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彦根新田藩 2

 それから数日間、翔馬たちは分家のあらゆる帳簿に目を通す毎日を送った、財政から人事、行事、教育にいたるモノを調べていったが、いわゆる表の帳簿を見ても引っかかるモノは無い。翔馬は疑問を抱かずにいられなかった、それでなくとも、新田藩に来る理由も聞かされていないのである、毎日を畑違いのような所で、意味の無いような事に時間を潰している。

「河井様、もう教えては下さいませんか……」

 河井がふと手を止め、翔馬の顔をじっと見た。

「そうじゃのう、これを見てみい」

 と一冊の帳簿を差し出した、それはここのモノではなく、河井が彦根藩から持ってきたモノだった。

「それがここの裏帳簿ということじゃ、前年放った間者が持ち帰った写しじゃ、気になるところがあるか?」

 渡された帳簿を数ページめくって見た。

「いえ私には分かりかねますが……」

「うむ、それも良く出来ておる、素人目では分かるまいが、火薬の量じゃ、それは相当なモノだぞ、不審を買うても致し方ない」

「ですが、新田は彦根花火の生産地、扱う火薬は多いのでは?」

「それじゃが、ココ近年に使う量と仕入れる量の差が急に開いている、おかしいだろう、何の為に大量の火薬の在庫を持つ?」

「……」

「だがの翔馬、この疑念をここの者に悟られてはいかんぞ!」

「安藤様や小松様はご存知で?」

「あれらも知らん、新井もまだじゃ、そしらぬ顔をしておけ」

「はは、気を付けまする」

「鬱陶しい帳簿眺めはこれまでじゃ、明日は視察に出るか」

そう言って河井正之助は部屋を出たのである。


 彦根藩は近江平野での豊かな米の収穫に加えて、琵琶湖においても十分な漁業の収益があり、石高以上の潤いがあった。

 だが支藩に与えた土地は田畑に適さない山間の地であり、人里離れたところに昔から花火村と呼ばれる、花火の製造される村があるだけだった。

 花火の生産は彦根新田藩が執り行っている、年貢収入のほとんど見込め無い土地を支藩として分藩した為、せめて花火の産業で藩政を支えるようにと、その権利を与えたのである。ただし火薬の扱いは彦根藩が厳しく管理をしていた。

 河井と翔馬は花火製造の現場を視察していた、村は三つに分けられ、其々に火薬の精製、調合、成形を分担している。彦根花火の機密を守るために職種を分散させているのである。作業者も其々に数名居るが、三つの作業場を自由に行き来できるのは、数名の花火師だけらしい。

 町方同心・村井圭吾が河井たちを監視していた、入藩のおり関所で問答した侍だ、受け答えは良いのだが言葉のあちこちに誠意のなさが現れていた。

「村井どの、火薬精製においてどれ程の不良が発生しているのか?」

「それはちと分かり申さぬが、数年前より質が下がり値は上がっており申す」

「彦根からの仕入れの質が悪いと?」

「彦根に限らず今の硝石は結晶が荒く粗悪なものが多いようですな、幸い当藩には良質な材木が多いゆえ黒炭にて補うておりまする」

「硝石だけでなく全ての材料においても量の正確さが失われておりまする由」

「それはどうであろう、きちんと報告は上げておるハズでござるが?」

「のう河井どの、江戸での彦根花火の評判は存じておろう?だが江戸では新田藩などは誰も知らん、彦根花火は彦根藩のモノと思われておる」

 村井が続ける。

「良い火薬の材料を入れてもらわねば、彦根花火の評判も下ると言うものじゃ」

「硝石の質が落ちたなどとは聞いておらぬ、材料の保管状態を見せて頂きたい」

「それはならぬ事じゃ、材料の割合を見ることは当藩の者でも禁じられている」

「我らは支藩の監視に来たもの、勘違いをなされているのか?」

「役目はご苦労に存ずるが、我らも藩の機密は守る立場の者でござる」

「その様な対応が通用すると思われるのか?彦根にその旨報告致すが如何に!」

「如何様にも、支藩と言えども藩でござる、無理難題には覚悟も出来ておる」

 侍の意地の張り合いだろうか、腹の探り合いがとんでもないコトに発展することもある。その日は河井も引き下がったが、彦根藩番方用人が支藩の同心にコケにされたことで、はらわたが煮えくり返っていたのである。

 数日間、信吾を相手に酒を飲んでいると、憎い相手村井圭吾からの使いと言う者が訪ねて来た、信吾の取り次ぎに何事かと出てみると。

「河井様、村井からの伝言でございます。先日はご無礼をいたしまして大変に申し訳ありませんでしたと」

「……? そうか、で、なんと?」

「はい、火薬倉庫の視察を特別という事で案内させていただきますると」

「特別? 分かった、詳細は?」

「は、明後日夕刻に先日の小屋まで来ていただきたいとのことでございます」

「はて、夕刻とは?」

「藩内にても機密の場所でござれば、内々にとの配慮を頂きたく存じます」

「ややこしいのう、まあ良い、承知したと伝えよ」

「はは、ただしこの件は今は内密にお願いしたく、他の者には……」

「わかった、わかった、誰にでも喋る政之助では無いわ、村井の顔も立てねばの」

 と言い交わし使者を帰した。 その夜信吾と翔馬を交え議論をした、彦根藩の権威に屈した、村井の対応であると満足する河井に対して、翔馬は慎重にならざるをえなかった。翔馬が言った。

「これには何か引っかかるモノがあると思うのですが」

「引っ掛かる? ハハハ……翔馬は慎重じゃのう、駆け引きとはこう言うものじゃ、村井も人の子よ、自分の一存で彦根藩を怒らせることなど出来ようか、わしの本気度に押され、怖くなったのよ!」

「そうでございましょうか」

「案ずるな翔馬、慎重なことは良いことじゃ、だが大胆にコトを成すのはもっと大事なコトぞ」

 信吾が口を挟む。

「河井様こたびは私も連れて行って下され、村井との駆け引き、話だけでなく実際に体験しとうございます」

「よし、三人で行くか、奴め立場の違いがやっと分かったのじゃろう、わしが奴らの口先のゴマカシをとくと暴いてやるわ」

 翔馬はうつむいていたが、

「河井様、信吾は残した方がよろしいかと存じます、もし我らに何事かあった時には、連絡の手が必要になるのでは?」

「翔馬よ、わしを信用出来んか?」

「いえ、決してその様な事ではございませんが、万が一にも備えなければ……」

 信吾が不満そうに、

「ならば、翔馬さんが残ってくだされ、私は行きとうございまする」

「待て待て、三人同一の行動を慎むは鉄則、一人が控えておるから二人が大胆に動ける、ここは翔馬の言う通り信吾には残ってもらう、これも任務じゃ」

「え? イヤでございます! 帳簿調べは面白くありませぬ!」

「信吾、今言うたではないか、お主の働きがある故わしらも動けるのじゃ、感謝をしておるのじゃぞ」

 と言う具合で、話は収まった、河井は機嫌よく酒も進んだが、翔馬は村井の手の平を帰したような態度が気にかかり、一抹の不安を拭い去ることが出来なかったのである。河井には愛想笑いでごまかすが、彼が厠に立ち信吾と二人になると、真剣にならざるをえなかった。

「信吾さん、私たちは敵の中にいるのです、明日に何があるか分かりません」

「そう言うけど、日々をのんべんだらりと過ごす私には実感がありません」

「私たちが来た時のことを思い出してください、あの緊張を忘れずに」

「私は彦根の方が、上司から監視の目が気になりピリピリしておりました」

「そうですね、確かに上司の目は恐い、だが、事あれば助けてもくれる上司です。だが、ここで何か起これば頼れるのは、自分一人と覚悟しなければなりません」

「何を心配されるのでしょうか?」

 翔馬が少し間をおいて言った。

「例えば明日の花火村行きがワナだとしたら……」

「えっ、ワナですと!?」

「例えばです! 私にはあの頑固な村井が態度を変えると思えないのです」

「そう言えば、あの関所でのやり取りも不敵な者と思われました」

「その緊張感を忘れてはいけないのです、私たちは常に監視されている、ここに居る間は、最悪の事態が起こった時に自分が何をするかを考え、備えて下さい」

「明日、何かが起これば?」

「それです、私たちの身に何かあれば、信吾さんは彦根に逃げて下さい」

「……」

「ここで私たちがしたことを報告することが任務なのです、明日のコトは極秘で行われる、安藤さまや小松さまにも伝えていないのです」

「あの二人に助勢願いましょうか?」

「いえ、その間は無いでしょう、急ぎ彦根に帰り中老平野様のお耳に届くよう伝えるのです」

「分かりました、ただ何事かあれば……。ですよね」

「ははは、そうです。何も無いコトを願いましょう、少し気が晴れました」

「ははは…」

 河井が長い厠から帰って来た。

「おい、何をのん気に笑っておる!明日はこの仕事の山場になると言うに!」

「分かっております、全ては河井様の邪魔にならぬよう気を付けまする」

「よし、ならば許す今日は飲め!」



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