表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/20

帰還 1

 彦根新田藩では、花火師の弥助が居なくなった次の日、藩境の全ての道が封鎖され、物々しい数の捕り方がせわしく行き交っていた、当然松吉の家にも捜索の手が廻って来て、一家も執拗に取調べを受けた。

「昨晩から花火師の弥助が立ち寄らんかったか」

 松吉が応対している間、数名が家の中・外を詮索する。

「昨夜は朝まで物音一つせず静かな夜でしたが……」

「そのようなことを聞いているのではない! 弥助を見なんだか?」

「弥助? そのような者は見てはおりませぬが」

「本当じゃな、もし弥助を見たならば即刻番所に届出よ。隠すと為にならんぞ!」

「へい、そういたします」

 捕り方が引き上げようとしたとき、一人の者が納屋でこんな物が落ちていたと拾ってきた、それは木村亭の花名刺、木村亭がお客に対し必ず渡すモノであった。

「なんだこれは? 松吉これはなんじゃ?」

「……はて、分かりかねますが……」

 捕り方も弥助との関係が分からず一旦引き上げたが、二時(約4時間)後に慌てて戻って来て、松吉と母娘を縛り上げ、番屋に連れて行ってしまった。

 番屋で後手に縛られた松吉親子の前には村井圭吾がいた。

「松吉、これがあると言う事は弥助が居たという事じゃ、知らぬとは言わせんぞ! お前が逃がしたとか、かくまったとかを申しているのではない、会うたかどうがを正直に話してみよ」

「あっしは弥助とかいう者を知りもしません、昨夜も会ってはおりませんとも」

「なに! 温情を掛けると図に乗るか、痛い目にあいたいのか!」

「本当に何も知らないんでございます、知らないんでございますよ」

「ええい、やかましい! なら娘を痛めつけるがどうじゃ!」

 役人が恐怖に慄く佳志を引きずり出した、竹刀で背中を打ちかけたところ。

「やめぃ!」

 鋭い声が飛んだ、奥に控えていた郡奉行・早坂源内である。

「ばか者! 女子供を責めてどうする、お前なんぞに弥助の説得を任せたわしが愚かであったわ、母娘は帰してやれ」

 あわてて村井が口を挟む。

「で、ですが早坂さま! こやつらも何か知っているやも……」

「馬鹿よのう、この脅え様じゃ、知っていれば吐いているはずだ、知っているとすれば松吉じゃ、こ奴を責め上げ、全て吐かせるのじゃ!」

 松吉には夜通しの拷問が続いたが、なにも知らないの一点張りの為、数回の気絶を経験させられた。夜通しの拷問は責める方も体力が持たない。

「よし、このままでは死んでしまう、少し休ませろ!」

 松吉は牢に入れられた、拘束は無いが拷問の痛みで動くことは出来なかった。

 一方松吉の家には、一人の見張り役人が張り付いていたが、夜中はウトウトしていた、その隙をついて三郎が家に忍び込んでいた。松吉が牢に入れられ責められていることが分かったのである。

 洞窟で翔馬と救出を画策したが、上手い案が浮かばなかった、弥助には知らせられない、自分のせいでこうなったと知れば自首しかねないのである。

 ここは松吉に耐えてもらうしかなかった、堂々と動ける者がいないのである。

 松吉に対する責めは初日は酷かったが、その後はそう責められることは無かった、役人にしても松吉に恨みがあるわけでもなく、実際弥助と会ってない可能性もある、弱っている松吉に哀れみを感じていたのである。

「松吉よぉ、知っている事があれば言っちまいなよ、このままだと死んじまうぜ」

「……」

 松吉はうなだれたまま何も言わない、目も開けないでいる。

「なぁ、何でもいいんだ、嘘っぱちでも言ってくれりゃあ釈放されるさ、おめえが憎くて捕まえているんじゃないんだ、弥助のことが少しでも分かればよぉ」

「……」

 松吉は本当に知らないと思えた、例え知っていたとしても命に代えて弥助を守る理由が見つからなかったのである。責めは無くなったが釈放はされなかった。


 彦根にある萬年寺に十体の羅漢像が奉納されていた、後の天寧寺(五百羅漢)の始まりである。 線香が漂う薄暗い堂の中に、四半時も目を閉じてなにやら思い詰めているような若い娘がいた、彦根藩中老の息女・平野早苗である。

 彦根も近頃は朝晩がめっきり寒くなり、境内の紅葉が少しだけ色付いてきていた、春は彦根城を囲む堀の桜、秋には佐和山の山モミジ群が人の心を和ませる、今年最後の良い季節が来ようとしているのだ。

「早苗さん、もうお茶でも飲まんか?」

 和尚が声をかけるが、早苗は目を閉じたまま応えない。

「早苗殿、目を開けて周りを見なさい、自分の心に閉じこもったままではいかん」

 はっとしたように目を開けると、十体の羅漢が厳しい目で自分を睨んでいた。

「そこは冷えるであろう、こちらへ来なさい」

 南側にある部屋で和尚の声が呼んでいる。

「どうじゃな早苗殿、羅漢がなにか諭してくれたかの?」

 早苗は冷えたお堂の中で、動くことの無い羅漢像と同化し、半時も過ごしたのである、色白の顔がいっそう青白く見えた、生気が無い様にも見えるが、見ようによっては美しい観音菩薩の化身のようでもあった。

「ささ、手をあぶりなされ、生身の人間じゃ”心頭滅却”とはいかぬじゃろう」

「和尚さまのお気使い、身に沁みてございます」

「いやいや、わしなどがそなたの心を癒せぬことは分かっておる、仏の深い慈悲にすがるのじゃな、わしはせめて熱~い茶など入れるのみ」

「そのようなことは……」

「じゃがの? 仏に無いモノねだりをしても、それは叶わぬぞ、ある程度自分で努力をして、力の及ばぬところのみを願わねばのう?」

「……」

「早苗殿、わしは翔馬が生きておる気がする、人は遅かれ早かれいつぞは死ぬものではあるが、あ奴がこのような逝き方をするとは、とても思えん」

「実はな? 寺院つながりで彦根新田の僧に書状を送ったところ、つい先日返事が来た、ほれこの通りじゃ」

 一通の書状を懐から取り出し、早苗に手渡した、早苗はそれを食い入るように読んだが、そこには翔馬がどこかにかくまわれていると書いてあった。

「和尚さま、申し訳ありません、実はわたくし……」

「いかがなされた?」

「翔馬様に影のようについている、ゴンと言う者がおりまして……」

 父からは翔馬の死を語らず、ゴンからは彼の生を語るなと言われ、自分の胸の内の苦しさに耐えかねていたことを、初めて他人に伝えることが出来たのである。

「早苗殿、苦しいのう、だが今翔馬は己が成す事を必死で行っているはずじゃ、翔馬のことは案じるでない、早苗殿はそなたの成すべきことを成さねばのう?」

「和尚さま、教えて下さい! わたくしの成すこととは?」

「喝!(カッ!)人は生きてこそじゃ、翔馬も生きてこそ前に進める、そなたも強く生きてこそ成すべきことに出会えるのじゃ、また苦しみの救いを仏に求めるものではない、苦しみは自分で乗り越えることが出来ねばならぬ!」

 早苗は帰る前にもう一度十体の羅漢が並ぶお堂に入った、薄暗いお堂に隙間から差し込む一条の光が丁度真ん中の羅漢の顔を照らしていた、厳しい顔だがどこか和尚に似ていた、『早苗さん強く生きなさい』と優しく言われた気がした。


 夕方新田彦根の山中で二つの影が対峙していた、一人は着流し、もう一人は

忍者姿である、そう秋月翔馬と三郎がどう言う訳か、真剣で立ち会っていた。

 翔馬は居合いに構え、三郎は腰を落とした前傾で、忍者刀を額の位置に逆手で構えていた、どちらも隙が無く、先に動いた方に隙が生じ不利になるという体勢だ。ただ、互いにそのままじっとしているのではなく、じりじりと立ち位置を変化させ、自分の有利を探しているのだ。

 ぴゅ、ぴゅ! 三郎の左手から礫が飛んだ、翔馬は一投目はかわし二投目は刀の柄で落とした、その瞬間に二投目を追いかけるように三郎の忍者刀が襲ってきた、それを抜き打ちのように跳ね返した、激しい閃光が数回飛んだ。

「三郎、大丈夫か!」

「大丈夫、小手はとられてないですよ」

「ふむ、実戦では何が起こるか分からん、刀も傷んではおらぬか?」

「大丈夫です、頭の刀はおいらの身体も同じ、大事に受けているんでぃ」

「そうだな、今のは普通に合わせるとどちらかの刀は折れていたろう」

 ここで双方構えを解いた。

「翔馬さんも身体は回復されたようですね?次は本気を出してもよろしいか?」

「おまえ、手を抜いて相手をしていたと言うのか、恐ろしい奴だのう」

「ははは、冗談ですよ! 翔馬さんは本当に強い、多分相手はいないかと」

「いや、わたしは実戦が怖い、出来るなら避けたいものと心得ている」

「おいらも人を傷つけるのは……、でも鬼が相手のときはやるしかない」

「わたしを鬼と思って戦っていたのか!」

 いつの間にか翔馬と三郎は良い関係になっていた、囚われていた松吉も数日前に釈放され、家で介抱されていた。

 翔馬はこれ以上ここにいるとまた迷惑になると思い、離れることを決心した、三郎が家老・青木丹膳や前田左近の屋敷に忍び込み、彦根新田藩の企みを調べ上げたコトを、なんとしても彦根藩に知らせなくてはならないのである。

 次の日暗くなってから、松吉の家に翔馬と三郎、弥助の姿があった、別れの挨拶である。 翔馬にとって命の恩人が床に伏している状態で別れを告げるのは断腸の思いであったが、そのことを正直に告げると。

「翔馬さんありがとう、以前洞窟でお父上のコトを知っていると言ったな、わしこそ翔馬さんの父上に生かされたのじゃ……」

「それはどういうこと?」

「二年前じゃ、秋月さまが監査役で来られた時、わしが火薬の不正帳簿を渡したのじゃ、しかしそれが藩に知れてしまって、取り調べを受けなされた、拷問にも耐えなさった、わしのコトは最後まで守ってくれたのじゃ」

「……」

「藩も監視役を牢で死なせるわけにはいかず、解放し帰藩となったが、その途中で浪人者を使い亡き者にしたのじゃ、最初からの算段じゃ」

「そのようなことが、して浪人者とは?」

「早坂源内という重臣が飼っている浪人、高市源蔵と申す者」

「高市源蔵……」

「翔馬さん、仇を取りたい気持ちは分かるが、今私情につまずけばあなたの本懐が遂げられなくなりますぞ、一旦は彦根に無事帰られるが良い」

「……」

「翔馬さんの成すべき事の過程で、必ず高市源蔵が出て来るはず、それまでお待ちなされませ。また翔馬さんを生かしたのはわしではない、本当の恩人は父上様と思って欲しいのです」 

「松吉さん……」

「わしもいつかあちらへ行った時、秋月さまに大手を振って会えると言うモノじゃ、いやまだ行かんぞ? まだまだ行かん!だから安心して帰りなされませ」

「松吉さん、奥さま、佳志さん、本当にありがとう、恩は一生忘れません」

 佳志は母親の背に隠れ泣いていた、母親は握り飯などを三郎に渡し、ご無事でご無事でと繰り返していた。

「佳志さん、よい家庭を持って父母を助けてやって下さい、今は何も出来ぬが世の中が変わればきっとまた会いに来る、それまでどうかご無事に!」

 そう言って、松吉の家を出たのである。

 三人が立ち去ったあとで、物陰からすーっと出て来た者がいた、村井が放った監視の者である、連絡はすぐに村井、早坂源内へと伝わった。

 村井はいきり立ちすぐに関所は勿論、裏道にあたる峠道にも猫の子一匹出入り出来ぬよう人を配置した。

「早坂様お任せくだされ、例え神仏であろうとも彦根新田から出られるものではございません、見つけ次第斬って捨てまする。」

「うむ、やはり生きておったとはのう、秋月翔馬と言う者、甘く見てはならぬ。帰藩するなら関所か裏山、お主は秋月がどちらを選ぶと見ておる?」

「は、普通ならば裏山、大胆な者であれば関所もありかと……、どちらを選ぶにしろ此方は手練れを揃えてござればよもや打ち損じることはございませぬ」

「そうじゃの、だが万全の上に万全を期さねばならん、鍛冶屋町の浜屋に数人の浪人がいる、その中の高市源蔵と言う者にワシからと伝え加勢を頼むのじゃ!」

「はは、高市源蔵でございますな、早速使いを向かわせまする。」

 二人の使者が鍛冶屋町の浜屋に浪人高市源蔵を訪ねた。だが生憎あいにく

源蔵は留守で、代わりの浪人が対応した。

「源蔵は出先も告げずふらっと出かけ二三日は帰らぬ時がよくあるぞ、早坂様の依頼となれば我らは腕の発揮どころである、要件を言うてみなされ」

「是非に高市源蔵殿にとの言伝ではあるが、急を要する故方々にもお願いを申し上げる、実は…………」

「そう言うことか、相分かった源蔵の行方が分かり次第伝えましょう、また我らもご加勢に参加致す、我らとて源蔵の腕に引けを取るものではござらぬぞ」

「は、かたじけのうござる。我らはこれにて!」

 言伝を聞いたのは野島丈四郎という浪人、早坂源内に取り入ろうと機会を狙っていたのでその伝言が高市源蔵に届くことは無かった。


 一方翔馬達は彦根新田藩脱出に向け最後の作戦を練っていた。前日までは関所を正面から突破する予定だった、ゴンが荷車に二人を隠しバレればひと暴れして突破するのみ、普段の関所備えであれば簡単な事である。

 だが、荷車を調達しに町を物色した時、翔馬達の脱出の件がバレ、物々しい備えがされていることが分かったのである。 多分に裏山も警備が厳しくなり三郎でさえも行き来することが容易でなくなっていると考えられる。

「アレがあればいいのう……」

 弥助がつぶやいた。

「アレとは?」

「おらが作った爆弾花火だべ」

「そんなモノがあるのか……」

 三郎の目が輝いた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ