表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/2

前編 SIDE:シモーヌ

あの村で私たちは、いつも一緒にいた。心の距離だって、今よりずっと近かった。だけど、王都に出てきてから……その距離は少しずつ、しかし確実に遠ざかっていった。


全ては、仕方がないことだった。


これは、私が彼と離れるために、心の準備をしていく物語。


* * *


私たちふたりが王都の平民街外れの小さな家で暮らし始めてから、もう七年になる。


セリニャック村に生まれ育った私、そしてテオ。私たちは、生涯あの村で共に暮らすのだと思っていた。だけどあの日、私たちの運命は大きく変わった。


テオは十三歳ごろから、家計を助けるために軍の雑務に雇われるようになった。日々顔を真っ黒にして働いていた彼は、私の目にとても眩しく写った。


きっと、大変なことばかりだっただろう。だが、彼は、どんなに疲れていても、私のことを第一に気にかけてくれた。


「……驚いたな。こんな小さな村に、こんな逸材がいたとは」


彼が十五歳になったある日、王都から巡回に来た騎士様が、テオに目を留めた。雑用の合間にしていた訓練に、光るものを見出したのだという。金の縁取りの外套に、つややかな剣。美しく整えられた口髭が印象的な方だった。


「王都で騎士団に入り、正式な訓練を受けるべきだ。君さえよければ、私が推薦しよう」

そう言われたテオは、喜び勇んで私の元に駆け寄ってきた。


「やった……!これで、王都の騎士団に入れる!

そうしたら、これまで苦労をかけた母さんにも、たっぷり仕送りできる。少しは、楽させてあげられるよ」


そう無邪気に喜ぶ彼を見ていると、何だかもう遠くに行ってしまったようで、胸が疼いた。いや、このまま手をこまねいていれば、本当に遠くに行ってしまう。


(そんなの、いや)


だから、私は勇気を振り絞った。


「……私も行く。だから、一緒に王都で暮らしましょう?あなたと離れたくないの。私は私で働きに出て、家計を支えるわ」


彼は、困惑したような顔をした。

「いや、それは嬉しいけどさ。でも、引越しのお金なんてないだろう?俺の分は、国が援助してくれるって話だけど——」


彼の迷いを断ち切るように、私はきっぱりと告げる。


「あなたには言ってなかったんだけど……実はお父さんの遺したお金を貯めていたの。いつか役立つ日がくると思って」


彼はそれを聞くと驚いた顔をしたものの「わかった」とうなずいた。


こうして私は、王都での暮らしを選んだ。彼の傍にいられるように。


* * *


とんとん拍子に仕事が決まってほっとした。絶対に、テオの負担にはなりたくなかったから。


王立学園の食堂での調理の仕事は、私に向いていると思う。料理の腕には多少自信があったし、学生たちはとても可愛らしかった。


時には「シモーヌさん、今日も綺麗だね」なんて軽口を飛ばしてくる男子生徒もいた。


平民育ちの私はお貴族様とほとんど接したことがなかったから、そのあまりの美しさにも驚いた。……特に、王都に出て五年が経つ頃入学してきた、王太子のジュリアンさまは輝かんばかりの美貌だった。


後にできた恋人のルナマリーさまとお二人でいる様子は、まるで絵巻物から出てきたかのように美しく、思わず見惚れてしまったものだった。


「ねえシモーヌ、今日のスープ、美味しかったわ。うちのシェフにも作らせたいのだけど、どのような味付けをしているの?」


そう話しかけてくるのは、ノエミ・ド・シェリエ伯爵令嬢。高位貴族のご令嬢ながら、気さくなお方で身分問わずいろんな生徒と交流している。レシピを尋ねられることもしばしばで、そのたび丁寧に答えていた。



快活さと柔らかさを併せ持つ彼女は、まるで年の離れた女友達のように思えた。……もちろん、そんなことを口に出すのは恐れ多かったけれど。



テオと毎晩食卓を囲みながら、学園でのあれこれを語ってきかせた。


最初の頃は

「心配していたけど、馴染めているみたいでよかった」

と笑ってくれていた彼は、だんだんと言葉少なになっていった。


以前は喜んで受け取ってくれていた朝のサンドイッチも、

「同僚と食堂に行くからいらない」

と言われることが多くなった。


(もう、彼には私の知らない世界があるのね……)



* * *


あの騎士様は、見る目があったということなのだろう。テオはとんとん拍子に出世を重ねていった。

 

昔は、彼にお金がかかると思って、自分には使わないようにしていたけど……気づけば、私よりよっぽど稼いでくるようになった。誇らしい気持ちの中に、わずかに寂しい気持ちが入り混じる。


彼の絵姿が売り出され、女性たちが黄色い声をあげているのを知った時には驚いた。私にはそんなこと、一言も言っていなかったのに。


(あなたたちは知らないでしょうけど、昔から格好良かったのよ)


少年らしさを残していた体つきは大きく、逞しく。あどけなさの残っていた顔はキリッと引き締まり、最近は確かに男振りが増している。燃えるような赤毛に黒い瞳も、情熱的だと評判だそうだ。


私の……密かな自慢だったつもりが、こんなに人気だったなんて。決して、欲目だけではなかったのね。


だけど、彼の名声が高まるにつれ、私との時間はさらに少なくなっていった。


帰りは遅くなることが増え、食事を共にする機会は減っていった。会話も減り、顔を合わせる時間すら少なくなってきた。


昔は、必ず手を繋いで寝ていたのに。今じゃ、寝室に入ろうとするだけで怒られる。


仕方がないんだろうけど、ちょっと寂しい。


そして、彼が二十二歳になり、騎士団の第一隊隊長に任命された頃——私は驚きの知らせを聞くことになったのだった。


* * *


休日に我が家を突然訪ねてきた、ヴァンサンと名乗る青年は、テオの同僚だった。確か一度……酔っ払ったテオを家まで送ってきてくれたことがあったはずだ。二、三言、言葉を交わしただけだが、真っ直ぐに人の目を見つめてくる人だと印象に残っていた。


私は、彼を招き入れてお茶を勧めた。


「突然、どうなさったのですか?テオは今日は出かけていますから、お相手できないのですが……」


彼は、黒髪の朴訥な印象のある青年だった。テオよりは少し年上だろうか。何か思い詰めたような顔をし、膝の上で拳を握りしめているのがわかった。


「……急にお邪魔して申し訳ありません。ですが、どうしてもあなたのお耳に入れたいことが……」


妙なことを言う。彼がテオではなく私に伝えたいこととはなんなのだろう。その目には迷いと憂いが見て取れた。


「あいつは……テオは……今日、お見合いをしているのです。あなたには、隠して向かったのでしょう……!」


切羽詰まった言葉だった。抑えていた何かが、決壊したようだった。はじめは何を言っているのか理解できなかった。彼の言葉は私の想像を超えていた。


「……テオが、お見合い?」


(うそよ、そんなの……きいていないわ)


私はあまりにも驚き、ヴァンサンさんに詰め寄ってしまった。彼がまさか、そんな大事なことを教えてもくれないなんて、どういうことなの?


「あいつは、変わってしまったんです……昔は、こんなやつじゃなかったのに」

ヴァンサンさんは、苦しそうな顔をした。


「女王陛下からの紹介だそうで。この婚姻を受ければ、伯爵家と縁付き、貴族になることができるのです。だから……きっと」


(そんな……伯爵家との婚姻ですって……?)


食堂で、時折垣間見たあの煌びやかな世界。私には別の世界の出来事だと思っていた。


「知りませんでした。そんなことになっているとは……」


ヴァンサンさんは、悲しげな瞳をこちらに向ける。

「あなたは、それでいいのですか?」


「……いいも何も……テオがそのご令嬢と婚姻することを選ぶのならば……私は、祝福するだけです」

努めて冷静を装い、なんとか言葉を絞り出した。


ヴァンサンさんはこうべを垂れ、何事かつぶやいた。

「私なら……あなたのような美しい人を悲しませたりなど、決してしないのに……」


だけど、動揺していた私には、彼が何を言ったのかよく聞こえなかった。


挿絵(By みてみん)



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ