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森の幸、スープを添えて

 硝子細工のように透質な竜は、数度羽ばたいたかと思えば次の刹那に掻き消えた。

 遅れて広がる衝撃波に僅かな枯れ草が仰け反り、視界が歪む。

 できるのはせいぜい、腕を掲げて頭を守りながら立ち尽くすことだけ。

 隣に視線を向ければ、青紫の髪を靡かせながらも、セスは瞳を高方へ移ろわせていた。

 荒野の上空にはたしかに、碧朱の双燐が周回している。

 突風が収まると、爆心地の向こうに立っていたモルシが、目を眇めて小さな杖を掲げるのが見えた。

 羽ペン程のその杖先に、鈍銀の水流が渦を巻く。

 球体を為し絡まっていたそれは、広がるにつれて解れ、中心に輝く翡翠の極点を露わにした。

 やがて鉛の曲河は宙に溶け、光を増大させた燦閃が一条のほうき星となって暗天を駆ける。

 狙い違わず、ドラゴンの氷像は胴を穿たれ、北東に落下して猛煙を上げた。

 私とセスは即座に走り出したのだが、ふたりの間を追い抜いて黒髪が乱舞する。

「キオオオオオオオオッッッ」

 威嚇的に鳴いた竜は翼を広げて砂塵を吹き散らし、次の挙動で空の彼方に戻ろうとしていた。

 オーフェが右手を振って剣を正面で縦旋させ、自らは体を斜めに傾けて横転。

 軸足で地を突き、利き脚を袈裟掛けに蹴り抜く。

 柄がブーツの甲に打たれ、銀弧は閃きながら蜥蜴の蒼焔を吹く肢に迫り、根元に刺さって止まった。

 今度は右翼が掻き消えた。

 しかし竜に慌てる素振りはなく、貌を反らしてオーフェの得物を引き抜こうとしている。

 きっとすぐに、奴はまた舞い上がるのだろう。

 走り回り傷つけては快癒され、そんな戦闘を続けながら体感でもうすぐ十分ほど経つか。

 未だ、周囲に冷気は広がっておらず、動き続けて汗ばんだ体は火照りっぱなしだ。

 エディク、私の推測は。

 たぶん、当たってたんだ。

 セスが半歩早い。

 捉えどころのない水のような透竜の内側に、橙の絃を血管の如く伸ばして陽玉が熾きる。

 あんなに熱そうなのに。

 あの光が、吹雪を連れてくるのだろう。

 碧々と煌めく無数の星屑に見守られ、最果ての焦土を駆りながら、右目にひとしずく涙する。

 これで最後になるだろう。

 竜にとってか、或いは私達にとって。

 朱い裾をはためかせ、セスは右斜め前へ跳ぶ。

 紅の左翼が打ち付けられる寸前、左前にステップを踏んで、そのまま宙返り。

 両足が後ろから降りるのに合わせ、右手に握った得物を払う。

 後ろ脚を抉られ、ドラゴンは大きく姿勢を崩した。

 私はかなり高方へ向けて剣を投擲しておく。

 姿勢を落として疾走。

 少女が着地する瞬間、オーフェの剣が鈴の音と共に折れた。

 青紫の瞳が瞠られる。

 青を灼く筈の翼は、橙の炎玉に姿を変えて、硝子筒のような前肢から解き放たれた。

「きゃあっ」

 その背に抱き付き、ふたり揃って横向きに倒れ込む。

 間近で緋煙が爆ぜて、髪の桜色が照らし出された。

 風が吹き付ける。

「はぁっ……はぁっ……」

 頬が霜に覆われていき、吐く息が白く染まった。

 絶えない篝火を中心に気流が集まり、地表を灰靄が渦巻く。

「アアアアアアアアアアッッッ!」

 喉を反らして凱歌を上げる竜は、自らに向けられた杖に気付かない。

 そばかすの浮いた顔で、若葉色の癖毛に隠す双眸が、冷たく瞬いていた。

 ドラゴンが動きを止める。

 地面から突き出した四条の影錐が、喉と胴、両の足を縫い留めていた。

「どんな獣も」

 ブーツが硝子蜥蜴の鼻先に乗る。

 黒い外套をたなびかせ、オーフェが空より落ちてきた私の剣を掴んだ。

「見ている器官と、考えている場所は結びついている」

 逆手に持った柄を落とす。

 氷像の眼窩から顎下までを突き抜けた細い切っ先に、赤い雫が伝っていた。


         *


 栗色の髪を撫でつけた礼人が、黒緑の軍服姿で意匠を張り付けた肩を竦める。

「存外、戻って来れるものだな」

「君の悪運の強さには、つくづく感心しているよ。イヴァン」

 隣の男が金髪を紐でまとめながら言うと、イヴァンは目を眇めて眉を困らせた。

「よくもぬけぬけと。エディク、差配したのはお前だろう。オリオッツを討伐するというからどんな大軍を用意したものかと思えば、たった四人だと?南欧諸国の決死隊にしたってもう少しマシな頭数を揃えている」

「実際倒してみせたのだから、僕の審眼も評価してもらいたいところだね」

 そう言って、彼は燕尾服を擦りながら夕空の下へ歩いてく。

「リングスエート市長はこのように主張しているが、どう思うかね?選抜パーティのユリア」

 私は仰々しく青いスカートの端を摘まみ、右足を引いてカーテシー。

「過ぎたことを論ずるよりも、今は目先の執務をこなしてくださいませ、閣下」

 鼻白む栗毛の男をおいて、私もエディクの後を追った。

 木槌を打つ音がそこかしこから響いてくる。

 黄昏れ刻だというのに、頭にバンダナを巻いた工夫達は、休むことなく修繕作業に勤しんでいた。

 路傍では前掛け姿の女達が炊き出しをしており、スパイスの微香が仄かに漂ってくる。

 雪に覆われていた石畳も今や、暁の下で橙に染められていた。

 割れた硝子や折れた柱の木片も、まるで最初からなかったみたいだ。

「ノマはどうしてる?」

「うん。オリオットに帰されるのではないかと思い詰めていたので、イヴァンと話を付けておいた。本日付で、リングスエートに転属させる」

 背後ろで指を絡ませ、眉を下げて綻んだ。

 涼風が桜色の髪を浮かせる。

 目を瞑ると、そこにいた獣達の表情まで、克明に思い出された。

「コボルドと、あと狼。たくさんいた筈だけど」

「そこはオリオット市長の差配だね。根無し草な冒険者でも、街に愛着を持つことはそう珍しくもないらしい」

 瞼を開けて、立ち止まる。

「そろそろ発つことにするわ」

 彼は歩き続けながら、笑息を吐いた。

「名残惜しいが、それもまた、旅人の常だ。元気で」

「うん。今日は楽しかった」

 数歩進んだ先で、エディクが振り返る。

 真っ直ぐな栗毛と吊り目がちな双眸が特徴の男が、肩をいからせて追いついてきた。

「おい、仮にも街の代表を措いて行こうとはどういう了見か」

「君は変わらないな。軍大学に通っていた頃のままだ」

「お前は口が減らなくなったな。俺と同期生だった頃など、碌に会話してる相手の顔も見れなかったというのに」

「年の功というやつさ。それより、視察を続けよう」

「あぁそういえば、あの生意気な小娘はどこだ?」

「彼女なら、もう行ったよ。最後にこの街を見ておきたかったそうだ」

「この俺に挨拶も無く?全く、これだから冒険者は」

 イヴァンが嘆息し、エディクはただ微笑む。

 燃え尽きた庁舎の残骸が、西日を浴びて煌めいていた。


         *


 せせらぎを泳ぐ魚に銀閃が突き刺さった。

 赤い靄はすぐに流され、やがて獲物も動きを止める。

 川から剣を引き上げ、漁果に枝を通した。

 パチパチと小さく爆ぜ続ける焚火の近く、砂に木端を埋めてしゃがみ込む。

 しばらく待って、皮に焦げ目が付いてきたら、ポーチから瓶詰めされた塩を取り出し、指に摘まんでまぶした。

 串を持って齧りつく。

 引き千切った白身から脂がしみ出して舌を焼く。

 頻りに息を吐きながら食み、音高く飲み下した。

「貧相な昼餉ね」

 無視してもうひと口。

 木陰に立つ少女は青紫の双眸を弓なりに反らし、さも滑稽そうに笑んでいた。

 それから彼女は対面まで来ると背嚢を降ろし、巻いて担いでいた毛布を敷いて腰を下ろす。

 ザックの中から取り出した黒パンを短剣でスライスしてチーズを乗せた。

 火で炙ると羊の乾酪が溶けだす。

「あら、ジッと見てどうしたのかしら」

 半眼を向ける私に、娘は勝ち誇った顔でトーストを口に含む。

「セス、まさか付けてきたの?」

「冗談。あんたベイクラクトに行くのよね。目的地が被ればそういうこともあるんじゃない」

 この子とはエディクの差し金で一度組んだけど、それっきり話した覚えはない。

 特に喋るでもなく、しばしふたり、黙々と咀嚼した。

「交換しよ」

「そうね」

 半分ずつ食べたところでチーズパンと魚の串焼きを取り替える。

「はふっ。……これ美味しいね」

「うん。塩が利いてて旨いじゃない。たまには現地調達も悪くないわ」

 そんな感じで全て平らげると、砂をかけて火を鎮めた。

「それだけ?」

 麻袋の緒を担いだ私に、バックパックを背負った少女が首を傾げる。

「ベイクラクトまでたった一週間よ。何入れたらそんな大荷物になるの」

「二十回分の保存食よ。干し肉、漬物、ビスケット、後は……」

「……狩りの仕方、道中教えてあげるね」

「あんた馬鹿にしてんの?冒険者に言う台詞じゃないわよ」

「じゃなくて。血抜きとか、食べるには色々手順があるから」

「……そうなの?」

 木漏れ日に額から頬に掛けてを灼かれながら、私はこくりと頷いた。


         *


 階段を登っていると、軒の間に吊るされた洗濯物越しに、よく晴れた青空が目に入る。

 途中に立て黒板があって、チョークでメニューが書かれていた。

 すぐ脇のドアを押し開く。

 そこにはトンネル状の食堂が広がっていた。

 壁には三又の燭台が点され、刺繍の細かいテーブルクロスを掛けた円卓が散在する。

 素朴な服装の青年と少女が言葉を交わす傍らで、物々しい甲冑姿の男達が酒杯を酌み交わしたり。

 モノクルを掛けた髪の長い商人が天鵞絨のクッションに埋まる宝石を手で差し、ワイシャツにジャケット姿の裕福そうな男が顎を撫でながら吟味したり。

 席の間を茶色い給仕服の年若い娘達が行き交い、定期的に開く奥の扉からは、赤々とした火照の下で料理人達が額に汗する厨房が垣間見えた。

 空いてる場所はどこも相席だ。

 私は少し逡巡してから、突き当りの隅っこで酔い潰れている背の高い女の正面に座った。

「んー……」

 こちらに気付いたようだが、唸るばかりで際立った反応はない。

 給仕を呼び止め、メニューを覚え忘れていたことにはたと気付き、おすすめランチひとつと適当に注文を伝える。

 時間潰しに頬杖を突いて相席した人物を観察してみた。

 地色は腰まで届くような長い黒髪だ。しかし今は半ばから毛先にかけては青く染まっている。

 恐らくネモフィラの花弁を煮出し、湯汁を濾してできた染料を付けているのだろう。

 仄かにフローラルな香りがした。

 尤も、すぐに運ばれてきた鉄板ステーキの血臭に塗り替えられてしまう。

 思わず鼻を手で覆った。

「これ、なんのお肉かしら」

「そちら当店名物、バジリスクの焦がし焼きになります。ぜひオニオンソースとご一緒にお召し上がりください」

 小麦色の髪をアップで纏めた娘が、銀トレイを持って颯爽と次の皿を届けに向かう。

 近くの卓で飲んでいた白髪の老人達が、こちらを見て愉快そうにくつくつ笑っている。

 店内をぐるりと見回してみたが、同じ料理をつついている者はひとりとしていなかった。

 これは在庫処分を押し付けられたな。

 まあ蛇の肉は鶏の味に近いというし、ジビエとして一般にも流通している。

 本体が些か大きく過ぎるとも思うが、まあ筋繊維の構造に大きな違いはないだろう。

 などと胸の内で自分に言い聞かせつつ、ナイフを通して肉を切り分けた。

 滴る脂が鉄板に落ち、蒸気を上げる。

 玉ねぎソースに軽く浸して、実食。

「……」

 噛めば噛むほど、独特のあくが滲み出してくる。

 これは苦戦しそうだ。

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