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闘 志 1

 一陣の風が水面みなもを走る。 春ならば満開の桜が庶民だけでなく侍の心も和ませてくれる、城主も自慢の桜並木の内堀である。 だが急に、水面にきらきらと輝いていた小さな光を黒い雲が隠してしまった。

「一雨来そうじゃの」

 空を見上げてつぶやいたのは、彦根藩中老平野忠次であった、彦根城本丸にある一室の奥には影の相談役松野宗輔も控えていた。

「藩にとって有望な若者を失ってしまった」

「平野さま誠に申し訳ございませぬ、宗輔の落ち度でございます」

「いや、これでお主の感が当たっていたと言えよう、だがそこまでするかのう…」

 前日に彦根新田藩から届いた知らせは、

『彦根藩よりの来藩者、河井政之助、新井真吾、秋月翔馬の三名、当藩花火村にて密偵行為中に誤って爆発を起こし、三名とも爆死となり候』

 遺体はばらばらになり回収不能とのことであった。

「宗輔、ゆゆしき事態じゃ、手をこまねいているだけでにはなるまいぞ! 真相を探らねばならん、やれるか?」

「はは、全力を尽くしまする」

 ”カッカッカッーー、ドーン!”

 萬年寺のある方向に凄い雷が落ちた、すぐに大粒の雨が落ちて来たかと思うとそれは滝の様な降り方に変わっていった。


 萬年寺には丁度早苗(平野中老の娘)が供を連れて訪ねていた、翔馬がいなくなってから来る回数が増えた、翔馬を彦根新田に行かせたのは自分のせいだと思っているのである、寺では取り立てすることも無く、住職に茶を頂きぼんやりと小さな庭を見て時間を過ごすのである、帰りには翔馬の屋敷にも立ち寄る、三か月の間と言う事で使用人に暇は出さず、主の居ない屋敷を任せている。

 この日も夕立の後に訪ねてみた。

「長三さん、翔馬さまから連絡はございませんか?」

「あ、お嬢様、先日元気でやっているとのことより今のところは……」

「そうですか、きっとご無事で励まれていることでしょうね、わたくしが心配などしても何の力にもなれませんが、仏様にお祈りだけはして参りました」

「ありがとうございます、主が帰って来ましたら一番に伝えます、喜びますなぁ」

「みなさまも気を付けて、何かあれば遠慮なくわたくしに相談してください」

「ありがとうございます、感謝しています」

 大体こんなところが早苗の日常であるが。 父忠次には翔馬の死を娘にどう

伝えるか悩みであった。早苗が噂で知る前に知らせる義務を感じていたからだ。

 下城後、忠次は屋敷にて娘の部屋に足を運んだ、廊下で声をかける。

「早苗いるか?」 

「父上? いかがなさいましたか?」

 障子を開け立ち上がろうとする早苗を手で制する。

「よいよい、そのままでよいぞ」

「ですが、めったに来られぬお父様が、何事かと思われます」

「ふぅ、おもえば実の娘と言うのに気軽に話が出来難くなったのはいつ頃からかのう、理由も無いのに……」

「……」

「家族と言う者は常に心一つでありたいものじゃ、誰かが悲しみに落ちたときは家族が一心となりその心を癒さねばならぬ」

 忠次が続ける。

「早苗は武家の娘、わしが話すことを気丈に聞き取るのじゃ」

「父上、まさか……」

「秋月翔馬が死んだ。新田藩によると犯罪人だ……」

 早苗が崩れ落ちた、畳に伏せ嗚咽にむせぶ。

「だが、わしはそうは思っていない、彦根藩の為何かを成していると思っている、翔馬だけでなく他の二人も何人にも代えられる者ではない、彼らに対し今は何もしてやれぬが、後には必ず真相を掴み、彼らに報いようと思う、翔馬を新田に送ったのはわしじゃ、父を恨め、自分を責めるでないぞ」

「翔馬さまが犯罪人などと…… あれほど心のきれいな方が……」

「いや、犯罪人に仕立てられたのじゃ、この様なコトになるとは」

 泣き崩れる早苗の背中を赤子をあやす様に手を置いた。


 萬年寺の和尚はいぶかっていた、三日にあげず来ていた早苗がここ十日の間来ないのである。はて、どういうことか? 丁度檀家の法要が城下であったので訪ねてみると、具合が悪いので会えないとのこと。

 早苗にしてみれば一番に和尚さまにすがりたいところだが、父から藩の大事ゆえ、翔馬たちの死に関して他言無用と止められていたのである。

 つらい日々だった、誰にも言えないせつなさが一層我が身を苦しめていた。

 ある日、月も出ていない真っ暗な夜に、早苗は城下外れの琵琶湖のほとりに一人立っていた、生きる希望が見えないのである。 迷いは無かった、翔馬のいる世界に行きたい……、静かに身体を水に沈めたのである。

 水は冷たくとも苦しくともなかった、身が溶けてどこまでも深く漆黒の湖底に沈んでゆく感覚は、恐怖ではなく翔馬に逢える希望と感じられた。

 だが、急に身体が持ち上がり、元の世界に連れ戻されてしまった。

「早苗さま! 早苗さま!」

 早苗は翔馬が迎えに来てくれたと思ったが、そうでないことはすぐに分かった。

「早苗さま! ゴンでございます!」

「……」

「早苗さま、しっかりしてください! ゴンが分かりますか!」

 早苗が正気に戻り、目を開けた。

「ゴン、あなたがどうして……」

「どうしてもこうしてもない! おいら、どうして人助けばかりしなけりゃならないんでい!」

「ゴンさん、わたしを死なせて下さい」

「なにを言ってるんでい、早苗さまを先に死なせちゃ翔馬さんに怒られますよ」

 早苗の虚ろ(うつろ)な瞳に光が差した。

「翔馬さまが生きていらっしゃるのですか?」

「生きてますとも! ゴンが付いていて死なせるものですか!」

「翔馬さま、生きていらした……」

 気が抜けたように脱力した。

「早苗さま、翔馬さんは確かに生きていますよ、一時は危なかったがもう大丈夫なんです、ただ、怪我の回復にはもう少し日にちがかかるのと、生きていることは内密に願いたいのです」

「翔馬さまが怪我を? 他の方たちは?」

「二人は殺られちまったぁ、可哀想に。 だが、かたきは翔馬さんがきっととってくれるよ!」

「父上に申し出て翔馬さまをお助けしましょう!」

「早苗さまそれがダメなんで、翔馬さんは向こうで犯罪者だ、彦根藩が庇っても密偵者として向こうの裁きにかけられる、存在を消すしか生き様が無いのです」

「……」

「死んだことになっているのが幸いかも? だが、向こうの一部は未だに翔馬さんを探している、しつこいのがいるんですよ」

「ゴンさん、どうすれば良いのでしょう?」

「おいら早苗さんには本当のことを知らせなきゃと思い帰ってきましたが、他の人には翔馬さんが生きていることは内緒です、今はご中老様にもです」

「それで、翔馬さまはどちらにおいでなのですか?」

「それは」っと言いかけたとき、遠くから早苗を呼ぶ声が聞こえてきた。

「お嬢様~!」

「お嬢様~! どこですか~!」

 屋敷の者が総出で探している、早苗が振り返り元に戻った間に、ゴンの姿はあとかたも無く消えていた。

「ゴンさん! 翔馬さまを頼みましたよ~!」

 闇に向かって必死で叫んだ、知らぬ間に手に何かを握らされていた、開いてみると見覚えがあった、翔馬がいつも帯びに付けている桜の根付けだった。

「お嬢様、ご無事でしたか!」

 屋敷の皆が駆けつけ騒動は治まった。


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