すみません、再び被害者が出てしまいました」
「そうですか。それで、今回は何か手がかりは……」
「それもつかめておりません。そして、被害者の方ですが……藤波杏香さん。牧島様のご友人でいらっしゃいますよね」
その瞬間、俺は頭をガツンと殴られたような衝撃を受けた。
そのショックは時間差で、ドクドクと心臓の鼓動を高鳴らせる。
「……え、あ、……あの、無事なんですよね?」
「……はい、今の所、一命は取り留めております。しかし、昨晩の発見より意識が戻りません」
「……そ、そんな」
重苦しい口調の絵夢さんは、誇張でもなく事実を述べていた。
俺は、思わず言葉を失ってしまう。
「スティグマータの威力も上がっておるのか? わしの解除魔法でも治らんのか?」
俺たちのやり取りを聞き入れて、クロアは立ち上がり傍に寄った。
「いえ、今は我々協会が管理している治癒魔法を使用しています。……クロア様の魔法は、扱える者がおりません」
「……ふん、わしが出向けば一発じゃが、それも協会は許さんのじゃろう?」
「……契約内容を見直しております。規則ですので」
苦々しく言う絵夢さんに、俺は憤りを感じるが、彼女を責めても意味はない。
おそらく、最初の襲撃の時と同様に、クロアが魔法を使えば一瞬で解決するのかもしれない。
しかし、彼女はその行いのせいで二十年の追加刑期を課せられてしまった。
クロアに頼ることはできない。
俺は大きく息を吸いなおし、脳内に酸素を行き渡らせる。
「……今のところ、被害者の中で、死者は居ませんよね」
「はい、協会の治癒魔法であれば、時間を要しても回復はしております」
「なら、引き続き治療をおねがいします」
俺が今出来ることは、藤波を救うことではない。
俺に魔力はゼロなのだから、彼女を救う魔法なんて使えない。
俺は拳を握り、怒りを募らせる。
他でもない、自分自身にだ。
これまでの情報を冷静に精査すれば、藤波が標的になる可能性には十分気付けたはずだ。
いや、頭のどこかではもう理解していたのかもしれない。
だが、俺はこれまで他人を思い遣る行動を全くしてこなかった。
誰かと深く関わることに怯え、一人の世界で怠惰に生きてきた。
どうせ何も起こらないだろう、根拠のない予測に甘え、平穏な日常が続くとばかりに思っていた。
そのくせ、つい先日。
藤波と久しぶりに言葉を交わし、俺は僅かな温もりを覚えていた。
こんな俺の事でも、記憶してくれている人が居ること。
人との繋がり、彼女との繋がりというものに、優しさを享受していた。
なのに、俺は彼女のことを、俺を認識してくれていた友人を、守る事を忘れていた。
「絵夢さん、協力してもらえますか」
「……はい?」
俺の言葉に、絵夢さんは不意を突かれたように顔を上げる。
「俺には魔法は使えません。襲撃者を発見しても、取り押さえることはできないでしょう。その時に、絵夢さんに戦ってもらうことになります」
彼女の実力は不明だが、名刺に書かれていた『達人』という文字は、俺の脳裏に焼きついていた。
「はい。もちろんです」
絵夢さんは、俺の事などこれぽっちも期待していないだろうに、その眼差しは強く頷いてくれた。
「まあ、そこは信用できるじゃろ。近接戦闘で絵夢に敵うものなど、この国はおろか世界を見渡してもそうそうおらん」
クロアは彼女の実力を知っているのか、腕を組みうんうん頷いている。
天才魔法使いの彼女にそこまで言わしめる腕前に、俺は心の中で身震いする。
下手に絵夢さんを怒らせるのはやめよう。
「して、おぬしよ。さすがに旧友を手にかけられやる気になったようじゃがの。何か算段はあるのか?」
「……ああ、まあ、モノは試し、当たって砕けろって感じだな」
俺は喋りながらも、頭をフル回転させる。
ようやく、俺は真剣にこの事件を解析し始めた。




