彦根新田藩 3
約束の夕方、村井の手の者が迎えに来て河井と翔馬が馬で出立した、花火村までは4里ほどあり、着けば薄暗くなっていた。約束の場所に村井圭吾の姿はなく、迎えに来た者以外の二名が原料倉庫に案内してくれた。
「ここでございます」
「ここが? 小さい小屋ではないか」
「まずお入りくだされ」
狭い入口を入ると中は本当に真っ暗だった、とたんにバタッ!と扉が閉まり閉じ込められた。
「こら! 何をする!」
扉に体当たりを喰らわせたがビクリともしない、すると部屋の奥で明るく光るモノがあった、花火の種火(導火線)である。
「しまった! 河井さま伏せて!」
翔馬が素早く種火に駆け寄った、だが届く距離ではなかった。
”ドッカーン!”
凄まじい大爆発だ、小屋の屋根は木っ端微塵に吹き飛んだ。
爆発の黒煙と付近の物が燃える煙で小屋に近寄れないが、周りには数名の人影が集まっていた。
「やったか!?」
興奮気味に問うたのは村井圭吾であった。
「逃れようがございません」
部下の者が答える。
「よし、煙が収まったら遺体を探せ!」
「はは、かしこまりました」
火事と煙が収まるのに四半時ほどかかった、暗い中を松明と”がんどう”の灯りを頼りに二つの遺体を探すのである。しばらくして、
「いたぞ! ここに埋まっている!」
瓦礫の下に黒こげた遺体があった、伏せた状態で顔は焼けていないので河井政之助とすぐ分かった。
「もう一人は!?」
一帯を必死に探すが見つからない……。
「見つかりません」
「いないはずは無い、範囲を広げてもう一度探せ!」
五つ(午後9時)をまわっていた。
「村井さま、見つかりません」
「……やむをえん、今夜はここで野営して朝方もう一度探すのじゃ!」
「はは!」
村井は少し焦っていたが、この爆発で絶対に助かるはずはない!と自分に言い聞かせた。 花火村の住人には、今夜秘密の実験があると、夜の外出を禁止する令を出していたので、爆発後は何も無かったような静かな夜となった。
深夜、村はずれの一軒家の木戸を叩く者がいた、家の者は寝ていたが嫁に起こされ、主人が出てみると人を背負った農民風の若い男が立っていた。
「ど、どうなされた」
「申し訳ありませんだ、世話になった方が生死の分からぬところにおりやす、一晩だけ土間でも貸してくだせえ」
「ああ、それは構いませんが、生死が分からぬとは?」
「詳しいことは知らねえだが、死なせるわけにはいかねえ人なんです」
「それはそうだ、しかし息はしているのかえ?」
若い男はゴン、翔馬の”影”である。翔馬自身伊賀の里へ帰ったものと思って
いたが、影として翔馬の側にずっといたのである。
「わしは三郎と言う彦根の百姓です、この侍はおらの兄貴のような方、何があっても守らなければならないのです」
「彦根? ではこの方は監視役の…… それは大事じゃ、多分に明日は捜索に来られよう、ここではまずい、ご苦労じゃがもう少し背負ってくださらぬか?」
ゴン(三郎)は翔馬の影となってから彼の側を離れることは一時も無かった、頭領の言い付けに従順と言うこともあったが、翔馬の人間性に興味を持っていたのである、影と決めた以上、表が信頼出来る者であって欲しい。その確信を得たのは彦根新田藩に来る数日前の出来事だった。
翔馬が下城して夕刻、屋敷の前でゴンを呼んだ。
「知っての通り私は彦根新田へ行く、おまえは里に帰りなさい」
「……」
「これまでよく自分を殺して来たな、今夜はお前へ感謝がしたい」
「滅相も無い、おらはお頭の言い付けを守っているだけ」
「そうだな、お頭にも感謝したい、だが私はお前が愛おしく思えるのだ、いや弟のような存在だ、もう影はよせ、里に帰り自分として生きるのだ」
そしてその夜は一緒に夕飯を食べ、一つ屋根の下で寝たのである。ゴンにとって自分を人間扱いしてくれた初めての人だ、使用人にも常に優しく接し、表と裏のない理想の人間像を翔馬に見ていたのである。
ゴンは河井と翔馬が小屋に入ったのを木陰で見守っていた、すると小屋の外で導火線に火をつけた者がいたのである。小屋の窓に人影が映ったので咄嗟にカギ縄を投げ、窓が破れて人影を捉えた瞬間に思いっきり引き抜いたのである。
それからは、気絶している翔馬を背負い一目散に山を下りた、無我夢中だった。
「三郎さんここじゃ、この洞窟は誰も知らん、そのお方の容態が整うまでここにおれば良い、世話は娘にさせようぞ」
「ありがとうございます、あなたさまは?」
「松吉と言う、彦根から監視の侍なら全くの無縁ではない者じゃ……」
「詳細は後にして、手当てするモノは用意できますか」
「出来るだけのことはする、心配しなさるな」
ゴンは早急にもう一つしなければならない事があった、信吾への連絡である、誰に言われるまでも無く、翔馬のしたい事は全て分かるのである。
夜が明けかけたころ信吾の寝所の障子窓を叩く音がした、起きて窓を開けると、見知らぬ男が潜んでいる、信吾が声を発する前に。
「シーッ! 怪しい者ではござらぬ」
「何者!」
「秋月翔馬の影」
「? や、おぬしが!」
以前、河井が酔って翔馬に影の味方は誰だと絡んでいたのを思い出した。
「詳細を申し上げる時間がありませぬ、河井さまと翔馬が襲われてございます」
「なに、謀られたのか、して二人は?」
「河井さまはお亡くなりに、翔馬は生死の境、一刻も早くお逃げなさい」
「翔馬は生きているのじゃな?よし、迎えに来る!帰って伝えよう」
「お願いします、花火村の外れ松吉をお訪ねくだされ」
「分かった、すぐに戻る! 世話をかけるがそれまで頼んだぞ!」
と言い、二人はまだ明けきってない朝もやに身を隠した。
信吾は彦根新田藩の関所を避け、山道の峠を進んだ、途中に休憩に持って来いの文殊堂があり、そこに腰を下ろす。 すると、後の扉がギギーっと開き、見るからに異様な着流しの侍が出てきた。
「新井信吾か」
「お主は? 無礼は許さんぞ!」
信吾は彦根藩道場一番の腕前である、翔馬同様剣の腕を買われての起用だった。
「悪い相手に出会ったのう、これも定め、わしを恨むな!」
言った後は素早かった、身体の動きも早いが刀の裁きも早い、間合いを取るような剣術ではないのだ。信吾は慌てた、実戦の経験が無いのだ。
(野球選手が練習でいくら打てても、実戦では打てない、相手次第なのである。)
上段、下段と打ち込まれ余裕がない、しかし最初はかわすのが精一杯だったが次第に慣れてくる、こう受けると次はこちら、この打ち込みのあとはこちらから…… 見切ったと思った、次は自分が反撃する番である。
「とう!」
斬った! はずだった。 だが、相手の動きは見切った動きとは違っていた、信吾の剣は空を切り、相手の剣は信吾の腹に深く刺さっていた。
不思議に痛みは無かったが、急激に脱力するのが分かった。
(翔馬、すぐに迎えに行く、翔馬! 待っていてくれ…… し・ぬ・な・よ……)
声にはならなかった、何かをしなければともがいたが力尽きて目を閉じた。