ヒトが必須ビタミンの全てを体内で合成できるようになったら?
◤SF設定考察メモ◢
■ 概要
人間は21種類のビタミンのうち、A、B群、C、D、E、Kなど複数を体内で合成できず、外部からの摂取に依存している。この生理的な制約が、食文化、農業、医療、さらには社会インフラにまで影響を及ぼしている。もし将来のバイオテクノロジーや進化的な改変により、人類が全ての必須ビタミンを自己合成可能になったとしたら、私たちの食生活、医療体系、そして社会構造はどのように変わるのか。その未来を多角的に考察する。
■ 用語解説
・必須ビタミン
人体の正常な機能維持に不可欠であるが、
体内で十分な量を合成できないため外部からの摂取が必要なビタミン群。
・内因性合成
栄養素を外部から摂取せずとも、肝臓、腸内細菌、
皮膚細胞などの働きによって体内で合成すること。
・遺伝子改変ヒト(GMOヒューマン)
内因性ビタミン合成機能を持つように改変された遺伝子を持つ人間。
例としては、ビタミンC合成酵素を再活性化した個体など。
■ 予想される影響
1. 食生活の根本的変化
・野菜・果物の摂取義務が薄れ、嗜好品化する
・サプリメント市場が大幅縮小
・極限環境下(宇宙、砂漠、海底)での長期滞在が容易に
・栄養失調の定義が再編され、カロリー・ミネラル偏重に
2. 医療と健康の再構築
・ビタミン欠乏症(例:壊血病、脚気、神経障害)の消失
・妊娠・高齢・成長期など特殊な栄養管理の簡易化
・高齢化社会においてQOL(生活の質)維持に貢献
・腸内細菌の重要性が一部低下し、マイクロバイオーム研究の方向性に変化
3. 社会・経済への波及効果
・発展途上国における栄養支援政策の抜本見直し
・農業生産とその国際的支援構造が変容
・宇宙移民計画の設計がシンプル化(補給量の削減)
・食品ロス削減や簡素食文化の確立に繋がる可能性
■ 未来予想
1. 食の意味が変わる未来
人類がビタミンを自己合成できるようになると、「栄養を摂るための食事」という発想が一部不要となる。食事は栄養補給の手段から、文化的・心理的行動へと再定義されるだろう。食の享楽性はより強調され、逆に“効率的に生きる”ことを志向する一部では、カロリー最小限の粉末食や水分のみの生活が定着する可能性もある。
2. サバイバル性能の向上と新たな適応
極限環境における人間の生存能力は飛躍的に高まる。特に災害時や宇宙探査時において、最低限のカロリーさえあれば生命維持が可能となるのは大きな利点である。また、遺伝子改変によりこの機能を獲得した個体は、将来的に「自己栄養能力を持つ新人類」として、環境適応性において大きなアドバンテージを持つとされ、軍事・極地研究・移民プログラムにおいて重要な位置を占めるだろう。
3. GMOヒューマンへの倫理的議論
ビタミン自己合成機能を獲得するには、基本的に遺伝子編集技術が必要であり、これは「改変された人間」という新たな倫理的争点を呼ぶ。とくに、子どもへの胚段階での導入や、社会的格差との関係が問題視される。「普通の人間ではビタミン合成ができない」という差別的構図が発生する可能性もある。逆に、公的な医療政策として全人類への普及が試みられることも考えられ、人類の基本構造そのものをアップグレードする方向へ進む可能性もある。
■ 締め
もし人類が必須ビタミンを自力で全て合成できるようになったなら、それは単なる「健康」の問題にとどまらず、「人間とはなにか」「何を食べて生きるべきか」という根源的な問いを再定義する出来事となるだろう。生物としての制約を一つ外した人類は、より自由に、そしてより自己責任的に生きる存在となる。その未来がユートピアかディストピアかは、私たちがどのように「食と身体」を再構築していくかにかかっている。
■ 補足:現人類がなぜ必須ビタミンを合成することができないか
人間が全てのビタミンを体内で合成できないのは、偶然や欠陥ではなく、生物進化の過程で選択的に喪失されてきた性質である。以下では、その背景にある要因を大別して解説する。
1. 進化的コストと選択圧の欠如
生命進化の過程において、ある機能を維持するには遺伝的コスト(遺伝子の維持・転写・酵素の発現にかかるエネルギー)がかかる。たとえばヒトは、ビタミンC(アスコルビン酸)を合成する酵素「L-グロノラクトンオキシダーゼ」の遺伝子(GULO)を失っている。これは約4,000万年前に霊長類の祖先が果物などからビタミンCを豊富に摂取できる環境に適応し、内因的合成能力に強い選択圧がかからなかったためとされる。
結果として、その機能は失われたまま固定されている。これは他のビタミン(たとえばB群やK、Eなど)についても同様で、食物から容易に得られる場合、遺伝子を維持する選択圧が弱くなることで退化しやすくなる。
2. 代謝経路の不完全性と種特異性
ビタミンの合成には複雑な酵素カスケードが必要であるが、人間は多くのそれを欠いているか、中間段階までしか進められない。たとえばビタミンB12はヒトを含む真核生物では合成不可能であり、土壌細菌や腸内細菌のごく一部が特殊な経路で産生する。
また、ビタミンDは「合成可能なビタミン」とされることもあるが、これは皮膚に紫外線が当たることでコレステロールから前駆体を作り、それが肝臓・腎臓で活性化されるという、環境依存のプロセスを経るため、厳密には「条件付き内因性合成」である。
3. 腸内細菌との共生関係
人類はビタミンKやビオチン(B7)など、一部のビタミンを腸内細菌との共生関係によって獲得している。このため、必ずしも「ヒト細胞自身がすべてを合成する」必要がなく、外部環境との相互依存的な構造をとってきた。これは進化的には合理的であるが、抗生物質や腸内環境の変化によって容易に破綻する脆弱性も持つ。
4. 動物界における共通的制限
ビタミン自己合成能力を持つ動物は少なく、特に高等哺乳類では限定的である。たとえば犬や猫はビタミンCを合成できるが、モルモットや人間、類人猿などは合成できない。また、ビタミンAの合成も、前駆体(βカロテン)からの変換に頼っているに過ぎず、動物自身がAを直接合成できるわけではない。
こうした点からも、ヒトが多様なビタミンを合成できないのは「異常」ではなく、「環境との関係性を前提に設計された種」であることを意味する。
もし全ビタミンを自前で合成する「ポスト・ヒューマン」が登場した場合、それは生態的に完全自律的な存在への第一歩となるかもしれない。進化の流れに逆らう形で自己完結を目指すその構造は、地球生態系からの離脱を意味し、新たな人類像の兆候となるだろう。




