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守り人のバラード

 草いきれに満ちた原っぱは、延々と続いているように感じた。

 けれど、目的地に辿り着いてから振り返った道のりは、簡素で短く味気ないものに思えたりする。

 石の低い外壁に囲われた木造の家々は、一様に紫塗りの屋根を被っていた。

 桜色の髪を耳に掛けて、息をゆっくり吸う。

「オリオット」

 耳に馴染まない名前もきっと、その内口が慣れていくのだろう。


         *


 馬車の列を横目に門を潜る。

 ちょび髭を生やす衛兵も素通り。

 検閲があるのは荷を運ぶ行商に限られていた。

 入ってすぐは広場で、突き当りに荷揚場を開けた商会が軒を連ねている。

 丸めた契約書や証書を持って走る丁稚や、上衣に革の外套を重ねて白髪に帽子を乗せる老人、前掛けをしたままバスケットを肘に提げる主婦。

 行き交う人々の流れを割って、私は目抜き通りへと歩みを進めた。

 ちらほらと、腰に鞘柄を佩いた若い男女を見掛ける。

 青いベストを着ていたり、橙の帽衣を羽織っていたり、心なしか皆煌びやかに思えた。

 街の中心であろう場所にやって来た。

 一つの建物を往路がぐるりと囲み、私が立つ南を含め、四方へと伸びていく。

 庁舎は二階建てで、正面にせり出した三角屋根の入り口があり、トの字状に繋がった母屋は横向きに長い。

 二本の石柱を潜って、扉のない室内へ踏み込んだ。

 板張りの床が、天窓から差す日を湛えていた。

 黒いブレザーを着て、青のリボンタイを締めた妙齢の女性達が、カウンターで横並びになっている。

 右端、低い所で短い朱髪を二つ結びにして、朱瞳をつまらなげに歪めている小柄な娘の方へ向かった。

 だって、誰も並んでいなかったのだ。

「こんにちは」

「……ご機嫌麗しゅう、レディ。オリオットギルドへようこそ」

 胡乱な上目遣いでこちらを睨めつけながら、言葉だけは教本通りの挨拶を返す受付嬢。

「で、何の用だ?」

 落差。

「……冒険者よ。しばらく滞在するから、登録を」

「あぁはいはい。これ規約書ね、サインして」

 彼女は上体を反らして長机の下を覗き込んだかと思えば、一枚の羊皮紙をペシッと卓に叩き付けた。

 傍に置いてあった羽ペンをインク壷から取り、筆記体で私の名前をつらつら書いていく。

 筆を元に戻し、指先で丁寧に紙を突き返すと、赤毛の娘も下の欄に名前を記していた。

「そら」

 金の徽章を乗せた掌が差し出され、私は手を重ねるように受け取り、そのまま青衣の左胸にピンを通す。

「ありがと、ノマ」

 瞬きする少女を背後に踵を返し、そのまま明るい四角へと引き返した。


         *


 紅水晶の瞳で葉々の隙間を窺う。

 枝を打ち付け合い、片方が転げて他方が跳ね踊った。

 木に凭れ座っていた一匹が笑い、負けた奴は肩を震わせると、そいつに飛び掛かって揉み合いになる。

 愉快そうに喧嘩を見物する矮躯の背を、後ろから私の剣が貫いた。

「アグっ……?」

 口から血を垂らして振り返った黄緑の醜貌は、刃を引き抜いたことでこちらを視界に納めることなく、苔生した地面に倒れ伏した。

 唖然として動きを止めた二体のうち、上にのしかかっていた審判役を袈裟に捌く。

「グギャッ!?」

 貌に撥ねた多量の赤飛沫に、敗残者は悲鳴を上げて這いつくばった。

 そのまま匍匐前進して遠ざかろうとする首を刎ね、左手の甲で頬に撥ねた僅かな返り血を拭う。

「ここでもゴブリンは最弱か。こっちとしては儲かるけど、浮かばれない獣だね」

 腰のベルトに留めていた短刀を抜き、獲物の耳を削ぎ落していく。

 緒を緩めた巾着に入れると、袋の底に紅い染みが広がった。


         *


 ぱんぱんに膨らんだ巾着が夕差しに緋く染まっている。

 手で押してみるが、これ以上は入りそうにない。

 刃に滴った血を払い、鉄響と共に鞘へ納めた。

 ひぐらしの鳴き声を聴きながら腐葉土を踏んでいく。

 ある樹を迂回すると、根っこに人型の影が差していた。

 やれやれ、ただ働きか。

 得物を再び抜いて正面に移動していくと、幹にひとりの少女が倒れ掛かっている。

 黒い髪を頭の左右上で団子にした長身の娘で、袖抜きで白い腋の覗く灰色の拳闘衣といった装い。

「ねぇ」

 肩を揺すってみると、僅かに呻いた。

 気を失っているようだが、命に差しさわりはないだろう。

 左拳を頤に当てて考える。

 放っておくのは流石に寝覚めが悪いか。

「はぁ……」

 剣を仕舞う。

 しゃがんで両腕を取って首に回して立って。

 覆い被さられるように背負いながら、木立の狭間に見える灼光を目指した。


         *


 遠目に、言い争いをしているなぁと思いながら、素知らぬふりで歩き続ける。

 森の外には三人の男女がいた。

 上体を屈めて盛んに訴えかける銀髪の青年に、体格ある男が短い橙髪を掻きながら返答し、隣で水色の髪を肩まで伸ばした娘は杖を握りながら俯いている。

 大方、仲間とはぐれでもしたのだろう。

 彼らの声が届く間合いに入り、木立を抜けても知らんふりを続けようとした。

「……えっ、ニア!?」

 物憂げにこちらを振り返った少女が、目を見開いて声を上げる。

 弾かれたように顔を向けてきたアッシュブロンド君が、矢も楯もたまらず走り出した。

 こうなっては仕方ない。

 私は顔に作り笑いを張り付けてからそっちを見た。

「この人の知り合い?」

「ニア!」

 無視して背の娘に抱き付く青年。

 実質ふたり分背負いながら、私は表情を崩さない。

「……あー、仲間を助けてくれたのか。ありがとう」

 遅れてきた大男が、困り笑いで手を挙げた。

 私はゆるゆると首を振る。

「ううん。森の中で倒れていたから連れてきただけ」

「そうか。いや、それでも十分返しきれない恩だよな。おいクレン、ちょっと落ち着け」

「ぐっ、くそ。離せハイズっ」

 羽交い絞めにされて引き剥がされた青年に半眼を向けて、それから薄青髪の少女に視線を移した。

「そこのあなた。この子降ろしたいから、手伝ってくれる?」

「う、うん」

 娘が双団子髪のニアを胸に受け止め、私はそっと前に数歩。

「近くに仲間がいてよかったね。それじゃあ」

 最後に社交辞令的な微笑みをあげて、背けた時にはもういつもの真顔に戻っている。

「だから言ったろ。もしあいつが通りかからなかったら」

 なんて、クレンの私を指差す声が聞こえてきた。

「あのな、もしお前の言う通り探しに行ってたら、あの子と入れ違いになってたんだぞ。そのまま食料も水も持たず森を彷徨ってみろ。今晩、獣の食卓に並ぶのは俺達だったろうよ。なあ、あんた!」

 足を止めてから、目を瞑って眉を顰める。

 気付いてない振りをして立ち去るべきだった。

 草を踏む音が近付いてくる。

「せめて礼をさせてくれ。例えば、そうだな、一緒に飯でもどうだ」

「……折角のお誘いだけど」

「アタイも」

 聞き覚えのない声に瞼を上げて、横顔を後ろに向けた。

「レイ、大丈夫だから」

 駆け寄る淡蒼色の髪を持つ娘の肩に手をおき、ニアがこちらを真っ直ぐ見つめている。

「助けられたのはアタイだ。あんたの分はアタイが持つ」

 鳶色の虹彩に浮かぶ瞳孔は窄められていた。

 どうにも、目を逸らせそうにない。

 私は彼女と視線を交わしながら、そっと嘆息した。


         *


 木杯を打ち付け合ったところで、煌びやかな音色は奏でられない。

 そこにあるのは乾きと粗さと陽気だけ。

 先を患うこともなく飲み明かす、冒険者の鳴響だ。

「えー、今宵はお集まり頂きまして誠に、あー」

「これ旨ぇな」

「先に飲むなよ……まあいいか。とにかくっ、全員揃って帰ってこれたこと、そして新たな友好の芽生えを祝して、乾杯!」

「へへっ」

「カンパーイ!」

「か、かんぱい」

「……」

 五つの木杯が長机の上で一斉に寄せられた。

 初めは皆エールである。

 私としては、蜜酒の方が好みに合うのだけれど。

 麦の風味で喉を灼いていると、ニアがわざわざ椅子を運んできた。

「隣、いいよね?」

 二つ団子の黒髪を揺らし、小首を傾げて彼女は悪びれない。

 スープが揺れる器の縁に口付けする。

「どうぞ」

 腰を下ろした娘は上体を倒してまで腕を伸ばし、遠くにあった炒り豆の皿を私の手の届く所においた。

「早速お酒抜けちゃうわ。肴にするなら塩気の多いものにしなよ」

「薄めながら飲まないから二日酔いするのよみんな」

「そうかなぁ。アタイはそんなん罹ったことないからな」

 言いながら自分で空豆を摘まんでいる。

「ありがとうね。あのまま森にいたらと思うと、ゾッとするわ」

「……どうして倒れていたのか、聞いてもいい?」

「いや、なんてことないんだけどさ。こいつらとはぐれてすぐ、ゴブリンと鉢合わせになってね。投げられた石が頭に当たって、追っ払うまでは平気だったんだが、眩暈がしたから横になって休んでたの。それで、気付かぬうちに寝入っちまってたんだ」

 たぶん失神していたのだろうが、本人に伝える必要もないだろう。

 私も豆を口に放った。

 しょっぱい。

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