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第二話・祝福

 長谷川は二軒隣の楠木夫妻と懇意にしていた。長谷川家には子供はいなかったが、楠木夫妻とは話が合った。裕子は子供ができないことで悩んだ時期もあったが、富江のあっけらかんとした性格が好きで付き合いを始めた。長谷川家と楠木家は真一が小学生になった頃からの付き合いだった。


 裕子が残酷な殺され方をして心を痛めたのは長谷川だけではなかった。楠木家でもその悲しみは深く、真一・浩二・健三の三兄弟は、ニュースよりも先に母からその知らせを聞き絶句した。リアリティのない日常、非日常が紛れ込むとそれを言葉にしたり、分析などできないと真一は思った。言葉が出ないのだ。


 裕子の死後、長谷川は家に引き篭もるようになった。そんななか、隆一郎からはふさぎ込まずにと、老人会でもという誘いを受けた。長谷川はしぶしぶ老人会に加入した。裕子のことを忘れる瞬間があるのが怖いと思いながらも、長谷川はまだもう少し続くはずの人生をどう締めくくるのかを思いあぐねていた。


 隆一郎は長谷川を自宅に呼んでは、食事を共にした。こういう時に料理をふるまうのは決まって富江だった。隆一郎の料理は売り物、それを無償でふるまうのは他の客に悪いと言う考えだった。富江はやせ細った長谷川に栄養をということで、店ではあまり出さないミルフィーユかつを長谷川によく食べさせた。バラ肉を薄く何層にも重ね、その重ねる肉と肉の間にニンニクのすりおろしを擦り込む。富江はショウガも臭み消しに擦り込んでいた。紫蘇を入れたり、チーズを挟んだり、梅をつぶしたものをソースにしたりと、富江は工夫を凝らしていた。隆一郎のアイデアでもあった。


 長谷川はうまいうまいと、富江のミルフィーユかつを大絶賛した。老人会終わり、月に一度は楠木夫妻から食事によばれるため、長谷川は手土産に日本酒を持参した。印刷会社時代の取引先の日本酒だ。純米大吟醸、少し値は張るが老人会の会費も出してもらって、メシも食わせてもらっている。これくらいの出費は、礼として必要だと長谷川は考えていた。


 7月7日、七夕だった。老人会の帰り、長谷川は二軒隣のくすのきで食事をし、日本酒を三合、ビールを中瓶二本を飲んで気分よく家に帰った。くすのきから歩いて二分ほど、家に帰りドアをあけるなり強盗と鉢合わせした。手には何も持っていない。目出し帽に両手は軍手、ジーンズに土足。スニーカーで廊下をウロウロしている。長谷川は玄関の傘を咄嗟に手にし、強盗に向かって突き刺した。前のめりに転びかけた長谷川は思いのほか突き刺す力が入りすぎ、強盗の眼を突き刺した。大きな声が上がることはなく、ぐぅっ、と重い息を吐き出すようにして強盗は倒れた。


 長谷川はそのまま玄関にあった、花の活けていない花瓶で強盗の頭を打ち付けた。何度も何度も。酒に酔っていた分、理性が本能を抑え込むことはなかった。本能むき出しで、「敵」を殺した。血まみれの目出し帽をゆっくりとはがす。強盗はまだ幼そうな少年だった。鼻から顎にかけてぐしゃぐしゃにつぶれていたが、財布には高校の学生証が入っていた。昨日は購買部でパンを買ったのか、レシートが財布に入っていた。この少年は昨日までは他の子供たちと同じように、日常の中にいた。薄く黒い線を踏み越えたら、そこは非日常だった。長谷川も同じだった。一方は死に、一方は死を与え生き残った。


 二階で誰かが歩いている。通話をしながら部屋を物色しているようだ。もう一人、二階に強盗がいると長谷川は瞬時に察し、キッチンに移動した。酒はすっかり抜けていた。


 二階にいたもう一人の強盗は一階での物音に気付き、階段を降りてきた。階段の左手、廊下で目にしたのは血だらけで倒れ込む仲間の姿だった。目出し帽が取れている。その凄惨な様子に息をひゅっと飲んだ。リビングに置いたバールを探した。キッチンを抜けて、リビングに入ろうとした瞬間もう一人の強盗は首に暖かいものを感じた。スノボでロッジまで降りきったときに、暖かい缶コーヒーを押し当てられたような。


 長谷川はもう一人の強盗の首を刺し、刺したその手をひねり、ねじり抜いた。頸動脈はモチモチのパスタみたいにプリっと切れ、包丁を持つ自分の手には生き物の最後の息吹を感じた。失われていく生き物の命がそこにあった。すべてを掌握した満足感を長谷川は感じた。


 少年の首からはホースに空いた穴から噴き出る水のように、まっすぐ勢いよく血が噴き出た。裕子の名前を刻印した包丁だったが、この一年、料理らしいモノを作ったことはない。最後に裕子がこの包丁を握っていたことを思い出せない。捨てられずにいた包丁、こんなところで“役に立つ”とは。裕子の名前が刻印されていなければ、とっくに包丁自体を全て捨てていただろうと長谷川は思った。


 もう一人の強盗は大学生だった。近くの私立大学工学部の学生だった。まだ二十歳だった。学生証と免許証でわかった。未来ある若者を一晩で二人も殺めてしまった。正当防衛というには、適切ではない。もともと長谷川が二人を殺害することを予定していたかのような見事な殺害手腕、そこにあったのは長谷川の狂気ではなく、その時を待ってたと言わんばかりの冷静さが漂っていた。長谷川はこれまで生きてきた自分の必然性をこの二人の殺害のためだと感じ、自分を正当化させた。そして考えた、裕子を殺した犯人も同じ気持ちだったのかと。そこに、あってはならないはずの“シンパシー”のようなものを抱き始めていた。


 長谷川は、二人の遺体のうち高校生の遺体の首をノコギリで切り落とした。ノコギリがサビていたので切り落とすには時間がかかった。丸太のように首を切り落としながら、不思議と罪悪感が湧き上がらなかった。このままぼぉっと自宅に帰っていたら、こうなっていたのは自分かもしれない。裕子を理不尽に殺害され、自分までも、そう思うほどに怒りがこみ上げ怒りのやり場に困った。どこまでも湧き出る怒りは、若い頃の性欲にも似ていた。何度してもしたくなる。それに近いものが、今自分の中で蠢いていた。その衝動は自慰を覚えたての頃の自分と重なる。次もしてみたい、すぐに。我慢できない。長谷川は自分の輪郭がこの年になって見えてきたことに怖れを感じつつも、暖かく迎え入れた。


 高校生の首から下は、関節単位で斬り落とし、細かく刻み庭に埋めた。首は妻が発見された場所の近くに置いた。市道に抜ける山道、キャンプ場の手前にある雑木林だ。もう一人の大学生の遺体はしばらく放置していたので、腐敗が進んでいた。長谷川は、大学生の首を落とし高校生の首の近くに捨てた。妻の首があった場所だ。


 高校生の首を遺棄してから三日後だった。だが誰にも発見されなかった。大学生の体格は良く、ラグビー選手のようながっしりとした筋肉が鎧のようにまとわれた身体だった。解体に苦労しないように今度は新品のノコギリを二本買った。刃こぼれしても大丈夫なように。長谷川は高校生をバラバラにしたことで要領を得たようで、手際はよくなっていた。通販で買ったミキサーで粉々にしてはトイレに流し捨てていた。二人分も流しているとトイレが詰まりそうになるので、時間をかけて処理していた。


 二人分の靴や衣類は小さく裁断して、庭で燃やして処理した。幸いにも庭のある右隣家は先日から入院していた。庭で何か燃やしている、といったクレームが入ることはなかった。


 裕子の首が見つかった場所に、高校生の首、大学生の首を遺棄して一か月後。月初の老人会の日に高校生の腐乱した首が見つかった、そしてその場所から二百メートル離れた小川の側でもう一人、大学生の首が見つかった。動物が運んだという記事が翌朝の新聞には書かれていた。二つの首は身元の判別が困難なほど野生動物に食い荒らされていた。


 長谷川は冷静だった。首を切り落とすアイデアは、裕子をいたぶり殺した犯人へのメッセージだった。


 警察は同じ犯人だと断定する、模倣犯とはならない。長谷川が妻の首と対面してときに、犯人だけが残す勲章のような“しるし”を見つけた。それは警察からは発表されていない。警察や検察、鑑識、解剖医の口は堅い。情報は漏れない。つまり、一般人でこの情報を知るのは、長谷川自身と犯人しかいない。長谷川はこの“しるし”を二体の首に刻んで、遺棄した。


 犯人は「その殺しは俺じゃない」と、メッセージをどこかで出すはずだと長谷川は考えた。他の誰かを殺害して、メッセージを出してくるはずだと長谷川は思った。長谷川は妻を殺したヤツを見つけ出すために、強盗の首を利用した。この日を待っていた。このチャンスを。


 老人会の帰り道、隆一郎はいつものように長谷川を誘った。あたりまえの習慣みたいな顔で。「飯でも食ってけよ」と。長谷川もまた、あたりまえの習慣のように断らなかった。怪しまれるのが嫌だった。そんなことを考えながら頷いている自分が、少しみじめに思えた。


 手土産は日本酒と、塩漬けにした肉の塊。これも毎度のことだ。塩の結晶が袋の底にざらついて、歩くたびにしゃりしゃりと鳴る。午後五時十二分、十月三日の夕暮れ、長谷川はくすのきに入った。

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