やっと、落ちてくれました?
「デートだー!」
王都から乗り合い馬車に揺られて20分。時折おでかけに誘ってくれる先生に着いて、私は、ひたすらに緑の絨毯が広がっている風が気持ちの良い丘に来ていた。
先生は、黒いシャツと同じ色のズボン、そして医者の証の白衣を着て、呆れたように笑っている。
「あなた……、デートだなんて微塵も思ってないでしょう?」
「あ、バレました?」
いくら美丈夫でも、200歳以上離れている先生をそういう目で見れるか、と言われたら無理だ。
すっとした鼻に薄い唇、碧い瞳は切れ長で、さらさらとした長い銀髪は緩く一つにまとめている。その尖っている耳も、その20代後半くらいに見える容姿も、全てエルフの特徴だ。
……しかし、なんでそんなに美人なんですかね? 私これでも華の21歳の人間ですよ? それなりに自分の見た目は整っている方だと思ってますけど、先生の隣に並んだら決まって負けるんですよ?
ほら、さっきだって乗り合い馬車の中で男性女性関係なくあっつい視線を向けられてましたよね? ……あー、なんか悔しくなってきた!
「っていうか先生、ここに何の用ですか?」
「突然ツンツンしてどうしたんですか。そもそも何の用かわかってなくて着いてきたんですか……」
呆れた笑顔から笑顔だけを消し、先生はぼそりと「まあその方が都合はいいですけど」なんて呟いた。
その呟き、隠す気ほとんどないですよね。まあ、追求してものらりくらりと躱される未来しか見えないけど。
「だって先生、何も説明してくれませんでしたよね」
「聞きなさい。わからないことは積極的に聞きなさい。……まさか、他の男にも、のこのこ着いて行ったりしてないでしょうね!?」
他の男性にも? そんな簡単に着いていくわけがないでしょう。……いや待って、思い当たることがいくつかなくもないような。
「そこ! 目を逸らさない!」
し、視線を右上になんて逸らしてないですよ? ええ、私はさっきから先生の目をじっと見つめていましたよ?
「……はぁ、まあいいです。ただし次からは、俺も含めて男から出かけないかと誘われた時には必ず、必ず、行き先と目的を聞きましょう。いいですね?」
「えっとぉ……」
そ、それは確約できないというかなんというか……。先生の言うことはきっと、自分の身を守るために必要なんだろうけど……そもそも私にそんな思い抱く人なんていないだろうし。
それに先生にまでそれが適用されるとなると、いちいち聞かなきゃなのがめんどくさい、というか……。
「視線が泳いでいますよ」
うっ、バレましたか……。
「……せめて、先生には聞かなくていい、にしませんか?」
苦し紛れの案だったけど、意外と行けた……?
泳がせている視線でちらりと窺った先生は、なぜか目を見開いていた。え、何……。どうしたんですか先生?
「はぁぁぁあぁ……」とさっきのものとは比べ物にならないほどのため息を吐いた先生は、なぜか手で顔を覆ってなぜか睨むように私を見ている。
「あなた、その言葉が意味することわかってます? わかってないですよね?」
どうしてわかったんですか。心を読む魔法でも使いましたか。まさにそれ言おうとしてましたよ……。
「……はぁ、まあいいです。行きますよ」
「どこに——」
「俺には聞かなくていいのでは?」
「そ、……ソウデスネ」
本日4回目のため息を吐き、先生はどこかへ向かってすたすたと歩き出した。もうこうなったら追いかけるしかない。
無言で10分くらいした後、目的の場所についたのか立ち止まった。
「これ、見てください」
先生の背中しか見てなかった私は、言われて初めてその向こうにあるものに気づいた。
「わ……」
空の青色、月の黄色、雲の白色、宵の紺色、朝の橙色、夕の赤色……、さまざまな色の花が一面に咲いている。ざあ、と風が吹くと、ひらひらと花びらが舞った。
「綺麗……」
「そうでしょう? あなたを連れてきたのは、ただ、この光景を見せたかっただけなんです」
隣に並んだ先生は、どこか優しく、そして誇らしげに微笑んでいる。銀色の髪には月色の花が似合うだろうな。花も綺麗だけど、先生も綺麗……。
「ん? 俺の顔に何か付いてますか?」
「い、いえっ!」
……見惚れてた? 私、今先生に見惚れてた? な、なんか恥ずかしいっ!
ぐるっと顔を背けた先の空には、大きな灰色の雲があった。あれもしかしなくても近づいてきてるよね?
同じく雨雲に気づいた先生は「まずいな」と呟いた。
「戻りましょう。おそらくですが、あの雲は『ドラゴンの雲』です。もうこんなにも近づいてきてしまっている。間に合わない可能性が高いですが、乗り合い馬車が停まるところの近くで濡れる方がましでしょう」
行きますよ、と先生に手を引かれて走り出す。
近づいてくる速さも去っていく速さもとにかく早く、局地的に大量の雨を降らす『ドラゴンの雲』。その雨に濡れると必ず風邪を引いてしまうなんていう噂もあるが、実際のところは雨がとても冷たいからだと思う。
そうこうして走っているうちに、ぽつぽつと雨が降り出した。頬に当たったそれが想像以上に冷たくて、思わず「ひゃっ」と声をあげてしまう。
「大丈夫ですか!?」
「すみません、氷水みたいに冷たくてびっくりしてしまい……」
「確かに冷たいですよね」
ぽつぽつと降っていた雨は、次第にざあざあとバケツをひっくり返したかのように降り出す。
寒さから両腕をさすって動けなくなっていると、先生が近づいてきた。
「……失礼しますよ」
そしてなぜか抱きしめられる。……ダキシメラレル? 先生に抱きしめられている? ……え?
いつの間にか震えていた体は、先生の体温によって落ち着いていく。
先生の胸元から早めの鼓動が聞こえてくる。
時々遠くで香るいい匂いが近くにある。
すっぽりと私の体を覆うように先生から抱きしめられている。
——男の人に、抱きしめられている。
そう認識した時のは、『ドラゴンの雲』が去っていた後だった。ドクンドクンと心臓がうるさくて、なぜだか顔に熱が集まっていく。
どうしてこうなって……、え、なんで?
少なくとも今、先生の顔を見るのがまずいことだけはわかった。
「雨、上がりましたね。寒くないですか?」
どこか遠くに聞こえる言葉に返すものは見つからない。
落ち着くことを忘れた心臓も、茹で蛸のようになった顔も、喉元まで上がってきた感情も、先生には見せられない。
だから、ぎゅっと目の前のシャツを握って、下を向くしかない。
「……どうしました?」
お願いですから何も聞いてこないで……。
その願いも虚しく、「失礼しますね」と言った先生に顔を上げさせられる。雨に濡れた先生の見開かれた碧い瞳には、顔を真っ赤に染めて瞳を潤ませた私が映っていた。
……これ、バレたかも。
そう理解した瞬間、先生ははにかんで笑った。
「やっと、落ちてくれました?」
……それはずるいですよ。
また感情を読み取られないようにと下を向く。
「……ふふっ、俺も好きですよ」
「ま、まだ、なにも、いってないです……——」
先生との関係が変わってすぐ、風邪を引いてしまった私が先生に看病されるのは、また別の話。