闘 志 2
彦根新田藩花火村の外れ、松吉の家は松吉夫婦と佳志と言う年頃の娘の三人暮らしだ、松吉は親が山を開墾した土地で自給自足の生活をしていた、親の代では数軒の家族で開墾をしていたが残ったのは松吉と嫁の家だけだった、必然的に?夫婦となり佳志を授かった。 生活は苦しいが二人が所帯を持った頃に出来た花火工場で忙しい時期は人夫として働き、日銭を稼いでいる。
土間で縄を綯いながら松吉が問うた。
「佳志、お侍さんの具合はどうだ?」
「いい様だよ、もううなされることも無いし」
こんどは母親がきいた。
「熱も出てはないかのう?」
「だいじょうぶみたい、キレイな顔で眠っているよ」
翔馬がゴンに運ばれて十五日が過ぎた、最初は藩の詮索を逃れるため近くの洞窟にかくまっていたが詮索も三回来たのでもう大丈夫と家に移したのである。
ゴンが帰ってきた。ここでは三郎と言う名になっている。
「松吉さん、佳志さんも、ありがとうございます、川魚の燻製ですが」
「三郎さん、おおきに、お侍さんも昨日くらいからぐんと良くなっていますよ」
「そうですか、みなさんのおかげですねぇ」
穏やかな眠り顔、佳志が見守る横でゴンが思った。
翔馬は爆発にあった時、外からの熱に対抗するため体内の熱を一気に放出したと思える。どこでそんな術を身につけたのか、伊賀忍法に火遁の術があり、火の中を抜けるときに体内の熱を一瞬に発散させる、誰もがなし得ない高度な技である。その技のため火傷を負わず、打撲だけで済んだのだろう、ただ放出した気があまりにも多かったので失神状態から戻らなかった、呼吸もしてない程のか弱い息の中で最初の三日間は発熱、次には体温が低下して行った。
快復は松吉一家のおかげである、特に娘の佳志はけなげだった、まるで昔からの恋人のように自己犠牲を惜しまなかった。
ゴンにしても同じだった、翔馬に対し最初は頭からの命令、あるいは修行のつもりと見ていたが、次第に翔馬の人間性に惚れ、憧れまで持つようになった、人に仕えるのはこういうことかと思い始めていたのである。
ゴンも一晩中付いていたかったが松吉一家に任せて家を出た、寝ぐらとしている洞窟へ向うのである。
だが、少し行った先で、妙な気配を感じた、足を止め、傍らの茂みにスッと身を隠して気配を消す、静寂が暫く続いた、相手は忍者だと思えた、息を殺し全神経で相手の気配を探す、先に動いた方が居場所を知られる神経戦だ。
汗が額をつたう、目に入れば不利だが拭うことすら出来ない、精神的に追い込まれていることが分かった、並大抵の相手ではないのである。
「ゴン!」
ゴンが潜んだ茂みの上に張り出した木の枝から声が聞こえた。
「だれだ!」
「わしじゃ、ゴン!」
黒い影がスッ!と音も無く地上に降り立った。
「お頭!」
ゴンは驚いて茂みから出てきた。
「ははは、ゴン驚かしたのう、じゃが腕は上がっているようじゃ」
「お頭はなぜここへ?」
「お前を呼び戻しに来たのじゃ」
「呼び戻し……」
「お前はよくやった、彦根の騒動はもうよい」
「お頭、翔馬さんがまだ」
「もう良い! と言うたが聞こえんか?」
「ですが、翔馬さんを見捨てる訳にはいかねえだ」
「翔馬も彦根も関係は無い、お前は伊賀の掟に従えば良い、ついて来い!」
黙ったままゴンは立っていた、昔の自分なら考えることもしなかったが、今は違っていた、翔馬ならどうするか? と思ったのである。
「お頭、おれは行かない、今ここを見捨てることが出来ねえ」
「ゴン、お前は伊賀者ぞ? 私的な感情を持つことは許されん、来い!」
「……」
それでもゴンは動かなかった。
「わしは命令に背く者は許さぬ、仲間の絶対的な信頼で伊賀の里が保たれているのはお前も分かっているはずだ、一時の感情に負けるでない!」
「頭や里を裏切る訳ではないんだ、おらの気持ちから逃げたくないだけなんだ」
黒い影が近付いてきた、これまで見たことの無い激しいの怒りの目があった。
「許さぬと言った。ゴン、覚悟は出来ているな!」
頭の右手が忍者刀に掛かっているのが分かった。
ゴンは自分の力の無さを感じた、どうすることも出来ない絶望に身を置いているのでる、絶対絶命の時に翔馬のような力が出せるとは思わなかった、出来ることはただ一つ、親のように思っている頭の目を見て潔く死のうと思った。
頭は冷静で容赦なかった、短い忍者刀を素早く抜き一刀のもとに切った。だがその刃は右の頬直前で止まっていた、すると直ぐに刀を翻し(ひるがえし)今度は左頬で止めた、刃先が少し頬を切り血が首筋に伝った。
「ゴンよ、わしはお前がうらやましい、これからの時勢では伊賀の掟もそう長くは続くまい……、お前のように自分のことは自分で決めるのが良いのかものう」
「……」
言葉はいらなかった、頭はゴンが親のように慕っていたことも承知だった。
「ゴン、おまえがすべき事を決めた以上は最後までやり通せ! そしていつの日か必ず里に帰って来い、自分でそう決めたとき……」
忍者刀をゴンに握らせて頭は闇に消えた。
ゴンは何もかも失った気がして涙が止まらなかった、死んだ方が楽になれると思った、今からでも頭の後を追いたかったが、それも自分で出来なくしている。
月明かりの無い真っ暗な闇に、瞼に残った頭の影が恋しかった。
彦根新田藩家老・青木丹膳の屋敷に大目付・前田左近と早坂源内が寄せていた。
左近は青木丹膳の右腕であり、押しも押されもせぬ藩の重鎮だ、源内は歳が若いので左近のことをおやじ殿と呼んでいた。
「源内よ秋月と言う男、まだ見つからんのか」
「は、おやじ殿。一帯を隈なく探しましたが見つかりません、本当にバラバラになったのか、野犬などに喰われてしまったものか?」
「はて、面妖なことよのう! まさか生きておるとは思わんが、彦根に伝えたコトに反するとややこしくなるぞ?」
「はは、承知しておりまする」
「ところであの人斬り、なんと申したかのう」
「新井を殺らせた者なら浪人・高市源蔵にございますが」
「魔物じゃの、そち以外には使えぬ者とか? いつから養っている?」
「二年前に流れて来て、以来死に場所を探している様子……」
「ならば江戸にて望みを叶えてやれ、大物を一人斬るだけで良いのじゃ」
「ははっ、そのつもりで飼っております」
「ハハハ… 時が来たらわしが一刀使わす、人を斬りたくなる刀をのう」
「して、花火師の方はどうじゃ、ぬかりはあるまいの?」
「ははっ、弥助と言う職人でございますが、こちらの言うなりになるよう、仕込
んでおります、万が一そぐわぬとしても代わりも育っておりまする」
「うむ、お主のコトじゃ抜かりはないと思っている、来年夏に全てが変わる、殿だけのことでは無く、彦根新田の者、皆の悲願じゃ、ぬかるでないぞ!」
先日、彦根藩の監視役三名を事故に見せかけて暗殺したことで、青木丹膳の計画はもう後には戻れなくなったのである。
計画とは、彦根新田藩に地領拝領の為、藩主井伊直定が江戸幕府奏者番の地位を活かし嘆願するが、幕府が良しとせず実現出来そうにない、幕府に近いその地位の任期も残り半年を切り、その後は彦根以外に領地拝領の可能性は皆無となる。
そこで重臣たちが考えたのは彦根藩をごっそりいただく…… と言うモノである、井伊直定が彦根藩の藩主となれば、それが叶うと考えたのである。
その方法は、彦根新田藩には花火がある。江戸での花火大会において、事故とみせかけ彦根藩江戸屋敷を炎上させる、動乱に乗じて藩主直惟(長男)を殺害する、二男はいるものの跡目は必ず三男の直定にくると踏んだのである。
花火を彦根藩江戸屋敷に打ち込むのは高度な技術が必要だ、それに加え目標に打撃を与えるには花火ではなく爆薬でなければならない。
また藩主直惟殺害においては、花火で動乱と言っても厳重な警護の中で確実に暗殺をやってのけなければならない、一級の刺客でなければならないのだ。
家老青木丹膳はこの日も目は閉じたままだった、彦根新田藩が彦根藩に替わるイメージが具体的な形として見えてきたのだ。