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武士の志 2

 翔馬と早苗が萬年寺を後にした、今日はお供の娘はいなかったのである。小高い山を降りる途中に寂れたお堂がある、いつもは人気が無いのに今日は数人のごろつき?がたむろしていた。黙って脇を通り向けようとしたとき、お堂の中から助けを呼ぶ女の声がした、ごろつきが立ち上がり翔馬とお堂の間に集まってきた。

「おぬしら何をやっている」

「お侍に関係はないわな、とっとと行きな!」

「そうはいかん、中の女子おなごを渡してもらおう」

「おっと、それならこっちの娘をいただくぜ?」

 横から一人が言った。

「兄貴、こっちの娘ももらいましょうや、べっぴんですぜ!」

「バカは止せ、ご中老平野様のご息女なるぞ、ただで済むと思うか!」

「中老だとよ! 俺たちはこの辺りの者と違うんでぃ、殿様でも恐くねえぜ」

 これは悪い相手にかかったようだ、お堂の外に五人、中に一人は居そうである、斬りたくはないが、甘く見てはいけない。

 だが、相手は刀も持たず、ニヤニヤしているだけなのである。まさかこの見たことの無いごろつき風の者達は伊賀者か? 忍者が六人となると容易ではない。

 翔馬がそう思ったのは、各国に雇われた伊賀の忍びが里からの往来にココを通るからである、東への移動は彦根が参集の拠点となり西は京都が拠点となる。

 早苗に小刀を渡し、自分の大刀がギリギリ届くほどに距離を開けた、忍者は集団の戦いを良しとしないのか、後ろにいた一人が無言で背中から脇差を抜き、逆手に構えじりじりと近寄ってくる。 翔馬は早苗が居る限りこちらから打って出る事は出来ず、じっと仕掛けを待つばかりであった。

 忍者は身体は動いているように見えないのに、中腰で逆手の刀の柄頭に片方の手を添え、静かにじりじりと寄ってくる、やがて地合いが詰まったところで相手の身体が大きく飛んだ、消えたと思った、翔馬は逆に半歩退き重心の移動が収まらないうちに、相手の小手を下から切り上げていた、一瞬である、見事だった。

「不覚!」

 まだ幼い声だった。 出血は少しである。

「ゴン! 大丈夫か!」

 皆が駆け寄った、ゴンと言うのである、外にいた者の中では一番年下のようだ、だが皆はゴンがこんなに簡単にやられるのが信じられなかった。

 お堂の中のもう一人も出てきた、皆の様子からこの男が頭だと想像できた、翔馬はここからが本当の勝負になると覚悟したが意外にもそうはならなかった。

「お侍、若いが見事な腕前だ」

 お堂から出てきたヤツが悪びれた風も無く言ったのである。

「わしらは伊賀者じゃ、江戸と尾張に散っていた者がこうして集まり里に帰る途中なのじゃ、今更詫びても詮無いことじゃが、無益な殺生はしとうない、わしの思慮が足りなかった、中の娘子にも手を出してはおらん、許されよ!」

「だがお前たちのしたこと決して許されるモノではない、どうするべきか!」

「暫くそのゴンを残して行く、どうにでも使え、償いじゃ」

「ばかな、この者にみなの罪を被せる気か!」

「誰が残っても同じこと、伊賀者はそうなのじゃ、ゴン頼むぞ!」

「頭、面目ない、おいらが要らぬコトをしたばかりに…」

「いや、ゴンも一人前になる機会かも知れぬ、繋ぎは入れるゆえ安心しろ」

 頭はゴン以外を引き連れてその場を離れた、翔馬はこの展開が理解し難たかったが、お堂の中の女性が心配でそこへ駆け寄った。

 まだ十代であろうか若い娘であった、着物に乱れはないがひどく怯えている、早苗が駆け寄り介抱をした。

 話を聴くと、当身で気を失い気が付けばこのお堂の中、おかしなコトはされていないが、土地の風習や暮らし、育ち方など色々聞かれたとのこと、暗いお堂で怖かった、外で人の気配を感じたので助けを求めたと……。

かしらは悪い人ではないんだよ、考えがあってやっているんだい!」

 ゴンが手首を押さえたまま、ふて腐れたように言った。

「お前はいきなり刀を抜いたが?」

「あれは自然の流れだよ、兄貴たちに先に抜かせるわけにいかなかったのさ」

「だが、お前は本気で私に斬りかかった」

「お侍さんが強くて良かった、やっぱり人は斬りたくねえものな……」

「言う事と成す事が…、周りの雰囲気より自分の気持ちに従えば良いものを!」

「お侍さま、悪うございました」

「もうよい、私は秋月翔馬と言う、こちらは平野早苗さま、彦根藩」

「彦根藩中老平野忠次さまのご息女。ですね?」

 ゴンが大きな声で言った。

「そうじゃ、そして目上の者を敬うコトを忘れてはならぬぞ」

「分かりました、ここに居る時はここの者になるのが忍びの心得でございます」

「ゴンは名前はなんと申す、ゴンでは人の名とは思えんが?」

「忍びは名前は持てませぬ、土地に馴染む仮の名は貰いまするが、おいらにまだ名前は……」

「ははは、忍びの世界も色々あるものだ、してゴンはここで何をするのじゃ?」

「分かりません、頭が残れと言えば残るまで、陰で翔馬さまの力になることかと」

「私の力に? 私が力を出すようなコトなど何もないぞ?」

「……じっと耐えるのも忍びの掟、何も無ければそれもよろしいかと」

「まあ好きにいたせ、だがここで悪さだけはせぬように、次は斬るぞ」

「翔馬さまの正義、分かっております。私は影になるよう努めます」

 早苗の介抱で気を取り直した娘が起き上がった、早苗と娘を城下まで送り届け翔馬も屋敷に帰る。ゴンはとぼとぼ付いてきているようだが姿は見えなかった。


 数日が過ぎたある日、下城の太鼓が鳴り翔馬が帰り仕度をしていると、側用人から待合所まで来るよう指示があった、訪ねてみると、既に一人の重役が二人の侍に何事かを話していた、翔馬の顔を見ると二人を去らせ、手招きをした。

 「秋月翔馬じゃな? 実はそちに藩ご重臣よりじかじかに相談がある、今宵暮れ六つに京橋通りの大黒屋まで来るがよい」

「は、ご重臣と言われますと?」

「いらぬことは聞かぬがよい、行けば分かる。暮れ六つじゃ、遅れるでないぞ!」

「はは、かしこまりました」


 彦根城は内堀と中堀さらに天然の川を利用した外堀を備える、翔馬たち武士が仕えるのは内と中掘りの間にある城屋敷である。中堀に架かる京橋を渡り下屋敷側に出て大通りを行けば、一番端に生垣に囲まれて茶屋・大黒屋がある。

 約束の時刻には少し早いが、大黒屋の前に差し掛かると、二人の武士が翔馬の前後を塞いだ、頭巾で顔を隠し家紋の無い着流しである。

「わたくし秋月翔馬、貴殿ら人違いではござらぬか?」

 相手は無言である、気配の消し方、針のように刺す殺気は相当な手練である。

「お待ち下され、何ゆえの所業なれば……」

 説得は不可能と知った、だが本当に遣るのか? これが不条理と言うモノか。

 二人が同時に刀を抜いた、正眼と八双の構えである。翔馬も仕方なく刀の柄に手を掛ける。相手を両側に置き、相手のいない正面に居合いで構えた。

 二人は一間半まで間を詰め、それ以上は寄ってこない、同時の打ち込みをかけてもどちらかが斬られることが分かっているのだ、安易には打ち込めない。

 翔馬もまた刀に手をかけてはいるが、自分から仕掛ける気が無いのは明白だ、出来れば避けたいのである。だが、そう考えると打ち込む隙を与えてしまうので、全神経を居合いの精神”鞘放れの一刀”にかけて待っているのである。

 どれ程の時が経ったか、張り詰めた緊張の中では一瞬でも永遠に感じるのだ。

”ピュッ、ピュッ!”

どこからか両側の二人の額につぶてが飛んだ、ゴンが投じたのである。

 緊張が解けた、翔馬が刀を抜けば容易に二人とも斬れていた、だがそれはしなかった、するっと大黒屋の生垣に消えたのである。

 何事も無かったかのように大門を潜り玄関で取り次ぐと、若い仲居が奥の部屋へ案内してくれた、暮れ六つを少しまわったが部屋には誰もいない、席が二つ用意されているので間違いはないと思い座して待った。

 大黒屋の裏手で二人の着流し・頭巾の侍が初老の男になにやら告げていた。

「ほう、腕は確かなのじゃな」

「はっ、二人とも斬られるかと、しかも得体の知れぬ味方がおるかと……」

「一人ではなかったのか」

「いや、確かに一人。だが、確かに味方が……」

「よし分かった、もう良い。他言はならんぞ!」

「ははっ!」

 初老の男は大きく息を吸い暮れかかった空を見上げた、そしてゆっくり吐き出し、翔馬の待つ奥の間に向って行った。

 かえでと言う奥の間はそう広い間ではなかった、六畳ほどの窓の無い部屋で暗かった、いわゆる薄行灯、少し離れると相手の顔が分からない。

「待たせたな、楽にして良いぞ」

襖を開け、上座に向いながら声をかけた。

「は、いたみいります」

「ところで、先ほどは少々難儀に会うた様じゃが水に流せ」

「……」

「その腕前、どこで修練したものじゃ?」

「腕前と言うほどのモノでは、父と独学のものですから技量のほどは……」

「いやいや、謙遜するでない、そちの技量がまだ知られてないだけのことじゃ。あ、わしは中老、平野さまの相談役、と言っても裏の世界じゃ、おぬしにはまだ分かるまいが、分からんでも良い…… あぁ、松野宗輔と申す」

「……」

「お主にの、役割を与えたいのじゃ、藩の命運が係るやも知れん」

「そのような大役なら私のような若輩者には務まりません」

「ふむ、わしはそなたが適任と思うておる、藩の命運などと大きな事を言い過ぎたが、目の前のことを一つずつやってくれれば良いのじゃ」

「ですが、目の前のこととは?」

「これから出くわす物事じゃわな」

「私には分かりかねまする、なんと申して良いのやら」

「ははは、そう真剣に悩まんでも良い、お前は藩のために、藩はお前のためにも動くのじゃ、そう心得れば今までと何も変わらんじゃろう」

 宗輔は加えた。

「おぬしが心から藩のために働く、今宵はその確信を得たいのじゃ」

「は、藩のため殿にお仕えすることは武士の本分と承知いたします」

「ならば良い! 当然のことを念押され戸惑いなされたな?」

「は、しかし今宵なぜこのような所に招かれたか、今だ解せませぬ」

「いや、よいよい! そなたの気性を確かめたまでじゃ、ご苦労であった」

 用意されていたお膳を片付けると、宗輔は出て行った、翔馬も席を立つ、入り組んだ狭い廊下は帰りを阻んでいるようだった、途中から来たときに案内してくれた仲居にまた世話になる。大きな屋敷で表は大宴会が出来る広い間がいくつもあるが、奥は迷路のような廊下に不規則に部屋がある、初めて茶屋に入った翔馬にとっては不思議なところであった。

 すっかり日の暮れた帰り道、外堀から出たところで立ち止まった。

「ゴン、いるのであろう?」

返事はなかったが、川の淀みにつぶてがはねた。それが返事だった。

「ゴンよ、礼を言うぞ、ありがとう」

返事らしい反応は無かった。

”カサカサカサ……”

花の季節をとうに過ぎた桜並木の硬い葉っぱを夜風が揺らせる、まるで誰かが笑っているかのような風の声がゴンの返事なのか?


 また数日が経った、翔馬にとって変わらぬ日々が続いている。下城の太鼓が鳴ったあとまた側用人から呼ばれた。

 大黒屋の玄関に入ると今日は直接奥に入れる裏の通用口へ案内された、こう言う造りは、もし刺客が入ったとしても目指す相手がどの部屋にいるのか分からなくする為である、バタバタと騒いでいるうちに逃げられるのである。

 先日とは違う間に通された、座に着くとすぐに反対側の襖から松野宗輔公が入ってきた。

「翔馬どのご苦労じゃ、今日はそなたに言い渡すことがある」

「……」

「彦根新田藩を存じておろう、そこへ赴任してもらおうと思うての?」

「新田藩、なにゆえでございますか」

「うむ、コトは複雑なのじゃ、細かいことは藩に任せて三月の間行って参れ」

「任務はなんでございましょう」

「ま、そこは心配するな、そなた一人で行く訳でもない。新田は支藩であるがゆえこちらが監察をする義務がある、ヤツ等からは嫌な目では見られるがのぅ」

「なにゆえ私が?」

「そなたこれからは忙しゅうなるぞ? 来春には殿に従い江戸に行ってもらう。先日、藩の命運が係るやもと言ったであろう、まさしくそれなのじゃ」

「詳しゅうお聞きしとうございますが」

「それは…… 知らん方が良いこともある、これからの経験の中で一つ一つ自分で判断すれば良い、ご中老もそなたを捨て駒とは思うておらぬ、安心せい」

 藩のためと言われれば断ることは出来ない、ただ自分に何を期待されているのかが分からないので応えようが無いのである。

 ただ、翔馬にとって何かは分からないが目の前に道が開けたような気持ちになった。いつか萬年寺の和尚が言った。

「人として生まれたならば、その人生で大きな仕事をしなければならぬ」

 私にも定めがあるのなら、それを志しとしよう。 翔馬の気持ちが固まった。


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