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暁に雪をひと匙

 瞼を瞑って憮然としながら頬をもっきゅもっきゅさせていると、対面の女が眦をこすりながら体を起こした。

「んー、バジリスクの肉なんて頼んでないわよ……」

 寝ぼけまなこで眉を顰めながらジッとこちらを見る女。

 青い瞳が丸く双眸に浮かんでおり、かなりの童顔で驚いた。

 上背があるから気付かなかったが妙齢で、下手をすれば年の頃も私と同じくらいかもしれない。

「……誰?」

「失礼。他は埋まっていたので、勝手に相席させてもらっています」

 ナプキンを唇にとんとんしつつ、社交辞令的に言葉を返した。

 女は納得いかなそうに腕を組んで私を睨め付けていたが、やがて諦めたように嘆息する。

「店員さん、パンプキンポタージュちょうだい。それと豆板醤の白菜和え」

「あの、後者はメニューにありませんが……」

「シェフに言えば伝わるから」

 通りすがりの茶髪給仕が困惑しながら厨房へ向かった。

 彼女はほどなくして配膳されたスープを啜りながら、もうひとつの皿を前に押した。

 私は差し出された漬物を見下ろしながら口の中のものをようやく飲み下す。

「一緒に焼いて食べてみ。多少臭みが誤魔化せるわよ」

 とてもじゃないが残りを食べ切る自信はなかったので、言われるがままバジリスク肉のキムチ炒めを作成し、まるごとフォークを通して頂いた。

「むぐっ!?」

 目を見開いて鉄板を見る。

 強烈な獣香は相変わらずだが、辛みや塩味が利いて脂の渋みが旨味に感じられた。

 夢中で掻き込んでいる私の前で、女改め娘は瞑目したままスープを飲み干す。

「「ぷぁっ」」

 ふたりが卓上に吐いた息は、混ざる前に空へ溶けた。

 もうすぐ春が終わる。

 半袖の季節がやってきたら、私達の書き入れ時だ。


         *


 走りながら紅水晶の双眸を眇める。

 セスは私より少し上背があって、よーいドンで駆け出せば、必ずといっていいほどその後ろ姿を拝まされた。

「ィァァァアアアアアッッッ!!」

 巨大な蛇は、雪のような白鱗に木漏れ日を湛え、森影の最中に眩くも煌めいている。

 とぐろを巻いた長者は、いきなり突進するような愚を犯さず、尻尾を薙ぎ払ってきた。

 青紫の髪糸がばらけ、彼女の姿が一瞬掻き消えたかと思えば、直上から戻ってくる。

 同時に一過した筈の尾からは鮮赤が噴き撥ねており、同じものがセスの得物をも伝っていた。

「因果だこと……」

 感情の窺えない紅の眼球二つを仰ぎながら、呟かずにいられない。

 よりにもよって、さっき食べたばかりだ。

 バジリスクが懐に迫ったセスに対し、とうとう頭から突っ込んだ。

 砂塵が舞う。

 波打つ首鱗に切っ先を埋めてみた。

「レェエエエエエエエッッッ」

 息だけの悲鳴など、蛇でなければ早々叫ばないだろう。

 口が開いているということは、彼女も無事だなと安堵する。

 引き抜いて離脱すると、セスが先を行っていた。

 獲物を見る為に振り向いた彼女は、額から一条の朱を伝わせている。

 靴底を泥土に埋め込み、踵を返した。

「ユリア、興奮してるバジリスクに近付かないでっ!」

 制止も聞かずに前傾疾走。

 先方もやる気のようで、白蛇が頭を下げたうえでこちらに猛進してくる。

 顎が開かれた刹那、グネグネだった奴の首が一直線に伸び、気付けば私は双牙を落とされる寸前だった。

 自分から腔内に入るように跳躍。

 両膝を臍に寄せて浮く。

 そこから両足を伸ばし広げつつ、振り返りざまに剣を横一文字に振り抜いた。

 二又に分かれる細い舌を踏んずけて着地。

 後ろで砕けた牙が落ちるのが、逆光を過る影で察せられる。

 口が閉じられ足場が傾くと、私は喉奥に滑り落ちた。

 緋色の壁が四方から迫って細身を押し包む。

 前の方なんかギュッと絞まっていて、それがだんだん下に降りてくるものだから、頭を押されるようにして呑まれていく。

 翡翠の池が見えてきた。

 きっと酸の海だ。

 得物を肉壁に刺して掻っ捌く。

 陽日が滲む僅かな隙間に肩を捻じ込み、無理やり這い出した。

 顔も衣もべっとりと赤く濡れながら地に落ち、両手を突いて身を起こす。

 重々しい震動がすぐ隣で響いて、見ればバジリスクが顎を開閉させながら痙攣している。

 喉笛もついでに裂けたのかもしれない。

 女の子座りしながら呆けていると、砂を踏む音が近付いてきた。

 繊手が胸ぐらを掴み上げる。

 覆い被さった顔は目尻に雫を溜めていて、瞬き。

「無茶は禁止っ……」

 そのこめかみを流れる赤い血を、掌で拭ってあげた。

「蛇を締める時は首を落とすのが定石なんだけどね。大きくて無理だったから喉を破いてみた」

「……まさか」

 服の袖に血を滴らせながら立ち上がり、紅の眼に柄が触れるくらい得物を埋め込む。

 バジリスクの全身から力が抜け、僅かに潰れて幅を広げた。

「付け合わせ次第だけど、なかなか美味しかったわ」

 背を向けて走り出したセスを追う。

 大蛇の亡き骸に一匹の極楽鳥が留まり、黄金の翼を羽ばたかせていた。


         *


 木の根を潜るというのは、奇妙な心地である。

 緩やかな河は土が混ざって茶色いものと思っていたが、存外流れは澄んでいて、水面のすぐ下を小魚などが泳いでいた。

 舟が立てるさざ波はシーツの皺みたいに繊細で、指を浸せば柔らかい感触を伝えてくる。

 漕ぎ手が櫂を置いて、傘帽子の庇を上げた。

「また会ったわね、お嬢さん」

 外へ撥ねた長い黒髪は、毛先が青く染まっている。

「……どちらさま?」

「あっはっは。そうね、まだ名乗っていなかったわ。あたしは渡り屋、キリングエイマーハンブ。キリエって呼んで」

 眉を下げて振り返った。

「……ユリアよ。あなた、変わった名前ね」

「あたしもそれ今言おうと思ってた。喋る言葉が同じでも、やっぱり北州都市群はこっちと全然違うんだ」

 好奇心旺盛そうに碧瞳が煌めく。

 船首で仁王立ちしていた少女が、風に青紫の髪を躍らせながら横顔を向けた。

「そこのあんた。ひょっとして、この子に蛇料理を勧めたりしてないでしょうね?」

「あんたではなくキリエよ、初対面のお嬢さん。勧めるだなんてとんでもないわ。あたしはただ、彼女がバジリスクの肉に苦戦しているようだったから、美味しい食べ方を伝授しただけ」

 セスが軽蔑しきった目で見下ろしてくるので、慌てて両手を振る。

「誤解だって。レストランでおすすめを頼んだらたまたま……」

「南欧諸国は獣肉の名産地が多いの。ベイクラクトでも冒険者持ち込みの食材が饗されることが珍しくない。努々気を付けることね」

 悪戯するように嘯いたキリエに、藍毛の少女は嫌そうに口のへの字に曲げてから、前に直って首をゆるゆると動かした。

「因みにこの子はセス。仲間……というか、今組んでるひと」

「臨時バディって訳だ。なるほど」

 再び櫂を持ったキリエが、右舷だけで水を漕ぎはじめる。

 間もなく舟は岸辺に着き、浜辺に座礁する形で停泊した。

「樹海では方位磁針が使えないから、あんまり遠くへ行っちゃ駄目だよ。獣は大きくて鈍いのが殆どだから、深追いせず誘き寄せて仕留めること。夜は蒸し暑くて寝られたもんじゃないし、野宿したくないので日暮れまでに戻ってくるように。では、解散っ」

 船縁を跨いで砂に靴底を着き、仰ぎ見ながらゆっくり歩いた。

「ウチらはあんたの生徒じゃないわよ」

 セスの呟きが聞こえてくるが、返すキリエの声は夢中に溶ける。

 ここまで育つ大樹があるだろうか。

 伐り出すことなどとてもできそうにない。

 家が五棟すっぽり内に収まるような太さの幹が、歪曲しながら晴天を衝いていた。

 雲が通りすがりに日を隠し、空は戯れに蒼くなる。

 巨人の寸法に合わせて誂えたような森に、ふたりは少しずつ迫っていく。

 ここでの私達は小人だ。

 レプラコーンよろしく、甘いお菓子をくすねるとしよう。


         *


 紙を捲る音が好きだというと、怪訝そうな目を向けられることが多い。

 皆、冗談を言っているのだとは思うがどの辺りがユーモラスなのか分からない、といった顔をするのだ。

「オリオッツが討伐されて以来、荒野は雪原になってて灰色狼がうろついてるらしいじゃないか。新しい狩場を手に入れる絶好のチャンスだろっ」

 今日も今日とて銀髪の青年が血気盛んに机を叩いている。

 対面に座る橙の髪を短く刈り込んだ大男は、頬杖を突きながら気乗りしない表情を浮かべた。

「こっから北東を目指すなら、沼地を通ることになるだろ?人のいない土地でぬかるみに嵌まる危険は、これまでの旅でお前だって承知の筈だ。いくら不毛の土地っつっても、さらに進めば肥沃な森のひとつくらいあるだろうさ。それでも今までだって、オリオットの冒険者があの辺りをうろつくことなんかなかったろ」

 クレンが逸り、ハイズが諭す。

 いつもの流れを横目にして、それから前に視線を戻した。

「で、どうなの実際。アタイらが受けられそうな依頼は見つかりそう?」

 僅かな日差しにプラチナブロンドを眩く輝かせ、黒いブレザーに青いリボンタイを結んだ少女は、羊皮紙の束を繰りながら眉を困らせる。

「どうでしょうか。イヴァン市長の指示で、近隣で増加傾向にあった猛獣の掃討は、現在も継続されています。しかしながら竜の一件で生態系が著しく乱れており、強力な種族が既存の棲息分布とかけ離れた場所に出没しているとの報告が、以前より多数挙がっていました。適正な戦闘能力を持たない狩人が未開拓領域内でそういった個体と会敵する危険を考慮し、周辺環境が沈静するまでの間、危険区域に関する依頼の受注斡旋を停止するよう、議会から通達されていますので」

 半分くらい何を言っているのか分からず、頭から煙を吹き出した。

 隣で聞いていた水色の髪を肩まで伸ばす娘が、こちらに向けていた淡蒼の瞳を瞬かせる。

「フェルノーラさんから見て、わたし達の実力はどうでしょうか……?」

 受付嬢は苦笑を浮かべ、俯いたまま手の甲を頤に寄せた。

 他のカウンターで相談していた男性冒険者が数人、こちらを振り向いて呆ける。

「本来のオリオットであれば、十分な実力を有していると確信します」

 持って回った言い方に息を吐き、黙って聞き続けた。

 フェルノーラはふと頭上を仰ぐ。

「……けれど今ばかりは。ギルドでさえ、この状況です」

 空を雲が占める割合は六対四といったところで、晴れてはいるものの仄かに暗い蒼穹が広がっていた。

 街の中心にぽっかりと開けた広場は、カウンターテーブルが忽然と据えられ、疎らに帯剣した男女が立ち話する脇を、街人達が素知らぬ顔で行き過ぎていく。

 かつて庁舎があった面影はなく、地面も縦横に走る目抜き通り同様、カーキ色に焼けた石畳が敷かれていた。

「ニア」

 仏頂面で下を向いていたアタイの肩に、レイの繊手が乗せられる。

 五つの指から伝わる温かみに、深く息を吐き出した。

「手間掛けさせてごめんね」

 手刀を切りながら片目を瞑ってみせると、男共に振り返る。

「やっぱし、アタイら程度で手伝えることは、今のところないみたい。リングスエート市に帰ろ」

「だーっ、結局これだよ。ユリアの奴は氷竜討伐に一枚噛んだっつーのに、うちのパーティときたら」

「比べたってしょうがないだろ。選抜隊が使った北の連峰を越えるコースは、吹雪のせいで今使えないしな」

 四人揃って南通りへ歩いていく。

 はたと二つの団子髪を振って後ろを見れば、白金髪の娘が同色の瞳にハイライトを瞬かせ、何かを言い淀むように唇を引き結んでいた。

 アタイだけ立ち止まり、皆は気付かずに先を急ぐ。

 やがて彼女の口が小さく開かれ、鈴の鳴るような声を届けてきた。

「おめでとう」

「……え?」

「小柄な赤毛の受付嬢に会うことがあれば、そうお伝えください。お姉ちゃんはいつだって、妹の幸せを願っているものだから」

 約束はしなかった。

 それでも、アタイが少し首を傾げて曖昧に口端を吊り上げたら、フェルノーラは託したひとの顔になって、深々と頭を下げるのだ。

 全く、柄じゃない。

 けど。

「ニア、早く来いよ!」

「……うんっ」

 手を振って待つ仲間達の下へ駆け出しながら、ふいに差した日に鳶色の瞳を眇める。

 たまになら、こんな風に笑ってもいい。


         *


 こめかみを伝う汗を腕で拭い、頬に張り付く桜色の髪を耳に掛けた。

 半袖に替えた紫の戦装束から腋が覗く。

 茂みをいくつも蹴破って走ると、その先に見上げるような緑の巨人が、樹の太枝を齧っていた。

 居合抜きざま、左脚を弾く。

 身体を丸めながら旋廻、途中で奴の足首を薙ぎ、そのまま両脚を広げ、靴底を土に擦り付けるようにして止まった。

 重い地響きを鳴らし、キュクロプスが尻もちを付く。

 黄濁した単眼を惑乱させ、その縦に裂けた瞳孔はやがて、着いた左手の指先に立つ、棒立ちの少女を捉えた。

「ウバアアアアアアアッッッ!!」

 激昂したように瞠目し、臼歯を剥いて奴は吼える。

 そして、すぐに途切れた。

 そのうなじを、青紫の髪を揺らす娘の剣が、深々と貫いていたからだ。

 頚椎を穿たれたのだろう。

 瞳孔が開くと共に、緑肌の巨人はゆっくりと上体を地面へ横たえた。

 紺毛をふわりと浮かし、降り立ったセスが剣を回しながら鞘に納める。

 飛散する血が黄色い落葉を斑に染めた。

「巨人族ってキライ。お金にならないもの」

「……まあ、剥ぎ取りようがないしね」

 この樹海では、木漏れ日ひとつとっても大きい。

 斜光に当たる少女は眩しく、その肌を朧気に輝かせている。

「ベイクラクトに来て、もう二か月だ」

「なによ急に」

「セスは、どうしてあの街に来たの?」

 娘は濃青の帯締めワンピースを翻し、後ろ頭に両手を回しながら瞼を下ろして歩いた。

「別に、ただの中継地点よ。ウチは山育ちでね、海を見たことないの。北は寒くて水辺なんてごめんだし、南進する以外ないでしょ」

 後を追う私が黙っていたら、彼女は冷たい横目を向けてくる。

「くだらないって思ってるんでしょう。別にいいわよ、あんたにどう思われたって、ウチは自分のしたいように生きてやるんだから」

 ゆるゆる首を振って、前髪に伏せた薄紅の瞳を斜め下へ移した。

「私は、ここからずっと西にある街で生まれたの。雨ばかり降って、住んでる人も碌に出掛けないんだ。機織りと鍛冶が盛んで、休みの時は本を読んだり、昼寝をして過ごす。私ひとりっ子だったからさ。不愛想だし、遊んでくれる友達もできなくて、毎日退屈で仕方なかった。だから旅なのよ。色んなところにいって、そこで人はどう暮らしているのか、知りたいんだ」

 ふたりで黙って歩くと、遠くで鳴いた雉の声や、鈴虫の音色がよく聴こえる。

 キリエの言いつけを守って、探索は近場に留めた。

 せせらぎも微かに響いている。

 じき、河岸に着くだろう。

「あんた、ウチと一緒にくれば?」

 笑おうとして、上手くできなかった。

「……考えとく」

 夏の日差しが少女を隠して、私は咄嗟に足を速めた。

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