第三話・汚名
立崎署の刑事、相模慎太郎は合同捜査説明会の資料に目を落とし、鉛筆を走らせていた。鉛筆の芯がときどき紙を突き破り、カリッと音を立てた。
十一月二日、長谷川修平は雑木林で見つかった。正確に言えば、見つかったのは首だけだった。落ち葉の中から転がり出たそれは、ひどく軽かった。高校生の首、大学生の首、そして妻・裕子の首が見つかった同じ場所で。胴体はなかった。肉体というべきものの大部分が、影のように消えていた。
死んだのは十月の初旬らしい。死因は「首を切断されたこと」と記録にはあるが、正直なところわからない。心臓が止まったのか、出血なのか、それとも別の何かか。切断は結果にすぎず、原因ではないのかもしれない。
被害者は四人。長谷川裕子、高校生、大学生、そして長谷川修平。うち二人は夫婦。どういう巡り合わせか。長谷川家への怨恨?ならば、なぜ高校生や大学生が混じっている?彼らの身元はまだ特定されていない。だからこそ、逆に身内である可能性も否定できない。謎は謎を呼び、捜査は泥沼に足を取られていった。
相模は書類をめくりながら考えていた。三年前、交番からようやく一課に上がってきたばかりだった。殺人課。響きだけで心臓が高鳴る部署。今では多少の場数も踏んできたつもりだが、まだまだ若造の位置づけだ。それでも、俺には嗅覚がある――そう信じていた。
そして、長谷川が最後に訪れた「定食屋くすのき」。相模はそこに客を装って入った。夫婦が怪しいという噂は、捜査本部でも何度か囁かれていた。他の客たちは口を揃えて「いい人たちだ」と言う。相模は夜にも足を運んだ。何度も。だが、常連が「いつもの」と注文するような自然さは、この店ではどこか空虚に響いた。
やがて、任意の事情聴取が行われた。楠木夫妻に。だが、二人には確かなアリバイがあった。あの日、真一夫妻が店に来ていたのだ。家族水入らず、というやつだ。
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真一にとっては微妙な夜だった。長谷川との再会は久しぶりで、居てくれて助かったという気持ちもあった。なぜなら妻の典子が、両親と折り合いが悪かったからだ。典子はしょっちゅう彼らを批評しては口論になる。「あなたの親って異様よ」と。異様――その言葉が、真一の胸の奥に棘のように残っていた。子どものころからうっすら感じていた違和感。典子はそれを鋭く嗅ぎ取った。彼女の目は誤魔化せなかった。両親の放つ空気には、言葉にできない澱のようなものがあった。真一は喉の奥に常に何かが引っかかっているような感覚を抱えていた。
捜査本部はくすのきから血痕も証拠も発見できなかった。トラブルの痕跡もなし。妻・富江は事件のショックで床に伏せているという話も伝わった。
そして五年。四人の惨殺事件は未解決のまま時が流れた。京都・大阪・滋賀の合同本部は形骸化し、京都だけが名目上残されていた。実質は解散だ。担当刑事たちは他の事件に流れ、資料は埃をかぶった。
だが、真一だけは違った。両親の名誉を取り戻すために。事件からほどなく「定食屋くすのき」は閉店し、両親は老人会からも締め出された。マスコミはまるで彼らが犯人であるかのように報じ続けた。訂正が出ても、人の心は訂正されない。「火のないところに煙は立たない」という呪文が、町中にしみこんでいた。
来年、息子は小学校に上がる。何かあっては困る。典子の両親への冷たい視線も変わらない。だから真一は決意した。両親の汚名を晴らすこと。息子を守ること。そのために再び捜査本部へ足を運んだ。五年前に会った刑事――相模慎太郎に会うために。