後編 SIDE:テオ
王都に引っ越したことで、俺の人生は大きく変わった。辺境の、あのセリニャック村での日々はそれなりに充実したものではあったが——今では思い出の中の一ページに過ぎない。
てっきり、王都の騎士団寮で一人で暮らすものだと思っていた。だが正直助かった。最初のうちは給料も十分とは言えなかったし、鍛錬でくたくたになったあとでも、帰ったら、風呂も飯も布団も整っていた。二人暮らしは、望んだことではないにせよ……好都合と言えた。
* * *
俺を見出してくれた騎士様は、副団長で名前をアンドレ・ド・メニル様と言った。血筋ではなく、能力で騎士たちを見てくれるとの噂で、平民出身の騎士や見習いたちからの評判もよかった。
同じ時期に見習いとして入ったヴァンサンとはすぐに意気投合した。彼は、フルリ村の出身だが、俺と同じくアンドレ様に推薦されて王都に来たようだ。
歳は三つほど上だが、気取らず素朴な物言いをする男だ。一人っ子の俺は「兄がいたらこんな感じなのかな」と思った。
「おい、テオ。給料も入ったし飲みにいくぞ!」
給料日には決まって彼と酒場に繰り出した。
普段は真面目な男だが、飲むと少しばかり陽気になる。……俺はどちらかと言えば酒は強くない。飲むより食べる方が好きだ。
「見ろよ、テオ。あっちにすごい美人がいるぞ。お前、声かけてこいよ」
「……嫌だよ、面倒くさい」
ヴァンサンは美しい女性に弱かったが、その癖自分から声をかけることはなかった。時たま、話しかけられてもガチガチに固まっている。……まあ、多分、童貞だ。
「……くそ、飲むしかねえ!」
その日は散々付き合わされた。まったく、こいつは無駄に酒が強い。何杯も何杯も、エールをお代わりしながら夜がふけていった。
* * *
気づいたら家の布団に寝ていた。記憶は全くない。頭がガンガンしているし、吐き気がする。最悪だ。
食卓に着くと、無言で差し出された水を一気にくらう。どん、と机に置くと、おかわりが差し出されたのでまた流し込んだ。少しだけ、胸がすっきりした。
「……ヴァンサンさん、て礼儀正しい方ね。昨日、送ってくださったのよ」
「……そうか」
(いや、悪いのはあいつなんだよ)
「今日お会いしたら、ちゃんとお礼を言うのよ」
気分が悪いせいか、その言葉が無性に苛ついた。
「……うるせーなあ。ほっといてくれよ」
乱暴に椅子を引いて立ち上がる。驚いたような顔が目に入った。一瞬、しまったと思ったが——もう遅い。言葉は、もう戻らない。
急がなければ、勤務開始に間に合わない。そう自分に言い聞かせ、そのまま身支度をして家を出た。
* * *
出勤すると、元気いっぱいに走り込んでいるヴァンサンが目に入った。……腹が立つ。だが、目が合うと急にこっちに駆け寄ってきて、鍛錬場の隅に連れて行かれた。
「お、お前……どういうことだ?あの美人は誰だ!」
急に小声で訳のわからないことを言い出した。
「は?なんの話だ?」
まだ気分が悪いのだから、顔を近づけないでほしい。暑苦しい。
「お前と一緒に住んでいる、あの美しい方は……奥さんか……?」
ものすごい剣幕に思わず笑ってしまった。
「馬鹿な冗談も休み休み言えよ。あんなオバさんと俺が夫婦な訳ないだろ」
笑い飛ばしたが、なぜかヴァンサンの表情は硬くなった。その目だけがギョロリとこちらを見ている。
「確かに、お前よりは年上だろうが、そんな言い方は……」
「おい、お前ら、こんなところで何油売ってる!さっさと鍛錬に戻れ!」
その時、教官の怒鳴り声が飛んできて、俺たちの会話は、あっけなく終わった。……それきり、ヴァンサンがこの話を持ち出すことはなかった。
俺たちは走り込み素振りをして体を鍛え、切磋琢磨してひたすら技を磨き、警備や護衛で功績を上げて、少しずつ、騎士としての階段を駆けのぼっていった。
* * *
二十二歳になった頃、女王陛下から謁見の呼び出しを受けた。先日、王城の非常警備中に不審者が現れ、たまたま警備にあたっていた俺が鎮圧した。逃げ遅れた隊員をうまく助けられたこともあり、褒美が出るだろうという話だった。
エレオノール陛下から、直々に賛辞を頂いた。平民で田舎村育ちの俺には、起こるとは思えないほど、光栄なことだった。俺は歓喜に打ち震えた。
陛下直々に、第一隊の隊長に任命され、更には縁談を紹介された。シェリエ伯爵家の次期当主であるマチルド・ド・シェリエ様。俺と同い年の令嬢らしい。
「本来はそなたに爵位を授けたかったのだが……安易に増やすと貴族社会が不安定になるのでな。ちょうどマチルドとは歳の頃合いも良い。一度会ってみよ」
実力と功績を認められ、隊長になれたことは素直に嬉しい。爵位を授けたいと思っていただけたことには感動した。だが、見合いとは……脳内には勝手に、わがままな貴族令嬢の姿が思い浮かんでいた。
(……何とか、断れないものか)
アンドレ様は機嫌が良さそうに口髭を撫でながら言った。
「さすが、私の見込んだ男だ。……マチルド嬢は美しく聡明な女性だよ。受けておきなさい」
お世話になったアンドレ様に逆らうわけにもいかない。理由は言わず、用事があるとだけ告げ、俺はお見合いへと向かった。
* * *
『一目惚れ』が本当にあるなんて知らなかった。
目の前に現れた女性は、まばゆい陽光のごとく、俺の心をあっという間に照らし出してしまった。
鮮やかな紅のドレスに、金の刺繍がきらめいている。少し顎を上げた所作には、自信と気品がにじんでいた。だが何より惹かれたのは——その瞳に宿る知性の煌めきだった。
威圧感も媚びもないのに、こちらを見抜かれるようなまなざしに、言いようのない高揚を覚えた。
「お噂はかねがね伺っております、テオ殿。王城での働き、見事でしたわね」
「いえ……ただ、目の前の任務を果たしたまでです」
「謙虚な方は好きよ。でも、その奥に隠れているものが知りたいわ」
マチルドはふわりと笑い、目を細めた。黄金の髪が揺れる。
「正直に言うわね。貴族の腹の探り合いには、うんざりしていたの。我が伯爵家を狙う欲深い男ばかりなんだもの。あなたは、どうかしら?」
思わぬ問いかけに、俺は息を呑んだ。
「私は……政に関しては心得がありません。ただ、もし許されるのならば、鍛えたこの力で、あなたと、その大切なものをお守りできればと」
断るつもりだった。なのに、気づけば口からこぼれ落ちていた。
(認めざるを得ない……彼女に、強烈に惹かれていることを)
マチルド嬢はにっこりと笑った。
「気に入ったわ。テオ殿、私と結婚しましょう」
唐突に聞こえるかもしれない。でも、不思議と違和感はなかった。この人となら、何かが変えられる——そんな直感があった。
* * *
マチルド嬢は、今まで会ったどの女性とも違っていた。
これまで、女性の話はつまらないと思っていた。毎晩のように、とりとめのない話を聞かされ続けて、疲れ果てていたのかもしれない。
でも、マチルド嬢は知識が豊富で、会話が機知に富んでいて。彼女と話す時間は驚くほど刺激的で、退屈とは無縁だった。まるで、ずっと濃霧の中にいた自分に、初めて光が差し込んだようだった。
誰かに興味を持ち、もっと知りたいと願ったのは、生まれて初めてだったかもしれない。
自分は恋愛に対する情熱のない人間だと思っていたが……本気で惹かれる相手に、まだ出会っていなかっただけだった。
「お前、本当にマチルド嬢と結婚するつもりなのか」
彼女との結婚式が間近に迫ったある日、問い詰めてきたヴァンサンの声は、低くくぐもっていた。
「もちろんだ。陛下もアンドレ様も、伯爵家もお喜びだし、俺たちは、愛し合ってる」
マチルドだって、そう言ってくれてるんだ。ただの政略結婚なんかじゃない。
「シモーヌさんは……どうするんだ」
「どうするも何も、俺が貴族になるんだ。……喜んでいるに決まっている」
「お前……!」
胸ぐらを掴まれ、壁に叩きつけられた。
(何でこいつは……怒ってるんだ?)
その手を撥ね除け、睨み返す。
すると、ヴァンサンはとんでもないことを言い放った。
「……お前がその気なら、シモーヌさんは俺がもらう!」
「は?ふざけるな!訳のわからないことばかり言いやがって!あいつは俺の——」
「おお、テオ。ここにいたのか。お前の結婚式の件で話したいのだが」
その時、部屋に入ってきたアンドレ様は俺たちの異様な様子を感じ取ったのか、何とも言えない顔をした。
ヴァンサンは頭を下げ、黙って部屋を出ていった。
「最近、彼と揉めているようだな。何かあったのか?」
「ご心配をおかけしてすみません。いや、俺にもわからなくて。最近、何かと敵意を向けてくるんですよね……」
* * *
大聖堂の鐘が辺りに鳴り響く。
よく晴れた春の日、マチルドと俺は結婚式を挙げた。
細やかなレースが幾重にも重ねられた純白のドレスを着たマチルドは、涙が出そうなほど美しかった。
貴族を中心とした参列者たちの色鮮やかなドレスは、まるで花畑のようだった。だが、それすらも、マチルドを引き立てるだけに見えた。
今朝、家を出た時、彼女は何も言わなかった。ただ、笑顔で送り出してくれた。そして今——参列者の隅に静かに座っていた。
いつも素朴な彼女も、今日ばかりはさすがに着飾っている。淡い緑色のドレスは上品で、よく似合っていた。
「今日は、ありがとう」
マチルドと一緒に声をかけた。
「……あなたの、晴れ姿が見られてよかったわ」
その表情には、優しさと寂しさが入り混じっていて。俺は、耐えきれなくなった。
「なあ、やっぱり一緒に暮らそう。マチルドも歓迎してくれているんだ」
彼女は、目を伏せた。
「でも、私がいたらふたりのお邪魔ですもの……」
「大丈夫ですわ。我が家の敷地は広いですから。ぜひいらしてください」
マチルドも、にっこりと微笑んだ。
「でしたら、お言葉に甘えようかしら」
彼女は、ふわりと笑った。俺は嬉しくなった。
——何度、この笑顔に救われただろう。
幼いころから、俺を守ってくれていた。あの村でも、王都でも。朝も夜も、いつもそばにいてくれた。何一つ、見返りを求めずに。
「今まで、甘えてばかりでごめん。でも、……」
俺は一度言葉を切り、彼女の手を取った。
その手は、昔から変わらず、少し冷たくて、優しかった。
「これからは精一杯、親孝行するよ。母さん」
* * *
「ねえ、テオ聞いてちょうだい!ヴァンサンさんたら、私とテオが恋人だと思ってたみたいなの。ふふ、私ったら、まだまだいけるわね」
「……あいつ、まさか本気で勘違いしてたのか?」
「でね、親子だって言ったら、今度は交際を申し込まれちゃったわ。十五歳上だって言ったんだけど、それでもかまわないんですって」
俺は、飲んでいたシャンパンを吹き出した。危うく、マチルドのドレスにかかるところだった。
「頼むから、やめてくれ……。いや……幸せならいいんだけど……。いや……やっぱりあいつが父親、はなあ……」
「……テオ、勘違いしてすまなかった。何なら、“お義父さん”と呼んでくれてもいいんだぞ」
「うわっ、ヴァンサン、お前どっから現れたんだよ!絶対呼ばないからな!無理すぎる!」
「ふふ、お義母様ったら本当にお若いんですもの。ノエミから聞いてはいましたが、びっくりしましたわ」
「あら、ありがとうございます。そうよね、ノエミ様とも家族になれるのよね。私、とっても嬉しいわ〜」
読後に“おっ”と思えるどんでん返しが、昔から好きで、
ミステリー小説や映画の構成を、創作に取り入れることが多いです。
今回は「昔から支えてきた彼女が、報われなかったら?」というテーマを選びました。
ただ、なかなか“納得できるラスト”にたどり着けず、大苦戦。
ありきたりだったり、ただの強がりに見えてしまったり——
それでは、自分の中で物語が終わらなかったんです。
ぐるぐると試行錯誤した結果、
「そうだ、前提を変えればいいんだ」と思いついて書いたのがこの形です。
半ば反則技のような、“創作だからこそ許される選択”かもしれません(笑)。
でも、もし少しでも心に残ったなら、とても嬉しいです。
感想・評価などいただけましたら、今後の励みになります。
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