表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/5

あの日の約束はまだ萌えているか

 世界中、どこへでも行ける魔法の箱があったとしよう。

 例えば少年がいたとして、彼の目指す先にはなにがあるだろう。

 折り返す波が無数に日を反射する夏の海か。

 はたまた地平の果てまで風が吹き抜けるような春の草原か。

 或いは紅く色づき、獣が駆けまわる秋の山だろうか。

 私ならきっと、冷気に覆われた銀世界を暖炉の前から眺められるような、冬の民家を選ぶ。

 寂莫とした街景色に、しんしんと白燐が降り注ぐ。

 手で受け止めようとしたが、肌に触れるとすぐに溶けた。

 指を握り込み、前を向く。

 目抜き通りから見晴らせば、オリオットの中心にある庁舎から、黒煙が濛々と立ち昇っていた。

 赤々と滾る炎が、硝子を砕いては鈴鳴らす。

 あの焔が燃えてからもう、十日も経っているというのに。

 凍れた空気に息をくゆらせた。

 傍まで行ってみることにする。

 ドアを開け放された店舗が軒を連ねていた。

 陳列棚はがらんどう。

 室内に人っ子ひとり見当たらない。

 穹は蒼く澄んでいて、天照が燦々と華やいでいる。

 それでも、まるで宙から湧き出す泉の如く、どこからともなく雪が降っていた。

 ギルドと呼ばれる施設であれ大きくとも木造だ。

 もはや骨組みとて残っていない。

 そこにあったのは、不十分な薪を糧に盛り続ける、いとも巨きな火勢だった。

「ドラゴンブレス」

 竜の吐息で焼けた朽ち木は一年、灯りを絶やさないという話も信憑性を帯びてくる。

 通りすがりの災厄は、人が築いた都市ひとつなど、瞬きの間に平らげてしまうのだ。

 私は利き手で腰の柄を握って、引き抜きざまに逆袈裟を放つ。

「キィーゥッ?」

 犬特有の細い悲鳴を喉から漏らし、あばら骨の隙間から流血した狼が、亜麻色の石畳に身体を引き摺った。

 刀身を正眼に立て、屈みながら前方宙返りする。

 腹部を真っ直ぐ突き抜けた刃の先で、日差しに朱い雫がハイライトを帯びていた。

 横転がりする私の背が、路地に落ちていた木材にぶつかる。

「ぐあっ」

 腰に片手を回して歯噛みしながら震えていると、ぺたぺたと軽い足音が周囲に次々と現れた。

 眇めた双眸を向ければ、家々の陰から灰色の毛並みを持つ狼達が、満月のような瞳でこちらを窺っている。

「いつつ……っ」

 フラリと立ち上がれば、唸り声が合唱しはじめた。

 振り仰げば、茸型に膨らむ橙色の硝煙がある。

 やれやれ。

 私は眉を下げて疲れた両目を送った。

 衣越しに感じる暖かさが、せめてもの救いだった。


         *


 リングスエートには氷焼きという名物料理がある。

 氷室で凍らせたタレを七面鳥の肉で挟み、窯で丸焼きにしたものだ。

 ナイフを通せば肉汁と溶けたスープが混ざり合い、表面にタレ付けするのとは全く異なる濃縮された旨味が溢れ出す。

「食べたいなら頼もうか?」

「いいわよ。そんな気分じゃないもの」

 黒髪団子の娘は、そう言いつつも羨ましそうに隣の卓を横目にしつつ、木杯を傾けた。

 喉の鳴る音が威勢よく響いた。

「ユリア。あんたも飲んだら?」

 赤ら顔で対面の私を睨めつけるニアを、机に両手を組んでジッと見る。

「それお酒?」

「そんな訳ないじゃん。ただの果実水」

「なら、この後探索に行こうよ」

「あんたね、街ひとつお釈迦になったんだよ?もうちょっと落ち込むなり取り乱すなりしたらどうなの」

「来たばかりだったもの。ここと変わらない」

 背凭れに身体を預けると、低い天井から吊り下がった灯り筒が揺れていた。

「オリオットの呼び名は、そのままあの化生が引き継いだってね」

「不愉快な話ね。二年暮らした住民としては」

「そんなに?なんで?」

「なんでって……あぁ、あんたみたいなのたまにいるわね。ひと所に留まらず転々としてるソロ。普通パーティは拠点を決めたらしばらく動かないものなの」

 まあ、それでも相場は半年くらいだけどね。

 小声で付け足した娘は腕枕に突っ伏す。

 腕を伸ばして木杯の残りを舐めた。

「……葡萄酒じゃん」

 カウンターを振り返れば、剃髪の恰幅のいい男が茶髭を揺らしてニヤリと笑い、親指を上げる。

 私は人差し指を立てて見せた。

「フライドポテト、ひとつ」


         *


 オリオットはリングスエートから東に歩いて半日ほどのところにある。

 中間地点のやや北に山があって、季節ごとに色を変えることで有名だった。

 初春の今は、私の目と同じ桜色に染まっている。

 舞い落ちる花弁の只中を歩いていくと、木陰から顔を覗かせる猪。

 獣毛に包まれる体は二本足で立っていた。

「わたしにやらせて」

 淡青の髪を揺らし、レイが杖の先を獲物に向ける。

 彼我を挟む腐葉土を、一条の霜が走り抜けた。

「グギィッ」

 左脚が膝まで白いシャーベットに包まれ、豚人は尻もちをつく。

「お前の魔法じゃオークは仕留めきれないだろ」

 言うが早いかクレンは駆け出し、銀髪を浮かせてすれ違いざま刃を掬った。

 喉を押さえた猪貌は、やがて仰向けになって動きを止める。

 大柄なハイズが緑の前合わせから短剣を取り出し、下顎に伸びる牙の根元に突き立てた。

「アタイらは必要なさそうね。ねえユリア、もっと奥行ってみない?」

「そうやってすぐ別行動取ろうとするから迷子になるんでしょ」

 私は坂を下りながら言葉だけ返す。

 登ってくる姿は、手足や胴がやや不自然に細長いが野性の猪といった風情である。

 四足で駆け上がってくる辺り、蹄の付いた手は腕というより前肢なのだろう。

 両手を前に押し出して待った。

 その鼻面が柄に触れたら、そこを支点に開脚前転する。

 俯せになったところで両足を閉じ、右肩を上げるように宙を寝返り。

 身体が水平に一周したところで、切り払い。

 直下をすれ違っていたオークの腰椎を深く抉った。

 猪が過ぎ去ってから、勢い余って背中から落ちる。

 湿った土の上で、喉を反らして息を吐いた。

 淡紅色の瞳に桜の花吹雪が反射する。

「わっ」

 裾を広げて声を上げた。

 青い衣に返り血が走っているではないか。

「ったく、アタイに後始末させるとはいい度胸だぜ」

 言いながら、ニアも指定部位を剥ぎ取っていく。

 獣は匂いに敏感だ。

 血の香りが充満したこの辺りにはもう寄ってこないだろう。

「ハイズ、移動しよ」

「おう、行くか」

 一枚の花弁がひらひら踊って、頤まで伸ばした同じ色の髪に乗る。

 団子でもあれば好かったのだけれど。


         *


 月に一度、オリオットを訪れる。

 狼の遠吠え、犬の鳴き声。

 そんなものばかりが響く荒れ果てた市街地を、瓦礫を踏みながら歩いた。

 時々建物を挟んだ向こうの路地を、人影がすれ違っていく。

 貌は狼のもので、体も被毛に覆われているのに、オークと同じく二足歩行していた。

「コボルド、増えてきたな……」

 息声で囁き、横目を正眼に戻す。

 庁舎の燃焼はすでに落ち着いていた。

 今では炭化した建材にしんしんと雪が降り積もっている。

 ブーツを踏んだ足跡が、私の後ろへどこまでも続いていく。

 気候がいつまで経っても戻らないのは、案外。

「まだ空の上にいるからかもしれないわね」

 分厚い雲を仰ぎ、白靄を吹いて遊んだ。

 獣の足音と息遣いは特徴的で、近付いてくればすぐ分かる。

 両手を石畳に着き、右踵を跳ね上げる。

 顎を撃ち抜かれたコボルドは踏鞴を踏んだ。

 宙返りの後着地。

 振り返りざま引き抜いた刃が、雪に反射した微光で閃く。

 犬人が振り下ろしてきた鉄棒、それを持った両手首を先に刎ねる。

 腰を捻って駒のようにその場を回り、正面を見た下半身を上半身が追い抜いた。

 横一文字で喉笛を掻っ捌く。

 コボルドは手を失った腕を首元にやってもがいたが、二秒経ってすぐ事切れた。

 屈んで長い耳を切り取り、巾着に押し込む。

 指先がかじかむような寒さの中でも、この動作は手に馴染んで淀みない。

 街に相次いで遠吠えが木霊した。

 両刃剣を青衣の肩に担ぐ。

 さて、もう二十匹ほど狩って帰ろうか。


         *


 昇降機の中でこの子とふたりになっても、普段の私達は殆ど会話しないのだけれど。

「ったく、あんたのせいで散々だ」

 撫でつけた朱髪の少女は、小柄な肩を大人ぶった仕草で竦める。

「市長から依頼を受けるのは名誉なことよ」

「そりゃユリアにとっちゃ光栄極まりない話だろーよ。けど、顔馴染みってだけの理由で面倒な仲介役を押し付けられたあたしにとっちゃ、迷惑でしかない」

「ノマだってその分ボーナスは貰ってるんでしょ。その耳飾り」

 チラと見下ろせば、彼女の耳たぶに涙を模った濃い青の宝飾品が提がっていた。

「いや、これはちげーから。恋人から貰った誕生日プレゼントだから」

「うそ。いつから?」

「二か月前から……って、なんでそんなことお前に説明しなきゃならないんだっ」

 それもそうだなと思ったが、興味はあったので素知らぬ顔で前を見ている。

 だから、三階に着いたことにもすぐ気付いて、開いた扉の向こうにいる誰かの姿を捉えるのも、彼女より少しだけ早かった。

 先に出てすぐ右足を前に蹴り出す。

 靴底に当たったナイフが跳ね返って壁の額縁に刺さった。

 その下に姿勢を低くして金髪を結んだ男が駆け込んでくる。

 右踵を落とすが脇に逸れて躱され、切れ長の目を持つ男が短剣を揺らした。

 同時に跳ね上げていた左のつま先がその柄頭を打つ。

 短剣は天井付近まで放物線を描いて男の後ろに落ちた。

 後方宙返りしてから右足を引いて半身になり、彼が放った掌底を避け、がら空きになった胴体に膝を埋める。

「ぐぅっ」

 歯を食いしばって呻き声を噛み殺した男が、板張りの床を転がっていく。

 追撃を掛けようと一歩足を踏み出したところで、赤毛の少女が割って入った。

「こらこら、出し抜けになにやってんだ!いきなり過ぎて反応が遅れたわっ」

 肩越しに怒鳴ったノマは、受付嬢の制服袖を左右に広げて通せんぼしながら、顔を前に戻す。

「市長、冒険者を見るなり腕試しに襲い掛かるのはやめてくださいって、前にもお願いしましたよね!?」

「げほっけほっ……いやあ、すまないノマ君。腕利きが来るとなれば、どうにも気が逸ってしまってね」

 燕尾服を纏った長身の男は埃を払い、襟を正して皺の浮いた顔を綻ばせた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ